サッカーの話をしよう
No.1024 FIFA 111回目の誕生日
5月29日、スイスのチューリヒで国際サッカー連盟(FIFA)の第65回総会が開催される。4年にいちど、会長選挙の行われる総会である。
ゼップ・ブラッター現会長(79)のほかに3人の立候補者がいるが、ブラッター会長の「五選」は確実と言われている。2018年と2022年のワールドカップ開催国決定をめぐるスキャンダルを半ば強引に収束させ、順調な財政を背景に支持を固めた第8代会長の時代はあと4年続くことになる。
そのFIFAが第1回総会を開催したのは1904年。日本でいえば明治37年、日露戦争に突入して3カ月ほど、旅順攻略が始まったばかりのころだった。
19世紀の後半に欧州各国に広まり、各地で協会設立が相次いだサッカー。国際試合を円滑に行うための組織設立への要望が高まっていた。
思わぬ障害は「サッカーの母国」イングランドだった。当時すでにプロリーグがあったイングランドは、同じ「英国」内のスコットランドなどを除けば圧倒的なサッカー大国で、オランダやフランスにアマチュアチームが遠征しても二桁の得点を挙げるほど実力に開きがあった。イングランドには国際試合の必要性はなく、アマチュアだけの弱小国と対等の立場に立つ必要などないという考えだった。
業を煮やした欧州勢はイングランド抜きで国際組織をつくることにし、1904年の5月21日にパリで設立のための会議を開いた。参加したのは、フランス、オランダ、スイス、デンマーク、ベルギー、スウェーデン、そしてスペインの代表だった(スウェーデンとスペインは会議に出ることができず、デンマークとフランスが代理した)。23日までの3日間で組織名が「国際サッカー連盟」と決まり、初代会長にフランス協会の事務局長だったロベール・ゲランが就任した。このときゲランは28歳だったという。
誕生したころのFIFAには実行力も資金もなく、パリの中心街のビルの一室で細々と運営される組織だった。
第3代会長のジュール・リメ(フランス)が奔走してワールドカップの開催にこぎ着けたのが1930年。ここでようやくFIFAは資金難から開放され、本部をチューリヒに移し、フルタイムの職員を雇って運営されるようになった。そして第8代会長時代のいま、ワールドカップの放映権で何百億円もの収益を残すようになり、FIFAは加盟国209を数える世界最大のスポーツ組織となった。
明日で111回目の誕生日を迎えるFIFA。今月末の第65回総会では、日本サッカー協会・田嶋幸三副会長の理事就任も承認される。
(2015年5月20日)
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