サッカーの話をしよう
No.1107 岡野俊一郎さん 伝えたサッカー文化
本紙運動部からの電話で岡野俊一郎さん(享年85歳)の訃報を知らされたとき、私は横浜にいた。茫然として言葉を失い、満足な返事もできなかった。帰宅して追悼の記事を書いたが、恥ずかしいことに、書き尽くせない思いだけが残った。なかでも「ダイヤモンドサッカー」に言及できなかったのは心残りだった。
ダイヤモンドサッカーは現在のテレビ東京で1968年4月から20年間放送されたサッカー番組。当時三菱化成社長で日本サッカー協会の副会長でもあった故・篠島秀雄さんが発案した日本初の海外サッカー番組だった。その第1回から最終回まで解説を務めたのが岡野さんである。
岡野さんはその数年前からNHKを中心にサッカー中継の解説で活躍、的確な戦術解説にはすでに定評があった。東京大学の大先輩である篠島さんから直接新番組の解説を依頼された岡野さんは、電話の前で頭を下げて「はい、わかりました」と即答した。
当時、海外のサッカーの情報など皆無に近かった。ワールドカップも決勝の結果が新聞に3行ほど載るだけ。「動くプレー」を見る機会などまずなかった。そんな時代にイングランド・リーグを中心とした試合がテレビで流れたのは、大きな衝撃だった。
そうしたなかで岡野さんはプレーの解説だけでなくその背景の「サッカー文化」をわかりやすく話した。何回かの渡欧体験だけでなく、毎月英国から本や雑誌を取り寄せて研究したものを語り続けた。
サポーター、ホームアンドアウェー、何よりも地域に根差したクラブのあり方、障害者もともにスポーツを楽しむ文化...。いまでは常識となっている事柄が、当時は何もかも耳新しく、新鮮だった。
「地域とスポーツとがサッカーを通じてどう結び付いているのかを日本で初めて紹介したのが『ダイヤモンドサッカー』だった」。20年間コンビを組んだ金子勝彦アナウンサーとの対談で、岡野さんはこう話している(『ダイヤモンドサッカーの時代』エクスナレッジ、2008年)。
番組の終了を待つように、1980年代末に本格化したプロ化論議は1993年のJリーグ誕生となって結実する。その原点は初代チェアマン川淵三郎さんが1960年の欧州遠征時に体験した西ドイツの「スポーツシューレ(スポーツ学校)」と言われる。しかしサッカーのクラブというものが地域とどう結び付くのか、ダイヤモンドサッカーを通じて「サッカー文化」というものの知識を深めた人びとがいなければ、このプロジェクトが成功することはなかっただろう。
Jリーグ誕生の四半世紀も前からその種をまき続けてきた岡野さん。その功績を語り尽くすことなど不可能だ。
岡野俊一郎さんと
(2017年2月8日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。