サッカーの話をしよう
No.1123 顧みるべき現代プロサッカーの考え違い
その光景を見て、あぜんとするしかなかった。
5月31日のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)浦和×済州(韓国)。延長戦終了直前には済州の交代要員が青いビブスをつけたままピッチ内に乱入して浦和の選手に暴行を加え、試合終了後には済州の選手たちがあちこちで浦和の選手たちに詰め寄った。許し難い蛮行と言える。
だが、ただ負けたから済州の選手たちが自制心を失ったわけではない。彼らが言うように浦和の選手が本当に挑発的な行動をとったのか、当日の映像を見直してもすべてはわからないが、済州の選手たちは侮辱と感じたのだろう。そこを少し考えてみたい。
日本に限らず、現代のプロサッカーで当然のように行われている得点後の芝居がかった「パフォーマンス」や勝利決定後の大げさな喜びの表現を、私は好まない。あまりに自己中心的で、相手への「リスペクト」のある行為には感じられないからだ。そうした行為が、節度なく、野放図に行われている現状がある。
半世紀ほど前に「ダイヤモンドサッカー」というテレビ番組が始まり、最初はイングランドリーグの試合が紹介された。強く印象に残ったのは、試合終了の笛が吹かれるとどちらのチームの選手も近くの相手チーム選手と握手し、スタスタと更衣室に引き揚げていく姿だった。そこには、試合が終わったらチームの別はない「ノーサイド」の精神があった。得点の後も、当時は軽く右手を上げる程度で、あとはチームメートと握手して自陣に戻っていた。
2011年になでしこジャパンが女子ワールドカップに優勝したときも、得点後のパフォーマンスなどなかった。アメリカとの決勝で澤穂希が奇跡的な同点ゴールを決めた後、澤は右手を上げて味方選手に走り寄り、あっという間にその輪にのみ込まれた。そしてその輪が解けると、選手たちは自陣に走って戻った。その喜びはごく自然で、過剰さなどみじんもなかった。
だが現代のプロサッカーでは、得点すればただひとりで走って仲間から逃れ、背中の名前を指さしてファンに「俺が取ったんだ」とアピールする。サッカーの得点は個人のものではなくチームのものなのに...。こんな行為は知性のなさを感じさせるだけだ。
そして勝利が決まると、大げさなジェスチャーでサポーターにアピールする。喜びを分かち合いたい気持ちはわかるが、その一方で、相手チームへの思いやりやリスペクトが忘れ去られている。
済州の選手たちの行為はあまりに愚かで、とうてい許されるものではない。だが私たちは少し立ち止まり、その背景にある現代のプロサッカーの「考え違い」を顧みる必要があるのではないだろうか。
(2017年6月7日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。