サッカーの話をしよう
No.1007 賀川浩はいい男
「あの人が英語圏にいたらライターとして世界的な評価を受けていただろう」
スポーツライターの賀川浩さんをこう称えたのは、1970年代に大阪の枚方で独創的な指導を実践して大きな業績を残した故・近江達さんだ。
ことしブラジルで開催されたワールドカップで「最年長ジャーナリスト」として大きな話題となった賀川さん。次つぎと押しかける世界中の記者たちにも、疲れた顔も見せず応じる姿に心を打たれた。
神戸一中、神戸経済大、大阪クラブで高い技術をもったサッカー選手として活躍、召集を受けた後、戦後復員し、スポーツ紙の記者となった。
元選手として、技術を見る目の確かさと独自さが賀川さんの真骨頂だ。賀川さんのひと言のアドバイスで技術面の蒙を啓かれた有名選手も少なくない。そして同時に、サッカー選手たちの人間性を試合のなかに見いだす目も、他の追随を許さないものだった。
夢に見たワールドカップをようやく取材できた1974年、その旅を振り返る旅行記の連載が『サッカーマガジン』で始まった。その第1回が「ベルティ・フォクツはいい男」だった。フォクツとは、西ドイツ代表のDFである。
決勝進出をかけた西ドイツ対ポーランド。激しい戦いに決着をつけたのはミュラーの1点。だが賀川さんはヒーローに目を奪われなかった。賀川さんの双眼鏡がとらえたのは、アシストしたボンホフの疲れ切った表情だった。
「それを見たのがフォクツだった。ハーフライン近くにいた彼は、みながミュラーの方へ走るときに、いっしょにかけ出そうとした。だが、フォクツは倒れそうな足どりのボンホフをほっておけなかった。ミュラーの方へふみ出した足をかえて、彼はボンホフにかけより、肩を抱いてやった」
「ミュラーと喜びあう一群にヒーローの感激を、そして、ボンホフと抱きあうフォクツに縁の下の男の感動を、胸に痛いほど感じながら、わたしは、ひとりつぶやいたのだった。『フォクツ、キミはいい男だ』」
1924年12月29日生まれ、賀川さんは来週月曜日に90歳の誕生日を迎える。そして年が明けるとチューリヒに飛び、1月12日、国際サッカー連盟(FIFA)の「バロンドール(年間最優秀選手賞)表彰式」で、ブラッター会長から「会長賞」を受賞する。
賀川さんの業績を顕彰するこれ以上の賞はない。そして日本語を解さないサッカーファンが、この表彰をきっかけに魂にあふれた賀川さんの記事に触れる機会ができれば、世界のサッカーはもっと豊かになるはずだ。
1990年:ワールドカップ・イタリア大会 パレルモ
1992年:EURO92(スウェーデン)エーテボリ
高橋英辰さんと賀川さん
1994年:ワールドカップ・アメリカ大会 ボストン
中央は中条一雄さん(朝日新聞)
1995年:アンブロカップ(イングランド)
移動の車中で
2006年:ワールドカップ・ドイツ大会 フランクフルト
左は親友であり英国の大記者ブライアン・グランビル
2014年:ワールドカップ・ブラジル大会 ナタル
(2014年12月24日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。