サッカーの話をしよう

No.63 MLS不安な門出

 シカゴでタクシーに乗ったとき、運転手が珍しくサッカーに詳しいのでどこの出身か聞いた。
 「エクアドルだよ。もちろんサッカーがナンバーワンの国さ。ママが電話してきて『お前の町でやっている試合ををいまテレビで見ているよ』っていうんだ。でも僕は見にはいけない。仕事は休めないし、それになんていっても入場券が高すぎるからね」

 成功裏にワールドカップを終えたアメリカ。サッカー協会会長アラン・ローゼンバーグは、すでに次のプロジェクトであるメジャーリーグサッカー(MLS)のキックオフに向け精力的な動きを見せている。
 MLSは95年4月に開幕する新しいプロサッカーリーグ。全国の12都市を舞台に試合を行い、ワールドカップで盛り上がったサッカー熱を根づいたものにしようという狙いだ。

 現在、世界では新しいプロリーグの設立が大きなブームだ。その筆頭が日本のJリーグだが、これは欧州のクラブとリーグを理想像としてつくられた。だが、MLSは非常に特殊なリーグとなる。選手やチームの契約をすべてリーグが掌握するというのだ。当事者は「一元構造」と呼んでいるが、要するに、MLSは単体の企業であり、所属チームは参加するそれぞれの都市に割り当てられたひとつの「支社」にすぎない。
 こうしたリーグにする理由は、テレビ放映とスポンサーという今日のプロスポーツに不可欠な二要素をフルに活用するためだ。とくに近年のプロスポーツの大問題であるリーグとチームスポンサーとのバッティングは完全に回避できる。

 MLSの最大の悩みは競技場だ。適度と考えられている3万人程度の中規模スタジアムが、アメリカにはほとんどない。MLSはモデルを示して参加都市に新スタジアムの建設を求めているが、それまでは貧弱な施設を使うか、ワールドカップで使ったトップクラスのスタジアムを「ダウンサイジング」して使う。2階席を布で覆って、スタンドを小さくするのだ。
 しかしこのスタジアムもいっぱいにすることができるのだろうか。ワールドカップを取材しながら、私はアメリカ人とサッカーのつながりを考えつづけた。テレビのニュースが、アメリカ人の興味を反映しているとすれば、ワールドカップは何番目だったのか。
 OJシンプソンの殺人事件だけではない。プロ野球のニュースが、常にワールドカップに先んじていた。アメリカには、フットボール、バスケット、アイスホッケーなど巨大なプロスポーツがある。MLSはそれに対抗、あるいは共存していかなくてはならない。

 アメリカ・サッカーの希望は、数百万人という少年少女のサッカー層だ。彼らの成長によって、ファンは増えるだろうとMLSの広報資料は説明する。だがこの少年少女は、同時に他のスポーツもやっており、親たちからは伝統的なスポーツの教育を受けている。
 もうひとつの「潜在ファン層」は、中南米を中心とする巨大な移民人口だ。だが冒頭で書いたように、ワールドカップの国にいながら、彼らの大半は「ワールドカップの外側」だった。

 アメリカ人がサッカーを好きになれないのは、ゴールが少ないからだという話を聞いた。前回に比べれば得点数が増えたが、決勝戦は0−0。「やっぱりサッカーは...」という意識を、アメリカ人たちはもったかもしれない。
 ワールドカップ自体はすばらしい成功だった。だがアメリカ・サッカーの未来について、私は楽観的な気分にはなれないのだ。


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(1994年7月26日=火)

No.62 光は見えた。しかし世界はまだ扉を探している

 52試合で356万7415人。一試合平均6万9000人に近い大観衆を集めたワールドカップ・アメリカ大会。近年の大会につきものだったサポーターのトラブルもなく、非常に平和な大会だった。

 4年前のイタリア大会は52試合で115ゴールしか生まれず、アクチュアルタイム(試合のなかで実際にプレーが動いている時間)も54分あまりしかなかった。すばらしい運営の大会だったが、肝心のサッカーがつまらなくては元も子もない。「もっと積極的なサッカー、点を取り合っておもしろいサッカー」を目指して行われた今大会はどうだったのか。
 ゴール数は140(1試合平均2.7)、アクチュアルタイムは60分を超した。決勝戦こそ0−0からPK戦になったが、これを入れて無得点に終わった試合はわずか3。数字の上では、国際サッカー連盟(FIFA)の狙いは十分達成されたことになる。

