サッカーの話をしよう
No.1177 『過重労働』だったビデオ副審
「過労死が出るのではないか」と心配になった。ロシアでのワールドカップでのビデオ・アシスタントレフェリー(VAR)である。
開幕戦でVARを務めたイタリアのイラティ氏が、翌日もポルトガル×スペイン戦の担当をしていた。開幕戦はモスクワ、翌日の試合は南へ1400キロも離れたソチ。ただイラティ氏は飛行機には乗らない。モスクワに置かれた放送センター内のVAR室が彼の仕事場だからだ。
32チーム出場のロシア大会の総試合数は64。リストに掲載された主審は35人、副審は62人。それに対しVARはわずか13人。この大会では試合ごとに4人のVARが使われることになっていたから、どう考えても足りなかった。
ただし4人の仕事は一様ではない。メインのVARのほか、アシスタントVAR、オフサイド専門のVAR、さらにサポートVARと役割が分担されていた。オフサイドVAR15人はすべて副審リストからピックアップされた。主審リストからも6人がVARを兼務し、全19人でオフサイド以外の3つの役割をこなした。これでひとり平均10試合ほどの担当になるはずだ。
ところがその担当数に大きなばらつきがあった。開幕戦だけでなく決勝も担当したイラティ氏はVAR14試合、サポートVARを3試合、合計17試。オランダのマケリー氏も11試合と7試合で、合計ではイラティ氏を上回った。その一方、VAR専任として指名されながらメインのVARをいちども務めなかった審判員が13人中4人もいた。
オフサイドVARのばらつきはさらに激しい。イラティ氏と組んで開幕戦と決勝戦を担当したチリのアストロサ氏はなんと18試合も担当した。
大会期間は32日間。うち試合があったのは25日間。イラティ、マケリー、アストロサの3氏は、実にその約3分の2を狭いVAR室で10数台のモニターとにらめっこしていなければならなかった。ピッチ上の主審で最も多く試合で笛を吹いたのは開幕戦と決勝戦を担当したアルゼンチンのピターナ氏、5試合だった。
VARは走る必要がなく、旅行も不要。試合は延長PK戦になっても3時間弱だ。しかしその間、一瞬たりともモニターから目を離すことは許されず、介入すべき事項かピッチ上の審判員に任せるべきか、瞬間、瞬間に判断を下し続けなければならない。VARは猛烈な精神的消耗を強いる仕事だ。それを短期間にこんな頻度で担当させるのは明らかに「過重労働」だ。
失敗は許されなかった。だから「エースの連投」になったのだろう。だが大事な試合を任せられるVARがほんのひと握りしかいなかった事実が、ワールドカップで使うほどVARが成熟していなかったことの何よりの証拠だ。
(2018年8月15日)
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