サッカーの話をしよう
No.1165 通訳にかかっている
「サッカーの通訳は、何よりもサッカーとその用語に通暁していなければならない。しかし正確なだけではいけない。話し手のメッセージを正しく伝えられるよう、文化に合わせて脚色することも、良い通訳の重要な要素だ」
そう語るのは、1980年代にスペインのFCバルセロナで英国人監督テリー・ベナブルズの通訳を務めたグラハム・ターナーである。
日本代表は8年ぶりの日本人監督誕生でワールドカップまで通訳なしの状態になったが、Jリーグではいまもたくさんの通訳が活躍している。J1の18クラブで現在外国人監督は7人。今週浦和に着任したオズワルド・オリヴェイラ監督には、日本サッカー協会でハリルホジッチ前日本代表監督の通訳も務めた羽生直行さんがついた。監督が力を発揮するためには優秀な通訳が不可欠であることを、どのクラブもよく理解している。
四半世紀のJリーグの通訳で異色な存在が、2003年から2006年までジェフ千葉でイビチャ・オシム監督の通訳を務めた間瀬秀一さんだ。クロアチアでコーチの勉強をしようとしているときにオシムさんの通訳になり、実のところ翻訳は正確ではなかったらしいが、オシムさんの哲学を理解し、「オシム語録」が生まれるほどの名通訳となった。
間瀬さんは通訳のかたわら一からコーチの勉強をし、10年かけてJリーグの監督ができるS級ライセンスを取得、2015年にはJ3の秋田の監督となり、2017年からはJ2の愛媛で指揮をとっている。
Jリーグで2クラブ目、3クラブ目と渡り歩く外国人監督は珍しくはないが、通訳もいっしょに動くことが多い。ことしから札幌を率いているミハイロ・ペトロヴィッチ監督は2006年に広島にきて以来、浦和、そして札幌と日本で13シーズン目となるが、広島時代から一貫して杉浦大輔さんが通訳を務めてきた。
ドイツでコーチの勉強をした杉浦さんは、広島時代からコーチとして通訳を兼務している。13シーズンにもわたってペトロヴィッチ監督が好成績を残してきた背景には、彼の戦術も哲学も深く理解し、選手やメディアに伝えてきた杉浦さんの存在がある。
言語の背景にはそれぞれの長い歴史や文化があり、ときとして「通訳不可能」なことまで伝えなければならない。
冒頭のターナーは、あるときベナブルズ監督がわずか2語の英語で話した指示を正確に伝えようと、スペイン語で30語も話してしまったことがある。そのとき監督は、吹き出しながら「きみは自分の作戦を話しているんじゃないか」と大笑いしたという。
通訳は本当に難しい。だがその能力に、現代のサッカーは多くを負っている。
(2018年4月25日)
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