サッカーの話をしよう
No.972 横断幕禁止は過剰な措置
2014年3月8日に埼玉スタジアムで起きた「差別的な内容の横断幕掲出」(Jリーグによる表現)は、重大な出来事だった。
「世界の言葉」とまで言われるサッカー。それは世界中の人びとを相互の理解と敬意の下に結びつける役割を担っている。「差別」は、その対極にある。
サッカーの場での差別的な行為に対し、当事者は断固戦う義務がある。意識の低さによる浦和レッズの対応の悪さは、それが予測されなかったわけではないことを考えれば、より罪は重い。
「無観客試合」の処分は厳しい。しかし浦和への処分以上に、日本中のサッカー関係者やサポーターへの強いメッセージと理解しなければならない。
浦和はいくつかの対応策を発表した。そのなかに、当面、「ホーム、アウェーを問わず、すべての横断幕、ゲートフラッグ、旗類、装飾幕などの掲出を禁止する」という一項がある。「羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」ということわざそのものの過剰な措置だ。
問題の横断幕は、3人のサポーターが製作し、掲出したものだった。それを問題視して警備員に伝えたのは他のサポーターだった。これは、差別的な主張が浦和のサポーター全員もしくは大多数のものではなく、ほんの一部のものであったことを示している。「差別的だから撤去すべき」とサポーターが要求したという事実は、日本のサッカー観戦客の良識を示すものであり、今回の事件の大きな救いだった。
試合のときにファンやサポーターが掲げる横断幕や旗は、ファンの気持ちを表現するもので、声援や応援歌と異なるところはない。サポーターたちは、全身全霊を込めて叫び歌ってもなお表現し尽くせない思いを、横断幕などに託すのだ。
チームはプレーをする。1試合は観客を入れないが、次からは再びサポーターの歌声が響き、力強い声援が送られるだろう。横断幕やフラッグだけを禁止する意味はない。
浦和は、サポーターを仲間あるいは同志ととらえ、どんな問題でも話し合いで解決してきた。サポーターが事件を起こしても問答無用と切り捨てるのではなく、徹底した話し合いで良い方向に進めようという努力を惜しまなかった。だからこそ「日本一」と言われるサポーターがいる。
良識あるサポーターたちにまで旗などの禁止という犠牲を強いるのは、撤去すべき横断幕を放置したことと同じように問題の本質を見誤ったことだ。
(2014年3月19日)
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