サッカーの話をしよう
No.1063 ホーム偏重演出はおかしい
24シーズン目のJリーグがスタートした。J2から昇格した3クラブが第2節目までにすべて勝ち点を記録し、連勝スタートは大宮アルディージャ(昇格組)と鹿島アントラーズの2クラブだけ。予想どおりの混戦模様だ。
そのJリーグで気になることがある。「ホーム偏重の試合演出」だ。
たとえば試合前の先発選手紹介。ビジターチームの選手名は低い調子で淡々と行い、ホームになるととたんに絶叫調の「スター称賛」となる。大型映像装置にも、ビジターは味も素っ気もない名前の羅列が出されるだけなのに、ホームチームの選手たちは一人ひとり凝った映像が出る。
たとえば得点後の場内リプレー。ホームチームの得点は繰り返し出されるが、ビジターの得点になるとまったく出さないチームもある。
たとえばハーフタイムに見せる「前半のハイライト」。ホームチームのチャンスは詳細に見せるが、ビジターの映像は得点シーンの1、2秒だけ。ホームが圧倒的な優勢だったのかと勘違いしそうだ。
もちろん、ビジターのサポーターやファンを大事な「お客さま」として扱うクラブもある。試合前に「ようこそいらっしゃいました」などの歓迎のメッセージを出し、ホームのサポーターが盛大な拍手を送るところもある。
だが傾向としては、ホーム偏重の演出をするクラブが増えているように感じる。
どの試合も観客の8割から9割はホームチームのファンあるいはサポーターである。ホームチームを盛り上げ、観客を喜ばせたいという考えはわかる。だがあまりに偏った試合演出は逆に興をそぐ。
試合が始まればサポーターは自分が応援するチームに一方的な声援を送る。ホームチームを応援する観客が大多数ならば、当然のことながら声援も圧倒的になる。その期待に応えようと、選手たちも必死になる。それが「ホームのアドバンテージ」だ。
それ以上のものが必要だろうか。相手チームの存在をことさらに卑小化するような演出を、果たしてホームのサポーターやファン、そして選手たちが望んでいるだろうか。
「ホームゲーム」は、けっして「ホームだけのゲーム」ではない。コンサートのように観客がひいきにする選手だけがパフォーマンスを見せる場ではない。サッカーはスポーツであり、相手チームも全力を尽くす。公平なルールの下、チーム一丸で勝利を目指す姿に、サポーターが声援を送る意味がある。ホーム偏重の演出には、スポーツらしさが欠けている。
試合の演出はビジターにも公平であるべきだ。だからこそ、サポーターの声援と選手たちの奮闘に価値がある。
(2016年3月9日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。