サッカーの話をしよう
No.1188 鳥肌が立った『アドバンテージ』の判断
その瞬間、鳥肌が立つ思いがした。10月27日のJリーグ・ルヴァンカップ決勝、決勝ゴールとなった前半36分の湘南ベルマーレの得点シーン。
24メートルの距離から強烈なシュートを決めた湘南MF杉岡大暉のプレーではない。目を見張ったのは、木村博之主審の冷静そのものの「アドバンテージ」の判断だ。
湘南が右サイドで短くパスをつなぎ、下がってきたFW石川の足元にライン沿いからパスが出る。石川はすぐ近くのMF岡本に落とす。その直後、横浜DFドゥシャンが石川の背後から体をぶつける。明白な反則だ。だがパスは岡本に渡る。木村主審もプレーを近くで見ていた相楽亨副審も「アドバンテージ」を意識したに違いない。
反則だから止めるのではない。反則があってもプレーを継続させることで反則を受けた側が利益を得そうなときにはプレーを続けさせる「アドバンテージ」は、サッカーの審判に委ねられた高度な判断のひとつだ。少し待ってなりゆきを見守る「ウェイト・アンド・シー」を、審判たちは常に自分に戒めている。
さて、ルヴァンカップ決勝の前半36分のシーン。ボールが岡本から少し後方内側のDF山根に渡るのを見た相樂副審は右手にもった旗をさっと上げた。たしかに、山根の前には2人の相手選手が立ちふさがり、ここから大きなチャンスが生まれる感じはなかった。ここでプレーを止めてFKにしても、湘南ベンチからも文句は出なかっただろう。
相樂副審の旗を見て、木村主審は右手の笛を口にもっていく。実際、山根が縦に出そうとしたパスは相手選手に当たり、大きく方向が変わる。その20メートル先には横浜の選手。ここで吹いてもよかった。
しかし木村主審はもう一瞬待った。すると、立ち止まった横浜の選手の背後からいきなり湘南の緑のユニホームが出てきた。この瞬間、木村主審は笛を口から離し、手のひらを上に向けて両腕を力強く前に出して全身で「アドバンテージ」を示した。こぼれてきたボールを自分のものにした杉岡が渾身(こんしん)の左足シュートを放ったのはその直後のこと。そして結局、この1点が決勝点となった。
石川がファウルを受けてから木村主審がアドバンテージのジェスチャーをするまで約3秒間。その間に3本のパスがあり、うち1本は相手選手に弾かれ、両チーム合わせて9人もの選手がプレーに関与した。副審の旗も上がった。その間の出来事を瞬間瞬間で整理し、下した判断は、本当に見事だった。
決勝点を実現させた木村主審に、湘南は感謝するべきだろうか。いや、木村主審が本当に守ったのは、サッカーという競技の奥深い魅力と、審判員の名誉だった。
(2018年10月31日)
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