サッカーの話をしよう

No.81 平塚にはいつも新しい発見があった

 世界のサッカー界の年末の楽しみは「年間最優秀選手」や「最優秀チーム」などの発表だ。この時期になると、各国の雑誌や新聞が専門家や読者の投票でいろいろな表彰を行う。
 3年前からは、国際サッカー連盟自身までも各国代表監督の投票による「世界最優秀選手」の選出を行っている。日本からは過去2回ハンス・オフトが投票していたが、ことしはどうなるのか。どうでもいい話だが、ちょっと気になる。

 本題にはいろう。日本の「年間最優秀クラブ」あるいは「クラブ・オブ・ザ・イヤー」を選ぶなら、私はベルマーレ平塚に1票を投じたい。
 ことしJリーグに昇格、第1ステージでは11位に低迷したが、第2ステージはヴェルディと最後まで優勝争いを展開した。
 本紙運動部の財徳健治記者が、ある雑誌に「ベルマーレがいなかったらと思うとゾッとする」という記事を書いていた。そのとおり、実力下降ぎみのチームが多いなかで、Jリーグの第2ステージはベルマーレのはつらつとしたプレーが大きな救いだった。

 しかしここで私が「最優秀クラブ」に推すのは、チーム力の充実やプレーぶりの良さだけではない。
 2年目を迎えてやや初心を忘れつつあるチームが目立ってきたなかで、ベルマーレ平塚は真剣に「Jリーグの理念」を考え、クラブや試合の運営に取り組んでいるように思えるからだ。

 平塚へは、そう何度も通ったわけではない。しかし行くたびに、毎回新しい発見があった。
 最初は、「こんな運営で大丈夫かな」という面もあった。先輩のJリーグクラブを真似することに精一杯で、悪い面までそっくり真似をしていたからだ。
 だが、そうした面は次々に改善されていった。
 かつての国立競技場のようにスタンド前から外の階段を昇り、観客席の前を通っていかなければならなかった記者席への通路には、いつの間にかスタンド内の階段が用意されていた。
 ボールボーイたちの教育も行き届いており、きびきびした態度が心地よい。地元の中学に順番に頼んでいるというのも、地域に密着していていい。
 毎回ベルマーレの選手といっしょに入場する「マスコットボーイ(女の子もいる)」も、選手や役員の息子ではなく、その初々しい態度がかわいい。
 寒くなったころには、売店では肉マンや「本日のスペシャル」と題しておでんが売られていた。

 平塚は、昨年スタジアムの規模がネックになってJリーグ昇格が見送られそうになったとき、いち早く改造計画をたて、今季の開幕に1万8500人収容の立派なスタジアムを間に合わせた。それも、やっつけ仕事でなく、女子トイレの数を増やすなど、1年目のJリーグ・スタジアムがかかえていた問題をよく研究したものだだった。
 ベルマーレの前身はフジタサッカークラブ。このチームを1968年の創設当時から指導し、後に無敵のチームをつくり、さらに日本代表の監督としても実績を残した石井義信氏が、Jリーグ態勢への移行の推進役だった。
 その石井氏の実直でまじめな姿勢が、現在のベルマーレのクラブづくりによく反映されている。

 フジタと平塚市は、練習場が市のはずれにあるだけで、何の関係もなかった。
 「それだけに、地元と密着したクラブづくりに真剣なんですよ」
 と、ある地元の人は語ってくれた。
 ベルマーレは「初心を忘れずに努力を続けること」の大切さを教えてくれる。

(1994年11月29日=火)

No.80 「勝ち点3」は子どもを傷つける

 Jリーグには引き分けがない。だから「勝ち点」もない。

 勝ち点とは、リーグ戦で多くの試合をするときに順位をつけるためのものだ。サッカーでは、伝統的に一試合を2勝ち点と設定し、勝利に2、引き分けに1勝ち点を与えてきた。引き分けに勝利の半分の価値を認め、文字通り2勝ち点を分け合ったのだ。
 ところが、国際サッカー連盟(FIFA)は10月にニューヨークで行われた理事会でこの勝ち点を「勝利に3、引き分けに1」にすることを決定した。そして加盟191カ国の全リーグがこの方式で行われることを要請している。
 変更の目的は、勝利の重要性を増すことによって、より積極的なプレーを引き出すことだ。FIFAは今夏のワールドカップ予選リーグでこの「3−1方式」を採用し、その結果、試合が攻撃的になり、より面白くなったと評価している。この成功を全世界に広めようとしているのだ。