 世界のサッカーはまだ守備重視の方向から抜け出せず、守備の組織力はこの大会でもどの各チームもすばらしいものをもっていた。だが、今大会ではそれを突き破る攻撃技術、コンビネーションプレーにも見るべきものがたくさんあった。
 守備を安定させるために「守備的MF」を2人置くチームが多かった分、サイドバックの攻撃参加がますます重要な意味をもってきた。いや「攻撃参加」という言葉はもう当たらない。ブラジルやルーマニアなどでは、サイドバックは両サイドからの攻め手としての「義務」を負っていた。
 この面でブラジルはすばらしいタレントの宝庫だった。大会前の予定では右にジョルジーニョ、左にブランコ。しかしブランコの負傷で出たレオナルドは大会前半のスターとなる。そのレオナルドが出場停止になるとブランコが登場して大事な場面でFKを決める。決勝ではジョルジーニョが負傷。だが代わったカフーはこの試合でもっとも活発なアタッカーとなった。

 いわゆる「点取り屋」の活躍が目立ったのも、大会総得点が増えた理由だった。得点王は過去四回の大会と同じ6ゴールだったが、それがふたり(サレンコとストイチコフ)、そして5得点が4人(K・アンデション、クリンスマン、ロマリオ、バッジオ)もいた。決めるべき人が決めるべきときに決めたことがそれぞれのチームの上位進出につながったことで、大会は盛り上がった。

 しかし残念なことに、86年大会のマラドーナのような「スーパースター」と呼ぶことのできる選手も、74年大会のオランダ、82年大会のブラジルのような「スーパーチーム」も見当たらなかった。
 バッジ、ロマリオはたしかにすばらしい才能をもった選手だった。しかしどのような問題をかかえていたにせよ、決勝戦という歴史に残る舞台でその才能を発揮できなかったところに、彼らの限界があった。
 アルゼンチン対ルーマニア(決勝トーナメント1回戦)、ブラジル対オランダ(準々決勝)など、スリルに満ちたすばらしい試合もあった。だが、決勝戦が史上初めて無得点試合となったところに、この大会のサッカーが象徴されていた。

 ワールドカップUSA94は、攻撃的でより楽しいサッカーへの光を見た大会だった。その光は、選手たちの技術の向上がもたらしたものだった。しかし本当に喜びに満ちあふれたゲームになるために、世界のサッカーはもっともっと技術の高い選手をもっともっと必要としている。
 光は見えた。しかし世界のサッカーはまだ「扉」を探している。

(1994年7月19日=火)

No.61 時間の浪費こそ大敵

 「サッカーの試合時間は何分?」と聞かれれば、たいていの人は「前後半合わせて90分」と答えることができる。こんなことは、いまでは日本人の常識だ。だが、アメリカで行われているワールドカップでは、その常識は通用しない。

 ほとんどの試合が、前後半合わせると95分以上になる。私が見たなかでは予選リーグC組の韓国−ボリビア戦が、なんと104分にもなった。後半だけで53分半もあった。
 国際サッカー連盟(FIFA)が主審に「浪費された時間はすべて補うこと」という指示を与え、それが徹底されているからだ。

 サッカーでは試合時間の管理は主審の専任事項。主審が自分の腕時計を使って時間を計る。そして、何分浪費され、その結果45分が過ぎてから何分補うかの決定も、主審ひとりに任されている。
 アメリカン・フットボールでは、公式の時計員が場内の時計を動かす。それが0になれば試合は終了だ。だからワールドカップでは電光掲示板の時計が45:00に近づくと、「公式時計はフィールド内で行われています」という場内アナウンスが毎試合行われた。

 試合時間九十分といっても、実際にプレーが動いている時間(アクチュアルタイム)はトップクラスの試合では驚くほど少ない。4年前のイタリア大会では平均54分間強だった。
 これを重く見たFIFAは、今大会の重要な目標のひとつとして、アクチュアルタイムを伸ばすことを決めた。その具体的な施策が主審への指示だった。
  大会途中の集計で、FIFAは「アクチュアルタイムが60分を超した」と発表した。前大会より6分間も増えたことになる。
 だが、これには「からくり」がある。そう、実際の試合時間が大幅に伸ばされているのだ。いわゆる「ロスタイム」を毎試合5分間もとれば、アクチュアルタイムが伸びるのは当然だ。

 たしかに、アクチュアル・タイムが少ないことはサッカーにとって大きな問題だ。だが、その補償の責任を主審ひとりに負わせる方針には疑問を感じる。大幅に時間を伸ばすのは、主審にとって大きなプレッシャーになるからだ。
 ワールドカップのように選りすぐられた審判がFIFAの直接の管理下で仕事ができる場合はまだいい。しかし通常、たとえばホームチームが勝っているときに、平気で5分間も伸ばせる審判がいるだろうか。
 ここまでしてアクチュアルタイムを伸ばしたいのなら、公式タイムキーパーを置いて、アクチュアルタイムが30分間になるまで前半、後半を戦わせたほうがまだましだ。

