サッカーの話をしよう
No.1153 東京五輪は『育成』をテーマに
2020年の東京五輪で中心になって戦う世代の日本代表が本格的に動き出す。
2020年に「23歳以下」だから1997年以降の生まれの選手たち。昨年10月に森保一監督が就任、12月にタイで開催された親善大会に出場した時点では「U-20日本代表」だったが、年が明け、「U-21日本代表」としてアジアU-23選手権(中国)に臨む。初戦は今夜8時半(日本時間)開始のパレスチナ戦だ。
「自国開催の五輪。皆さんが望んでいることはメダル獲得だと思うので、そうできるようがんばりたい」
10月の就任会見で、森保監督はそんな発言をした。もちろん、東京五輪は日本のサッカー界にとって重要な大会である。日本中が五輪に夢中になっているときに、早々の敗退で「カヤの外」になってしまうのは辛い。しかし森保監督にはそれ以上に大きな使命がある。日本代表となってワールドカップで活躍する選手を育成することである。
これまで、日本は1996年から6回の五輪と5回のワールドカップに連続して出場を果たしてきた。ワールドカップも、ことしのロシア大会で6大会連続となる。そしてその両者に密接な関係があるのは明らかだ。
1996年以来の「五輪選手」は重複を除くと104人。そのうち40人がワールドカップにも出場している。しかし非常に興味深いのは、五輪の成績と選手のその後の活躍との関係性がほとんど見られないことだ。2004年のアテネ五輪と2008年北京五輪はどちらも1次リーグ敗退だったが、ともに18人の半数の9人をその後のワールドカップに送り込んだ。ベスト4の快挙を成し遂げた2012年ロンドン五輪から14年のブラジル・ワールドカップ代表入りしたのは7人だった。
反町康治監督が率いた2008年の「北京五輪組」は3戦全敗と散々の成績だったが、DF吉田麻也、MF本田圭佑、香川真司、FW岡崎慎司と、2010年代に日本代表を牽引するだけでなく欧州のトップリーグでスターとして活躍する選手たちを輩出した。
昨年11月に日本代表の欧州遠征の取材でベルギーのブリュージュに行ったとき、街角で森保監督を見かけた。あわてて昼食のハンバーガーをテーブルに置き去りにして追いかけ、呼び止めてしばらく立ち話した。「五輪メダルより日本代表の育成を」と話すと、「僕もそのつもりです」と力強い言葉が返ってきた。
「2022年のカタール・ワールドカップにひとりでも多く行ってもらえるような育成をしていきたい」
就任会見でも、森保監督ははっきりとそう語った。東京五輪代表は、「2020年代の日本代表選手育成」をテーマに追っていきたいと思う。
(2018年1月10日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。