サッカーの話をしよう
No.1145 スタジアム・シェアリング
日本代表は欧州遠征でブラジル、ベルギーという強豪と対戦する。その第2戦、ベルギー戦が行われるのがベルギー北西部のブルッヘ(ブリュージュ、ブルージュ)。世界遺産に登録されている中世の町並み、そして市内に張り巡らされた美しい運河で知られる町だ。都市の名は、この運河にかかる無数の橋に由来するという。
この町の西の郊外に、今回の試合の舞台となる「ヤン・ブレイデル・スタジアム」がある。1975年建設。当初の名称は「オリンピアスタディオン」だったが、2000年欧州選手権のための大改修にあたり、この町があるフランドル地方に対するフランスの圧政に反抗した14世紀の英雄の名をにちなんで、98年に改称された。現在の収容数は2万9062人。独立した4つのスタンドで囲まれたサッカー専用スタジアムである。
何の変哲もない中規模スタジアムに見える。だが大きな特徴がある。「スタジアム・シェアリング」。このスタジアム完成以後、2つのクラブが非常に良い関係で「共用」しているのだ。両クラブの事務所もスタジアム内にある。
所有はブルッヘ市。使用者はこの町の2つのプロクラブ「クラブ・ブルッヘ」と「サークル・ブルッヘ」だ。1891年創立、青と黒の縦じまユニホームを着る「クラブ」は、ベルギー・リーグ優勝14回を誇る名門。今季もリーグ首位を独走している。一方、5年遅れて創設された「サークル」は緑のユニホーム。浮き沈みがあって現在は2部所属だが、1980年代には欧州の舞台でも活躍した。
「クラブ」は1981年の第4回キリンカップで来日したことがある。福島県郡山市での準決勝で日本代表に2-0で勝ち、決勝戦では同じクラブカラーのインテル・ミラノ(イタリア)と対戦してやはり2-0で勝って見事優勝を飾っている。
その5年後の1986年5月3日土曜日は、ブルッヘ市民にとって最も忘れ難く、誇りに満ちた日となった。連覇を目指す「サークル」と2回目の優勝を目指す「クラブ」、この町が誇る両クラブが、ベルギー・カップの決勝戦で対戦。この大会史上初めて、決勝戦の会場が首都ブリュッセルを離れ、オリンピアスタディオンで行われたのだ。
2本のPKをフランス代表FWパパンが決めた「クラブ」が3-0で勝った。だが試合後、ブルッヘ市内は、どちらのファンも入り交じって夜遅くまでお祭り騒ぎが続いたという。10年後にも決勝で両クラブが対戦したが、ブリュッセルでの開催だった。
世界には、ミラノなどいくつかの「スタジアム・シェアリング」がある。しかし「良好な関係」において、ブルッヘの右に出る例はない。
※一般的には「ブリュージュ」(Bruggeのフランス語読み)と表記されますが、この町はベルギーでもフラマン語(オランダ語)地域のため、現地では「ブルッヘ」に近い発音になります。
2000年欧州選手権時のブルッヘのスタジアム
(2017年11月8日)
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