サッカーの話をしよう
No.1066 時の支配者
その瞬間、私は湖から跳躍する魚の銀の鱗が朝日をはね返す光景を思い起こした―。
左タッチライン沿いで彼がボールをもつ。相手DFが寄せる。内側にボールを置いた彼が右足をバックスイングする。右サイドへの展開か。DFがさらに体を寄せる。その瞬間、彼は右足のインサイドでボールを左足の後ろ側に通し、一挙にスピードを上げてDFを置き去りにする。そして右足アウトサイドで鋭いクロス。右から疾走してきた仲間がジャンプして合わせる。
1974年ワールドカップ西ドイツ大会の1次リーグ、スウェーデン戦で見せたこのプレーは、「クライフ・ターン」と呼ばれるようになる。彼とはもちろん、先週の木曜日(3月24日)に68歳で亡くなったヨハン・クライフである。オランダが生んだ史上最高のサッカー選手であり、150年を超すサッカーの歴史でも屈指の名選手だ。
幸運にも、私はこのプレーをドルトムントのスタジアムで見ることができた。大半が陸上競技場だったこの大会、ドルトムントだけがサッカー専用競技場で、ピッチがとても近かった。そのスタジアムの前から7列目の席。クライフはまさに私の目の前で「クライフ・ターン」を演じた。ターンのとき、彼の足元がピカッと光ったように感じた。白い靴底が一瞬見えたのだ。
1947年4月25日、アムステルダム生まれ。地元のアヤックスで1971年から3年連続して欧州チャンピオンズカップ優勝。欧州年間最優秀選手賞にも3年連続で輝いた。だが彼に世界的な名声を与えたのは1974年のワールドカップ西ドイツ大会だった。
出場36年ぶりのオランダ。だが大会が始まると、世界のファンの注目はオレンジ色のユニホームに集まった。ポジションなどないかのように、オランダの選手たちは渦巻きのように動いて相手ゴールを襲った。1950年代から「これがサッカーの理想形」と言われていながらまだ誰も実現できなかった「トータルフットボール」が、ついに目の当たりとなったのだ。
「トータルフットボール」はクライフの天才あってのものだった。その天才とは「いつ」ということをどんな瞬間にも把握する能力だった。いつ走るのか、いつターンするのか、いつパスするのか、そしていつシュートするのか...。クライフは「時の支配者」だった。「トータルフットボール」は、その存在があってのものだった。
以来40年間、世界中のトップコーチたちが「オランダのトータルフットボール」の再現を目指してきた。だが「第2のクライフ」は現れない。当然、「トータルフットボール」も「見果てぬ夢」だ。
(2016年3月30日)
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