サッカーの話をしよう
No.1194 ウィツェル 中国から世界へ
ベルギー代表のMFアクセル・ウィツェル(29)は、11月に代表出場百試合を超えた。
19歳で代表にデビューしたが、どちらかといえば地味な存在だった。しかしことしのワールドカップでは中盤のリーダーとして成熟したプレーを見せてベルギーの快進撃を牽引し、高い評価を得た。
大会後、中国の天津権健からドイツのボルシア・ドルトムントに移籍。ドルトムントは現在無敗でブンデスリーガの首位を快走しているが、それが成功率94%という驚異的なパスの精度でチームを一体化させるウィツェルの存在に負うところが大きいと、多くの専門家が指摘している。
「中国でのプレー経験がウィツェルをワールドクラスの選手に脱皮させた--」。こんな興味深い記事を、ドイツで最大の発行部数を誇る週刊誌『シュピーゲル』のWEB版が先週掲載した。
日本代表がことし3月に試合をしたリエージュで生まれたウィツェルは、地元の名門スタンダールでデビュー。22歳のときにポルトガルのベンフィカに移籍、翌年にはロシアのサンクトペテルブルクに移った。その間もベルギー代表に選ばれ、2014年にはワールドカップ出場も果たした。
だがイタリアの名門ユベントスからオファーがあったと報じられた2017年1月、28歳目前の彼が選んだのは中国の天津権健。26億円と伝えられた巨額の年俸提示に抗えなかったと、後に彼自身が認めている。「これで表舞台から下りた」と多くの人が考えた。
しかし彼の才能を満開にさせたものこそ、中国での経験だった。かつては前へ前へと突進していくMFだった。だが欧州のようなマークの厳しさがないなか、彼は中盤の中心にポジションをとり、正確なパスで攻撃と守備を結びつけることを学んだ。シュピーゲル誌が「ゲーム・デザイナー」と表現したこのプレーこそ、ことしの夏にワールドカップでベルギーを躍進させ、秋にはドルトムントを快走させる原動力だった。
振り返れば、かつてはJリーグ所属でワールドカップに出場したり、Jリーグから欧州に移って世界的な名声を得た外国人選手が何人もいた。
フランスで腐りかけていたFWエムボマは、G大阪でストライカーとして目覚め、以後2回のワールドカップでカメルーン代表を牽引した。韓国の朴智星(パク・チソン)は、京都で才能を開花させ、後にマンチェスター・ユナイテッドで欧州チャンピオンズリーグ優勝に貢献した。
外国人選手枠を広げたJリーグ。だがファンの心を本当に熱くさせるのは、峠を過ぎたビッグネームではなく、Jリーグで伸びて世界に羽ばたく中堅や若手のはずだ。中国で成熟のチャンスをつかんだウィツェルのように...。
(2018年12月12日)
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