 3−1方式は、けっして目新しいものではない。
 イングランド・リーグで1981年に導入され、その後ヨーロッパのいくつかの国が導入した。ほとんどの国が数年でやめてしまったが、イングランドだけはすでに14シーズンにわたって続けている。
 そして、イタリアをはじめ、最近改めてこの方式をトップリーグに導入した国も少なくない。
 実は日本でも、88/89年シーズンの日本リーグで導入され、92年にJリーグ体制に切り換えられるまで続けられた。
 サッカーの人気を保つためには、両チームが積極的な攻撃を仕掛けなくてはならない。観客は、守り合いや中盤でのボールの回し合いではなく、技術と想像力に富んだ勇敢な攻撃プレーの応酬を見たい。
 それを可能にするのが3−1方式だというのだ。
 問題は、FIFAがこの方式を世界中の全リーグに導入するよう求めていることだ。日本でも、きっと来年から市内の少年リーグまでこの方式がとられるようになるだろう。日本サッカー協会の統制力は、こうした点では他に例を見ないほど優れている。

 なぜ「問題」なのか。
 3−1方式の基本的な考え方は、「引き分けは悪」ということだ。これは有料入場者を想定したリーグでは正しいかもしれない。
 しかし世界のサッカーの大半はプレーヤーたち自身の楽しみのためのものだ。あるいはまた、少年少女の試合のように、計算抜きにただ一生懸命プレーされているものだ。
 そうした「無垢」なリーグにまでこの考え方を導入すると、サッカーは楽しみや喜びでなく、勝敗が最重要なものとなってしまう。

 スポーツとは本来、「自己目的」的なものだ。体や精神を鍛える、健康に役立つなどの「効用」はあっても、本来はスポーツをすること自体が楽しいから取り組むものだ。勝敗は、その結果ついてくるものにすぎない。
 2チームが勝利を目指して戦うなら、力の拮抗やちょっとした運で、「引き分け」という「結果」が生まれるのは当然なのだ。
 3−1方式の与える心理的な影響は、勝利の価値を重くすることよりむしろ引き分けという「結果」を無意味にする。それは、ただサッカーが好きで一生懸命にプレーしている人、そして少年少女たちの心を傷つけるものだ。

 3−1方式の「元祖」であるイングランドでも、この方式を採用しているのはセミプロのリーグまで。アマチュアリーグでは、いまだに伝統的な2−1方式が使われている。

(1994年11月22日=火)

No.79 勝者よ、わずかな慎みを

 Jリーグ第2ステージもいよいよ大詰め。どうやらベルマーレとヴェルディの「最終戦決着」となりそうだ。今週土曜日の平塚競技場には、日本中の耳目が集まるに違いない。

 目に浮かぶ。勝ったほうが優勝だ。終了の笛とともに「勝者」は抱き合い、走り回った後、胴上げだ。チェアマンが優勝カップを授与し、キャプテンがそれを頭上に掲げる。
 長期のリーグ戦を制することはすばらしく価値のあることだ。優勝の喜びは、苦しい大会を戦い抜いた者にしか理解できない。
 だが少し待ってほしい。これは天皇杯決勝のような「中立地」での試合ではない。Jリーグの試合だ。平塚の観客の7割以上がベルマーレのファン、サポーター。それを考慮に入れずに狂喜し、胴上げなどの派手な行為を見せることは適切だろうか。

 昨シーズンのチャンピオンに敬意を表して、まずヴェルディが勝った場合を考えてみよう。
 失意の平塚のファン、サポーターにヴェルディがあたりはばからず歓喜のシーンを見せつけるのは「死者にムチ打つ」ようなもの。タイトルと栄光はヴェルディのものだ。その代償として、少しばかりの「慎み深さ」を示すことはできないだろうか。

