サッカーの話をしよう
No.1141 10月14日はアルゼンチン戦記念日
10月9日はすばらしい好天で、まさに「体育の日」にふさわしかった。だが「なぜ10月9日が体育の日なの?」と聞かれて当惑した。
もちろんこの祝日は1964年の東京オリンピック開会式の記念日である。1966年に制定され、本来は10月10日だったが、2000年に「ハッピーマンデー」で10月の第2月曜日となった。しかし特定の日を記念する祝日が毎年変わるというのはどうだろうか。
たとえば今週土曜、10月14日は、日本サッカー史で10指にはいる重要な記念日だ。1964年の東京オリンピックでアルゼンチンに勝ち、ベスト8進出を決定した日に当たる。
選手のアマチュア資格を証明できなかったイタリアが棄権し、ガーナ、アルゼンチンと日本の3チームになったD組。2日前のガーナとアルゼンチンの1-1の引き分けを受けて行われた第2戦が、日本対アルゼンチンだった。
会場は駒沢競技場。2万人収容だったが、水曜日の午後2時キックオフということもあり、入場券はまったく売れなかった。スタンドには女子高校生の姿が目立ったが、観客席を埋めるために「動員」されたものだった。テレビ放映もフルタイムではなく、後半8分からだった。
前半に1点を許して0-1で迎えた後半、テレビ放送開始を待っていたように日本が同点とする。後半9分、自陣からMF八重樫茂生のロングパスを追ったFW杉山隆一が突破、GKの出ばなをついてゴールに突き刺したのだ。
後半27分に勝ち越しゴールを許した日本だったが、36分には左サイドに流れながら杉山からパスを受けたFW釜本邦茂が果敢に縦に抜いてクロスを送ると、右から走り込んだFW川淵三郎が見事なヘディングで再度同点とするゴールを決める。そしてその1分後、今度は杉山が左サイドをドリブル突破、クロスをシュートした川淵とGKが衝突してこぼれたボールをMF小城得達が押し込んで逆転、3-2での歴史的勝利だった。
「サッカー」という競技を日本中に認知させたのが、まさにこの勝利だった。翌年に日本サッカーリーグが誕生、1968年のメキシコ・オリンピックの銅メダル獲得につながるとともに「サッカーブーム」が到来し、全国にサッカー少年団やスクールが誕生する。
4年後、1968年の「アルゼンチン戦勝利記念日」はメキシコ・オリンピックの初戦に当たり、ナイジェリアに3-1で快勝して銅メダルへの第1歩を記した日だった。
ハッピーマンデーには、3連休を増やして余暇を有効に使ってもらおうという意図があるという。しかし後の世代に歴史をきちんと語り続けていくためにも、記念日は正確に残すべきだと思う。
(2017年10月11日)
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