サッカーの話をしよう
No.1093 サッカーとメディア 誕生時からの関係
「木々の葉が落ち、風が冷たくなるころ。それこそフットボールの季節だ。退屈な日々に喜びを与えてくれる、これ以上の存在はない」
そう書いたのは、「サッカーライターの祖」と言われるジョン・D・カートライトである。1863年10月24日、野外スポーツを扱う英国の週刊新聞『ザフィールド』に掲載された記事だ。
その2日後の10月26日月曜日夕刻、ロンドンを中心とするクラブや学校、12のフットボールチームの代表が都心の「フリーメイソンズ・タバーン」に集まった。「フットボール・アソシエーション(サッカー協会=FA)」を設立する初めての会合だった。
「フットボールのルールを定め、必要に応じて改正していく本部の設置は、人びとが熱望していたものだった」
10月31日付けの記事でカートライトはこう書いている。
10月26日は「サッカーの誕生日」と言ってよい。
英国各地で、あるいは各学校で、さまざまなルールの下で行われてきた「フットボール」。その統一ルールをつくろうという試みは1848年の「ケンブリッジ・ルール」で完成したかと思われたが、その後も混乱が続いていた。それに決着をつけたのが、15年後、1863年のFA設立だった。基本的に手を使わない現代スポーツとしてのサッカーが生まれ、そこから急速に人気競技に発展し、20年後にはプロも誕生している。
カートライトの記事は、サッカーの誕生時からメディアが深く関わっていたことを示している。実際のところ、メディアとサッカーは、誕生当時から切っても切れない関係にあった。
最初の「マスメディア」である新聞をつくるには安価の紙が大量生産されなければならなかった。19世紀はじめの蒸気機関の普及と、19世紀なかばのパルプ(木材)からの紙づくりの実用化で、ようやくそれが実現した。
サッカーもまた、蒸気機関をシンボルとする産業革命の申し子である。工場ができて都市に労働者が集まり、1850年の工場法改正により土曜日の午後が休みになった。人びとはその余暇を利用してスポーツを楽しむようになり、サッカー観戦に行くという文化が生まれた。
同時期に生まれたメディアとサッカー。新聞は大衆に人気のあるサッカーを報道することで発行部数を伸ばしていった。そしてサッカーも、新聞に報じられることによってファン層を広げていった。
さて今日、サッカーとメディアはどんな関係になっているだろうか。たまには、本来「互いに持ちつ持たれつ」であることを思い出してみるのもいいのではないだろうか。
フリーメイソンズ・タバーン
(2016年10月26日)
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