 昨年の第1ステージ、アントラーズが浦和で優勝を決めた夜を思い出す。
 この夜アントラーズは胴上げをしなかった。鹿島からきたサポーターにあいさつしただけで静かにフィールドから去ろうとした。
 その真意を最も理解したのは、スタンドを埋めた浦和のファンだった。引き上げようとするアントラーズの選手に対し、彼らは盛大な拍手を送ったのだ。
 アントラーズの選手たちは地元鹿島のファンに大きな感謝の念をもっていたに違いない。ファンの声援があったからこそJリーグ最初のタイトルを獲得することができた。だから浦和のファンにも敬意を払った。それがスタンドのファンにも伝わったのだ。

 逆に、ベルマーレが勝ったらどうだろう。ホームのファンは熱狂する。そこで冷静でいることは難しい。ファンも歓喜のポーズや胴上げを求める。
 だが、重大な最終決戦をアウェーで戦ったヴェルディは、それだけで称賛に値するチームではないか。ホームチームの選手そしてファンは、まず拍手をもって「勇者」たちを送り、その後に喜びを分かち合っても遅くはないのではないか。

 Jリーグが日本のスポーツ界で特異な地位を占めているのは、「ホームタウン制度」の存在だ。各クラブは地元地域のファン、そして市民と密接に結びついている。市民はチームを「自分たちのもの」と考え、だからこそ親身になって応援してくれる。
 試合は文字どおり「ホームアンドアウェー」で行われる。地元(ホーム)では熱狂的な声援を受け、敵地(アウェー)では口笛の嵐にさらされる。
 Jリーグはその狂信的ともいえる「地域対抗意識」によって支えられている。サッカーの勝負そのものによって地元のファンが失望することがあるのは仕方がない。だがそれ以外の行為でそのファン、サポーターの心情を傷つけるのは、プロらしくないことだ。

 勝者にわずかな慎み深さがあれば、勝負はもっともっと「心ゆたか」なものになる。「ゼロか百か」でなく、勝者にも敗者にも価値のあるものになる。これこそ、Jリーグのホームタウン制度の最も重要な点だ。
 11月19日の平塚競技場が、そうした心ゆたかな場となることを期待している。

(1994年11月15日=火)

No.78 加茂周 「モダン」で世界に挑む

 「クラシックでなく、小さなゾーンをつくって守るのも攻めるのも速い、モダンなサッカーのできるチームをにしたい」
 日本代表の監督に就任することになった横浜フリューゲルスの加茂周監督はこう抱負を語った。
 「ゾーンプレス」という世界の最先端の戦術の実践者として知られる加茂監督の口から流れた「モダン」「クラシック」という表現は、サッカーでは耳慣れない言葉。両者は具体的にどう違うのだろうか。

 加茂監督といえばフリューゲルスの前に日産を率いて88−89シーズンにJSLカップ、天皇杯全日本選手権、そして日本リーグの三冠を制覇した名将。その間、21連勝という無敵ぶりを見せた。
 74年に監督に就任、14年間をかけてゼロから育てた日産のサッカーは、木村和司、金田喜稔、水沼貴史といったテクニシャンを高度なグループ戦術で結びつけたもの。ボールをとったらすぐ前に入れるが、ハーフライン近辺でいったん「スピードダウン」し、バックパスからサイドチェンジを入れて、再びスピードを上げて突破する。局面での二人、三人の息の合ったコンビネーションが、その攻撃に破壊力を与えた。
 加茂監督はこの当時の日産を「クラシックなスタイルの集大成」と表現する。

 しかし現代の世界のトップクラスでは、中盤を狭くしてFWも含めたフィールドプレーヤー全員でプレッシャーをかけてボールを奪うというサッカーが大勢を占めている。こうした守備に「クラシック」な攻撃で臨んでも、スピードダウンする間に相手がボールより自陣側に引いてしまい、攻め崩すのが困難になる。そこでより「モダン」な攻撃が必要となるのだ。
 モダンなサッカーではできるだけバックパスはしない。バックパスをするときには、次に縦に鋭いパスを入れるなど明確な目的がなければならない。
 味方チームがボールをとったら、早く、前にプレーし、相手に帰陣の時間を与えない。チーム全体が前に出るスペースをつくるために、FWは前へ前へと動かねばならない。ボールを受けに戻ることはしない。

