サッカーの話をしよう
No.1183 欠落したヘディングの指導
ことしのワールドカップ、準々決勝のイングランド×スウェーデンで「ヘディングの芸術」のような試合を見た。両チームとも頭で美しくパスをつないだ。
1993年にスタートしたJリーグの25年間で、日本のサッカーは長足の進歩を遂げた。技術、戦術だけでなく、フィジカルもメンタルも、25年前の選手たちと大きな違いがある。だがただひとつ、まったく進歩していないものがある。ヘディングの技術だ。
頭でボールを打つ「ヘディング」というプレーは、サッカーにしかないもの。「手を使えない」ということとともに、ヘディングはサッカーを特徴づけるプレーといえる。
私は、ヘディングは基本的に簡単な技術だと思っている。両目にいちばん近いところでできるプレーだからだ。手や、目からいちばん遠い足でボールをとらえるより、ほぼ両目の間でボールをとらえるほうがはるかに簡単だ。
日本選手がヘディングができないというわけではない。みんな毎日の練習のなかで必ずヘディングを繰り返している。私が言いたいのは、ヘディングで味方に渡すことができないということだ。
この25年間で、キックの精度は明らかに向上している。長短のパスを必要に応じて使い分け、パスをつなぐ技術はワールドカップでもけっしてひけを取らない。しかしいったんボールが空中に上がり、頭で味方につなげなければならなくなったとき、日本選手のヘディング技術はまるで幼児のようになってしまう。
相手がいる状況、すなわちヘディングの競り合いかどうかは関係がない。相手がいなくても、日本選手のようにただ前にはね返すだけでは、相手に渡る確率が高い。これはサッカーという競技の自然の姿と言ってよい。自分がプレーするとき、味方は10人、相手は11人だからだ。
日本選手がヘディングがへたなのは、明らかに指導の欠陥といえる。ヘディングといえばいかに相手に競り勝つかの練習しか行われておらず、「正確に味方につなげる」という、キックでは当たり前のテーマが欠落しているのだ。
日本選手は上がったボールしか見ず、ただ相手より先にボールに触れようとする。だが正確に味方に渡すには、ボールの落下点を見極めた後、ボールから目を離して味方と相手選手の状況を見、どこにどんな「パス」をするか、判断する必要がある。そして再びボールを見て正確にヘディングをする。このトレーニングを集中的にすれば、ヘディングでのパス能力は短期間で飛躍的に向上するはずだ。
日本選手にイングランドやスウェーデンのようなヘディングができたら、Jリーグの試合は確実に質が変わる。
(2018年9月26日)
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