サッカーの話をしよう
No.1044 テヘランに学ぶ優しさと親切
日本代表の親善試合の取材で、6日間ほどイランの首都テヘランに滞在した。
試合を取材するための報道ビザの発給がなかなかうまく進まず、シリア戦の行われたオマーンからイランに移動するまで冷や汗ものだったが、日本サッカー協会が奮闘してくれたおかげで無事入国することができた。そしていったん入国すると、期待どおり、テヘランは「天国」だった。
この街は10年ぶりの訪問。前回もこの国の人びとの心の優しさ、親切さには、強い感銘を受けた。
核兵器の開発疑惑でイランに対し国連が経済制裁を発動したのが2006年末。原油輸出が激減して経済は苦しいが、それでもテヘランは大きく発展していた。10年前には2系統しかなかった地下鉄が現在は5系統に増え、2008年には専用レーンを使う快速バスサービス(BTR)も始まって市民の足は飛躍的に良くなった。また10年前にはほとんど使えなかったインターネットも、いまでは不可欠なインフラとして普及している。
だがどんなに便利になっても、人びとの優しさと親切さはまったく変わっていない。
ペルシャ語などまったくわからないし、当然、その文字も読めない。それでも町を歩くのに何も心配はいらない。何か困ったことがあって立ち止まると、ほとんど即座にだれかが英語で話し掛けてきて教え、助けてくれるのだ。
ある店にはいって本屋の場所を聞いた。店を出るとひとりの美しい女性がすっと寄ってきて「こっちよ」と先に立って歩きだす。私と店員の話を聞いていたのだろう。道を2本渡り、さらに少し歩いて「ここよ」と示す。お礼を言うと小さくほほ笑み、彼女は来た道を戻っていった。
地下鉄の切符売り場で案内版を読んでいると、中年の男性が寄ってきて「どこへ行くのか」「片道でいいのか、往復か」などを聞き、窓口の女性に伝えてくれた。私はお金を出すだけだった...。
昨年ワールドカップが行われたブラジルでは、町を歩くときに緊張を解くことはできなかった。ひったくりや置き引きの被害にあった仲間の記者も少なくなかった。しかしテヘランでは、のほほんと歩いていても、危険な感じはまったくなかった。実際、犯罪率は非常に低いという。
2020年の東京オリンピックに向け、日本人は「おもてなし」に自信をもっているかもしれない。しかし道で困っている外国人観光客を、テヘランの人びとのように積極的に助けられるだろうか。東京都や組織委員会はテヘランに視察に行くべきだと、強く思う。テヘラン市民の間に当たり前のように根付いた心優しさや親切さには、大いに学ぶべきものがある。
(2015年10月14日)
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