サッカーの話をしよう
No.1083 南米サッカーを発展させたオリンピック
「リオ2016」の開幕が目前となった。総合開会式に先んじて、今夜(日本時間明日午前)には女子の、そして明日には男子のサッカー競技がキックオフされる。
「23歳以下」の年齢制限に加え、クラブに選手の放出義務がないことで、今回の男子サッカーはやや精彩に欠ける印象がある。だが南米のサッカーにとって、オリンピックは歴史的に重要な意味をもつ大会なのだ。
南米サッカー連盟は加盟わずか10カ国。現在国際サッカー連盟(FIFA)に加盟している209カ国の5%にも満たない。だがこの南米がなかったら、世界のサッカーはどれだけ味気のないものになっていただろう―。
航空交通が一般化するのは20世紀後半のこと。1920年代初頭、世界はまだ広く、欧州―南米間で2週間もの船旅を必要とした。この時代、サッカーで「世界」と言えば欧州だけだった。1904年に誕生したFIFAに欧州以外から加盟国が出るのに8年間も待たなければならず、加盟しても欧州との交流があるわけではなかった。
1924年、その「未開の大陸」南米から初めて欧州の地に上陸したのがウルグアイだった。パリで開催されたオリンピックに出場したのだ。もちろん全員がアマチュア。キャプテンのホセ・ナサシは大理石を扱う工員だったが、1カ月以上に及ぶ欠勤により失職するのは確実だった。
欧州の強豪に叩きのめされるのが明白と思われるなか、国の援助も少なく、チームは最も安い便で渡航した。そしてスペインに到着すると練習試合を重ねて出場料を稼ぎながらパリにたどり着いた。
だが大会が始まるとパリのファンはウルグアイのサッカーに心を奪われる。魔法のようなボール扱い、小気味よいショートパス、チーム一丸の攻守...。なかでも「鉄のカーテン」と呼ばれたMFラインで圧倒的な存在感を見せたホセ・アンドラーデのプレーは最大の話題となる。そしてウルグアイは5戦全勝で優勝を飾る。決勝戦もスイスに3-0の完勝だった。
ウルグアイは4年後のアムステルダム大会で連覇を達成する。余談ながらウルグアイという国がこれまでのオリンピックで得た金メダルは、この2大会のサッカーでの優勝だけだ。その2年後、1930年には、地元開催の第1回ワールドカップで優勝、南米が欧州勢に対抗する勢力であることを世界に納得させる。以後、世界のサッカーは「欧州対南米」の対決構造のなかで発展していく。
南米サッカーが「世界」へ向け大きく飛躍するきっかけとなったオリンピック。南米で初めての大会が、いよいよ幕を開ける。
El Graficoより
(2016年8月3日)
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