サッカーの話をしよう
No.982 開幕の地サンパウロ
開幕まで残り8日。スタジアムが完成するかの話題ばかりのワールドカップ・ブラジル大会だが、私は楽観的だ。ブラジル人には、世界中がやきもきしているのを楽しんでいるフシさえある。
開幕の地はサンパウロ。市域だけで人口1100万、近郊都市圏を含むと2000万を超す南半球最大の都市である。中心部には高層ビルが林立する。
ブラジルの経済を牽引するサンパウロ。この街の人びとは「サンパウロが稼いでリオが遊ぶ」と、勤勉な「市民性」を誇りにするとともに、何事につけ派手に世界の耳目を引くリオデジャネイロに対抗意識を見せる。
1930年の第1回ワールドカップ(ウルグアイ)では、コーチ陣がリオ勢だけなのに怒ったサンパウロのクラブが選手を出さず、リオの選手だけでブラジル代表を組んだ。近年ブラジル代表の大半が欧州でプレーするようになるまで、代表監督の頭痛のタネは、リオとサンパウロから選出する選手数のバランスを取ることだった。
リオに裕福な階層の支持を受けるフルミネンセと大衆層の人気を独占するフラメンゴの2大クラブがあれば、サンパウロではサンパウロFCとコリンチャンスが同じ構図でライバル心を燃やす。
ブラジルのサッカーがまだ揺籃(ようらん)期にあった1910年、英国から名門アマクラブ「コリンシャンズ」が訪れ、圧倒的な強さを見せた。当時のサッカークラブは裕福な階級だけのものだったが、試合を見たサンパウロの5人の労働者が「労働者のためのクラブを」と話し合った。そうして生まれたのが「コリンチャンス」。ブラジルで最も熱いサポーターをもつクラブだ。
そのコリンチャンスの新しいスタジアムこそ、今回の開幕戦会場だ。2万人にも満たないスタジアムしか持たず他クラブのスタジアムを借り歩いていたコリンチャンスが、サンパウロの東郊にようやく夢のホームを持つことができたのだ。
工事の遅ればかり伝えられているが、試合終了後に一挙に列車を走らせられるようにスタジアムを取り巻くように地下鉄3号線の引き込み線がつくられるなど、見事な建設計画であることがわかる。
ワールドカップ時は収容6万1606人。だが大会後にはゴール裏の2階席を外し、4万8000人収容となる。400万人が暮らすサンパウロ東部の再開発の核と位置付けられる施設。コリンチャンスとブラジルサッカーの新しい歴史が、ここで幕を開ける。
(2014年6月4日)
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