サッカーの話をしよう
No.1064 佐藤と大久保 めざせ『釜本超え』
3月5日、大久保嘉人(川崎フロンターレ)が豪快な一発で「157点目」を決めると、翌日には佐藤寿人(サンフレッチェ広島)が世にも奇妙な得点で「158点目」。すると3月12日には大久保がヘッドで追いつく―。
中山雅史(元ジュビロ磐田)がもっていたJ1の最多得点記録(157)に追いつき、あっという間に追い越した佐藤と大久保。ふたりには奇妙な共通点がある。
誕生日が3月の佐藤はいま34歳、6月の大久保は33歳だが、ともに1982年生まれである。ともに170センチとかなり小さく、今季がJ1での14シーズン目で、ふたりとも最初の得点を2001年に記録。そして翌年には1シーズンだけだが同じクラブ(当時J2のセレッソ大阪)でプレーし、時間は短いが同時にピッチに立ったこともある。
相手との駆け引きや技巧的なシュートで得点を積み重ねてきた佐藤。一方の大久保は圧倒的なスピードとパワーで相手守備を切り裂き、ゴールに叩き込む。タイプは百八十度違うが、2012年に佐藤が得点王になると、翌年から3季連続で大久保がタイトルを獲得。現在のJリーグを代表するストライカーがこのふたりであるのは間違いない。
ただし、日本のトップリーグの最多得点記録は彼らではない。日本サッカーリーグ時代に記録された釜本邦茂(ヤンマー=現C大阪)が打ち立てた「202得点」という大記録があるのだ。佐藤はJ2で通算50得点しており、大久保はJ2で18得点、スペインの1部リーグで5得点の記録がある。だが「日本のトップリーグ」というくくりにすると、釜本に遠く及ばない。
J1での出場試合数は、佐藤が379、大久保が341。しかし1シーズンの試合数が14あるいは18だった日本リーグ時代、釜本の出場試合数はわずか251だった。この得点率の高さだけでも、彼がいかに時代を超越した存在だったか理解できるだろう。
小さな体を苦にせず、個性を伸ばして自らを磨き、工夫と努力を重ねて「J1最多得点」に至った佐藤と大久保。その功績は、現時点ですでに「偉大」と称していい。しかしふたりとも「202超え」という新たな目標に向かって奮闘してほしいと思う。
釜本は早稲田大学を卒業してから日本リーグで17シーズン、39歳までプレーした。そして最後の得点を記録したのは、佐藤と大久保が生まれた1982年の5月、38歳のときだった。この試合で、釜本はひとりで5本ものシュートを打っている。次の試合で右足アキレス腱断裂という大けがをしなければ、得点記録はさらに伸びていただろう。
34歳で今季を戦う佐藤と大久保。まだまだ時間はある。
(2016年3月16日)
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