サッカーの話をしよう
No.1074 キリンカップを成長のステップに
5年ぶりのキリンカップが始まる。今週金曜日(3日)と来週火曜日(7日)の2日間、日本、ブルガリア、ボスニアヘルツェゴビナ、そしてデンマークの4チームが豊田と大阪で優勝を争う。
誕生は1978年。日本で初めての国際大会「ジャパンカップ」として始まった。1980年にキリンビールがスポンサーとなり、1985年に「キリンカップ」となった。
第1回大会はワールドカップ・アルゼンチン大会直前の5月下旬。西ドイツから「2冠」になったばかりの1FCケルンとブンデスリーガ準優勝のボルシアMG、ブラジルからパルメイラス、イングランドからコベントリーというプロの4クラブに、アジアから韓国代表とタイ代表、そしてホスト国から日本代表と日本選抜。計8チーム、全15試合が、全国の10都市を舞台に繰り広げられた。
決勝戦はボルシアMG対パルメイラス。延長まで戦って1-1のまま勝負がつかず、両チーム優勝となった。大きな花瓶型の七宝焼の優勝トロフィーがきちんと2つ用意されていたのはご愛嬌(あいきょう)だった。
もちろん、開催の最大の目的は日本代表の強化だった。前年、日本はワールドカップ予選で1分け3敗、無得点で惨敗し、さらに不世出のFW釜本邦茂が引退して大きな岐路に立たされていた。前年の秋にケルンに移籍し、ブンデスリーガ優勝に大きく貢献した奥寺康彦の「凱旋帰国」が第1回大会の目玉だったが、そのケルンと日本代表が東京の国立競技場で対戦した試合には4万人もの観客が集まり、試合が始まると日本代表に大きな声援を送った。
ちなみに、大会の初戦は1978年5月20日に大阪の長居競技場で行われた韓国代表×パルメイラス。パルメイラスが1-0で勝った。主審は、国際審判員17年目の浅見俊雄さん(当時44歳)だった。
さて、日本代表は1991年の第12回大会でようやく初優勝を飾る。監督は横山謙三。ラモス瑠偉とカズ(三浦知良)を中心に欧州や南米の名門クラブを倒し、3戦全勝の完全優勝だった。当時、日本代表は赤のユニホームを着ていた。
翌年、日本サッカー協会は「日本代表の対戦相手は他国の代表に限る」という方針を発表。1992年の第13回大会以降、キリンカップも代表チームだけの大会となった。日本代表は加茂周監督時代の1995年から1997年に3連覇。この大会を通じての成長が初のワールドカップ出場(1998年)をもたらした。
ハリルホジッチ監督下で迎えるキリンカップ。世界の舞台に立つだけでなくそこで戦える日本代表になるために、今回も成長のステップにしなければならない。
(2016年6月1日)
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