サッカーの話をしよう
No.965 レシフェの英雄、『あご男』アデミール
ブラジル北東部ペルナンブコ州の州都レシフェ。6月14日にワールドカップの初戦で日本がコートジボワールとの初戦を戦う町だ。
1938年5月、この町が大きな騒ぎに包まれた。フランスで開催されるワールドカップに向けて首都リオデジャネイロから船出したブラジル代表が、大西洋を渡る前に、休息とトレーニングを兼ねてレシフェに寄港することになったのだ。
そのトレーニングを食い入るように見詰める15歳の少年がいた。「ぼくも必ずプロ選手になってブラジル代表になるぞ」。いっしょに見ていた仲間に、彼は熱く語った。
翌年彼は地元のクラブでプロにデビュー、19歳でリオの人気クラブのエースとなった。そしてブラジル代表となり、27歳で迎えた1950年には地元開催のワールドカップで9得点を挙げて得点王にまでなったのだ。「レシフェが生んだ史上最高の選手」と言われるFWアデミール(1922~96)である。
猛烈なスピードと魔法のようなテクニックをもち、右足でも左足でも正確なシュートを打つことができた。ブラジル代表39試合で31得点。長いあごをもつことから「あご男」のニックネームで愛された。この時代、多くの親が息子をアデミールと名付けた。
「何としても初優勝を」と期待された50年ワールドカップのブラジル。準備が重要と、コスタ監督は4カ月間もの合宿を敢行した。その合宿期間中、アデミールに訪問者があった。男はすがるようにこう言った。
「4歳の息子が大きな手術をしなければならなくなった。その手術に、あなたに立ち会ってほしいのです」
死の危険性もある難手術を乗り切るには、天才アデミールの神通力にすがるしかないと男は懇願した。
「ご子息の名は?」
「アデミールです」
監督の了承を得てアデミールは練習を1日休んだ。長時間かかったものの手術は成功した。ただ、彼の活躍も空しくワールドカップ優勝はならなかった。
1980年代のある日、すでに引退して解説者となっていたアデミールを、ひとりのたくましい男性が訪ねてきた。そして「私のこと、わかりますか」と切り出した。
「申し訳ないが...」
男性はアデミールの言葉を待たなかった。「30年前、あなたに命を救われました」
もちろん、あのときの少年だった。
広大なサッカー王国ブラジル。それぞれの町にはそれぞれのサッカーの伝説があり、誇りとする英雄がいる。
©CONMEBOL
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(2014年1月15日)
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