サッカーの話をしよう
No.1002 アフリカ・サッカーに忍び寄るエボラの恐怖
いまだ終結への道が見えないエボラ出血熱の恐怖が、アフリカのサッカー界に影響を与え始めている。
来年の1月17日から2月8日までのアフリカ・ネーションズカップ(CAN)の開催国に予定されていたモロッコが延期を要望、アフリカ・サッカー連盟が認めなかったため返上を決めた。モロッコを含む北アフリカでは現在のところエボラ感染者の報告はない。しかし「これからさらに拡大する」という世界保健機関(WHO)の勧告を受け、モロッコ政府が決断した。
そして返上決定から3日後の11月14日、連盟は赤道ギニア共和国が代替開催国になったと発表した。ギニア湾に面し、面積2万8000キロ(四国の約1.5倍)、人口72万人(島根県とほぼ同じ)という小さな国。今回のエボラ流行の震源地となったギニアとは別の国で、感染患者が出ている国とは接していない。
赤道ギニアはガボンと共同開催だった前々回の12年大会(初出場)ではベスト8だったが、今回は1次予選で出場資格のない選手を出場させ、すでに失格となっていた。思いがけない「復活劇」だ。
2003年の東アジア選手権を思い起こした人も少なくないだろう。中国南部で発生し、この年の前半に猛威をふるった新型肺炎(重症急性呼吸器症候群=SARS)への不安から開催スタジアムをもつ横浜市が延期を求め、5月下旬からの横浜開催は開幕2週間前に中止となった。前年に誕生したばかりの東アジア・サッカー連盟には代替の都市や国を探す力はなく、結局大会は12月に東京で開催された。
今回のエボラ流行は、すでにアフリカのサッカーに大きな影を落としている。
10月末までに1000人近い死者を出しているシエラレオネはセイシェルとの2次予選の第2戦(セイシェルで開催予定)を拒否され、不戦勝で最終予選に進んだが、9月からの最終予選をホームで戦うことができず、すべてアウェーでの開催となった。そして選手たちは行く先々で「エボラ!」と敬遠され、大半が欧州のクラブに所属しているにもかかわらず、缶詰にされたホテルで毎日2回の血液検査を強要されたという。
「アフリカでは高度な教育を受けた人は少ない。彼らを非難することはできない」
FWのカマラは、ため息交じりにそう話す。
有効なワクチンも治療薬も開発されておらず、感染したら死亡率が50~90%というエボラへの恐怖を簡単にぬぐうことはできない。しかしそれがいわれのない差別にまでつながってしまうのは、とても悲しい気がする。
(2014年11月19日)
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