サッカーの話をしよう
No.1079 三重罰がなくならないケース
左タッチライン際から守備ラインの背後にワンタッチで大きく出されたパス。タイミングよく走りだした青いユニホームの7番が追う。追いすがるのは白いユニホームの5番。ペナルティーエリアにはいったところで青の7番が前傾しながらぐっと加速して体を前に入れる。遅れた白の5番は両手を相手の肩にかけ、2人はもつれながら倒れる。
7月2日、Jリーグ第2ステージ第1節のアビスパ福岡対浦和レッズ。青の7番は福岡MF金森健志、白の5番は浦和DF槙野智章である。そこに走ってきた池内明彦主審は右手でペナルティースポットを指し(ペナルティーキック=PK)、続いて腰のポケットからレッドカードを取り出して槙野に示した。
相手の決定的な得点の機会を阻止する反則を犯した選手を退場処分(レッドカード)で罰するルールが定められたのは1991年のこと。前年にイタリアで開催されたワールドカップで、こうした反則が横行した。イエローカード(警告)で済むなら、反則で止めたほうが得...。「プロフェッショナル・ファウル」とも呼ばれた行為を撲滅し、サッカーの魅力を取り戻すことが目的だった。
そのルールが、ことし25年ぶりに改正され、反則の種類によってはイエローカードだけで済むことになった。
欧州ではもう10年ほど前から「三重罰」への不満が募っていた。ペナルティーエリア内で「決定的得点機会阻止」の反則を犯すと、PK、退場(1人少なくなる)、そして少なくとも1試合の出場停止と、3つもの懲罰が重なり、厳しすぎるというのだ。何年間もの検討の末、ことしようやくルール改正された。
DFがスライディングで、あるいはGKが相手の足元に飛び込んで正当に防ごうとした結果、反則になってしまった場合には、イエローカードで済ませることにしたのだ。
ただし、こうした正当なプレーを試みた結果ではない反則、たとえば相手を押したり引っぱったり、プレーできる可能性がないのに体をぶつけた場合には、これまでどおりレッドカードが出される。槙野の場合には、絵に描いたような退場のケースだった。
その翌日、J2のロアッソ熊本対セレッソ大阪でもまったく同じような状況の反則で熊本DF薗田淳が退場となった。J1でもJ2でも、この週が新ルール適用の最初の試合だった。
奇妙なことに、前週までのJ1とJ2合わせて368試合では、決定的得点機会阻止による退場は皆無だった。新ルールが施行されたとたんに2例も生まれた理由がもし選手の理解不足にあったとしたら、恥ずかしいことだ。
(2016年7月6日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。