サッカーの話をしよう
No.1005 天皇杯決勝が12月13日?
どうもしっくりこない。今週の土曜日(12月13日)が、天皇杯決勝戦だということだ。
日本サッカー協会が誕生した1921(大正10)年に始まり、今年度で第94回となった「全日本選手権」。1947(昭和22)年に当時13歳の皇太子(現天皇)を伴われた昭和天皇が東西対抗に来場されたことをきっかけに「天皇杯」が下賜され、1951(昭和26)年度の第31回大会以来優勝チームに授与されるようになった。
各地を転々としていた決勝戦が国立競技場に定着したのは1967(昭和42)年度。そして翌1968(昭和43)年度の第48回大会から元日となった。「元日と言えば天皇杯サッカー」というイメージは、Jリーグが始まるずっと以前から、サッカーにあまり興味のない人の間でも常識になっていた。いわば正月の風物詩だった。
私自身、1970(昭和45)年度の第50回大会以来、実に44回もの元日を国立競技場で過ごしてきた。2020年の東京五輪のために建て替えられる国立競技場が使えないのは、大げさに言えば覚悟ができていたが、決勝戦が元日でないのは、目前に迫ってもまったく実感がわかないのだ。
「元日決勝」が生まれる前年、1967(昭和42)年度の第47回大会の決勝戦は1969年1月14日だった。だが実は元日に国立競技場で「NHK杯元日サッカー」という試合が行われていた。当時の正月のテレビはほとんどが録画番組。そこでNHKはスポーツの生中継番組を企画したのだ。
対戦は日本リーグ優勝の東洋(現在の広島)と大学選手権優勝の関西大学。東洋が1-0で勝った。「元日のスポーツ生中継」の評判は悪くなく、翌年は天皇杯の決勝戦を元日に行うことがすんなり決まった。サッカーの「NHK杯」は1回だけで終わった。
快晴の1969年元日、メキシコ五輪銅メダルの余韻のなか、釜本邦茂を擁するヤンマー(現在のC大阪)と杉山隆一が牽引する三菱(同浦和)が決勝で対戦した。明治神宮にも近い国立競技場。初詣帰りのファンも多く、3万5000人もの観客が押しかけた。そして釜本の1点でヤンマーが1-0。初優勝を飾った。
以来「サッカー界の新年賀詞交換会」でもあった元日の天皇杯決勝。来年1月のアジアカップに備えて今回だけの措置とはいえ、12月13日の決勝戦はまだピンとこない。
しかし日本サッカーのシーズン最後を飾る試合であることに変わりはない。ナビスコ杯、Jリーグに次ぎ「3冠」を狙うガンバ大阪。そして劇的な勝利を重ねて「奇跡のJ1昇格」を成し遂げたモンテディオ山形。横浜の日産スタジアムを舞台に、熱い戦いになるのは必至だ。
(2014年12月10日)
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