サッカーの話をしよう
No.1155 鎖骨に広告?
先週はユニホームの色の話だった。ついでにユニホームにまつわる話をもうひとつ。
Jリーグは今季からいわゆる「鎖骨スポンサー」を許可した。ユニホームの前面上部の左右2カ所に広告を入れることを認めたのだ。
クラブチームのユニホームは、現在では広告なしだと間が抜けているようにさえ見える。だがそれが始まったころには大きな摩擦があった。
スポーツのユニホームに広告を入れた最初はウルグアイの名門サッカークラブ「ペニャロール」。1950年代のことだった。欧州では1970年代になってフランスやデンマークなど財政難に苦しむリーグのクラブで導入された。だが多くの国では、クラブと地域の象徴であるユニホームに広告を入れることに、リーグや協会だけでなくファンの間でも強い拒否反応があった。
1973年はじめ、当時ドイツ・ブンデスリーガの強豪のひとつだったブラウンシュバイクが酒造業の「イエーガーマイスター」と契約し、ユニホームの胸に同社の男鹿のマークをつけようとした。契約金は16万マルク。当時のレートで1664万円ほどだった。
ドイツ協会は許可しなかった。しかし自分たちの収入にかかわる選手たちは投票でクラブエンブレムを従来のライオンから男鹿に変えることを決議、クラブはその年の3月から実質的に広告つきのユニホームで公式戦を戦った。ドイツでユニホーム広告が正式に認められたのは、その年の10月のことだった。
こうして、せきを切ったように、1970年代半ばから欧州各国のクラブユニホームに広告がはいるようになる。胸の正面につける広告はテレビ中継のアップ画面や新聞・雑誌の写真で非常に目立つ。新しい広告収入はクラブの重要な財源になっていく。
その流れに最後まで抵抗したのがスペインのFCバルセロナ。だが2006年、ユニセフに約1億7000万円を寄付したうえに無料で胸にユニセフのロゴをつける前代未聞の「胸広告」をつけると、2010年にはカタールの企業と年間約38億円の契約を結んだ。さらに昨年からは年間約80億円の史上最高額で日本の「楽天」を胸広告につけている。
日本では、1992年、Jリーグ時代になって可能になったユニホーム広告。現在ではアマチュアチームでも日本協会に申請することで胸に広告をつけることができる。Jリーグ、なでしこリーグ、フットサルのFリーグでは、胸のほかに背中や袖にも広告を入れることが認められている。
だが胸広告の収入はJ1でも3億円程度。バルセロナとは比較にならない。「鎖骨」にまで広告を許すのは、苦しいクラブ経営を少しでも助けるためにほかならない。
(2018年1月24日)
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