 だがもちろん、この案を薦めるわけではない。いちばん大事なのは、選手が、そしてチームが時間を浪費しないように努力することだ。現在は、負傷を装ったり、相手の素早いフリーキックを妨害したり、ゆっくりとボールを拾いに行ったなど、時間を浪費する行為が当然のようにまかりとおっている。それをなくさなければ、サッカーはどんどん喜びを失ってしまう。

 「ロスタイム」といえば昨年のワールドカップ予選のイラク戦だ。あのとき、右から攻めてセンタリングでボールを相手に与えてしまったプレーを「戦術的に未熟」と非難した人が多かった。だがセンタリングしたとき、彼は「もう1点」を狙っていたはずだ。それがサッカーをする心だ。
 試合時間を伸ばすことでアクチュアルタイムを伸ばすのは、けっして「最善」の方法ではない。本当に楽しいゲームに戻るために、現代のサッカーに与えられた課題は大きい。

(1994年7月12日=火)

No.60 フロスリッド親子 ワールドカップの夢

 ワールドカップ・アメリカ大会も後半にかかり、9都市のうちのいくつかは最終試合を終えて会場を閉じた。シカゴも2日のドイツ−ベルギー戦が最終戦。試合後数時間たったメディアセンターでは、仕事をほとんど終えたボランティアの役員たちが記念撮影をしたり、バッジを交換しあう風景が見られた。
 そのなかで、若いボランティアたちから次つぎと抱擁を受ける老婦人がいた。サラ・フロスリッド(64歳)さん。メディアセンターの「受け付け嬢」だ。

 世界各国から数千人の報道関係者が集まったこの大会、各地のメディアセンターで記者やカメラマンの助けをしてくれた人びとの大半はボランティアだった。年齢も職業も多彩。学校の夏休みを利用し、あるいは休暇をとってやってきた。報酬はない。ただ、ユニホームであるTシャツとおそろいのトレーニングウエアを支給され、毎日数時間ずつ交代で働くのだ。
 サラさんもそうしたボランティアのひとりだ。息子のジムさん(27歳)が地元組織委員会のシカゴ会場のプレスオフィサー(メディア関係の責任者)として働くことになったので、少しでも助けをしようと、そしてアメリカで開かれる世界最大のスポーツ大会の手助けをしようと、ミネソタ州からやってきたのだ。

 ジムさんの話によると、この大会でボランティアとして働いている人は全九会場で1万人以上。仕事もメディア関係から輸送、案内など、大会運営のあらゆる分野にわたっている。
 「ボランティアなくしては、この国でワールドカップを開催することは不可能だった」と、彼は真剣な表情で話した。
 アメリカでは、ボランティア活動が非常に高く評価されている。専攻科目に関係する活動であれば、ボランティア活動をしたということだけで単位の一部を与える学校もある。ジムさんの下で働く187七人のボランティアのなかにもそうした学生が数人おり、大会終了後、ジムさんは彼らのために証明書を書く。
 学生や仕事のない人ばかりではない。社長が会社の経営を部下に任せて出てきている例も少なくない。FIFA役員の送迎に、自分のベンツをもってくる社長もいる。
 警備だけはボランティアでなく、警備会社に一任している。だが警備員の大半は学生のアルバイトだ。
 大会運営のために働くプロフェッショナルたちはほんのひと握り。その数十倍のボランティアで運営されているのが、このワールドカップなのだ。

 もちろん、どの国でもボランティア抜きで大きなスポーツ大会を開催することはできない。しかしこれほど多くの人が、これほど一生懸命に、しかも無料で働く光景は見たことがない。
 2002年に日本で開催しようとしているワールドカップ。スタジアムや施設は立派なものができるだろう。協賛企業もたくさん集まるだろう。そこからたくさんの人が出向として派遣されてくるだろう。しかしボランティアは?
 正直なところ、プロフェッショナルでない人びとの仕事のペースにはイライラすることもある。だが、彼らの表情を見ると、心から役に立ちたいと、観客や報道関係者の助けをしようと思っていることがわかる。
 アメリカ軍の子供たちに英語を教えるために、40年も前に1年間横浜に滞在したことがあるというサラさん。帰りぎわに「サンキュー」と手を出すと、彼女は素敵な笑顔を浮かべ、シワだらけの両手で私の右手を握りしめながら「ドーイタシマシテ」と当時覚えた日本語で言ってくれた。


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(1994年7月5日=火)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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