 イタリアのジェノアでデビューしたときのカズ(三浦知良)のプレーを見ただろうか。カズは味方ボールになると、パスを受けようとして引いてきたり、開いたポジションをとった。しかしジェノアは前へ前へとプレーしようとする。その結果、カズにはほとんどいいボールがいかなかった。
 カズがプレーしていたヴェルディは基本的にはクラシックなスタイル。カズといえども、ジェノアのモダンなスタイルに数週間の練習ではついていくことはできなかったのだ。
 しかしアジアでトップになり、世界に対抗できるチームをつくるには、加茂監督が唱える「モダンなスタイル」を身につける以外に道はない。短期間にこのスタイルの戦術を習得するには理解力のある選手が必要だ。今回の代表チームはそうした能力をもった選手が中心になるに違いない。

 加茂氏に監督就任を要請したことを発表した際、川淵三郎強化委員長は日本人でコミュニケーションが容易なこと、本人がやりたがっていることなどを理由にあげた。外国などには、これが中心になって伝わってしまったようだ。
 だがもちろん、強化委員会が加茂氏を選んだのは、プロのコーチとして日本代表を任せるにたるだけの理論と実力の持ち主と評価したからにほかならない。その他の理由は、ファルカン前監督を傷つけないための「方便」だったと、私は見ている。

(1994年11月8日=火)

No.77 「ダイビング」を見極める

 ドリブルでペナルティーエリアに突っ込んできた福田正博が、相手のスライディングタックルに吹っ飛ぶ。
 「PK!」
 スタンドを埋めたレッズのファンが叫ぶ。しかしテハダ主審(ペルー)は両手を前に出してプレー続行をうながすジェスチャーだ。この試合の前半、同じシーンが再三見られた。

 PK(ペナルティーキック)は攻撃側にとって最高のチャンス。ほぼ1点といってもいい。だからファウルを受けていないのに「演技」で倒れる選手が後を絶たない。サッカーではこうした行為を「ダイビング」と呼んでいる。
 南米やヨーロッパに行くと、ダイビングの名手として名をはせている選手も少なくない。最近では、ドイツ代表のユルゲン・クリンスマンがワールドカップの対ブルガリア戦で見せた行為がダイビングだとして国際的な非難を呼んだ。

 「ダイバー」たちはレフェリーにとって最大の敵のひとつだ。
 スピードに乗ったドリブルでペナルティーエリアにはいる。シュートさせまいと、ディフェンダーが捨て身のタックルにはいる。アタッカーはそのタックルの直前に足先でボールをちょんとつつき、前に出す。そこにタックル。アタッカーは派手に吹っ飛ぶ。
 本当に足が引っかかったのか、それとも、ひっかかったふりをして吹っ飛んだのか。「プロ・ダイバー」たちは絶妙のタイミングで飛ぶ。正確な判断をするのは至難の業といっていい。スローVTRを見ても、素人には判断がつきかねる場合も少なくない。
 レフェリーはVTRを見るわけにはいかず、しかも瞬時に判断を下さなければならない。こうして、いくつもの「疑惑の判定」が生まれる。

 74年ワールドカップ決勝戦、西ドイツ×オランダのドイツの同点ゴールは、ヘルツェンバインという選手が来年からサンフレッチェの指揮をとるヤンセンのタックルに倒れて得たPKから生まれたもの。だが彼はドイツでは有名は「ダイバー」だった。
 90年ワールドカップ決勝、これも西ドイツの決勝ゴールは、フェラーが倒されたもの。怒ったアルゼンチンの選手たちは執拗な抗議を続けて試合を後味の悪いものとし、マラドーナは「判定が不当だ」と、試合後、涙まで浮かべた。

 典型的なダイビングを見極める方法がある。タックルを受けたとき両足をそろえて倒れたら、たいていは演技だ。プレーをしようという意志があるのに倒されるときには、どちらかの足は必ず前に出ているはずだからだ。
 この「鑑識法」でいうとヘルツェンバインは有罪、フェラーは無罪ということになる。
 74年決勝戦の笛を吹いたのはテイラーというイングランドの主審。ドイツの新聞は母国の20年ぶりの優勝を喜びながらも、「ドイツ人だったらけっしてPKにはしなかっただろう」と論評した。

 悪質なダイビングは「非紳士的行為」にあたり、警告(イエローカード)の対象となる。86年のワールドカップ、デンマークの攻撃のキーマンだったアルネセンがこれでその試合2枚目のイエローカードを受けて退場、次のスペイン戦で負ける原因となった。
 先週の大宮サッカー場、「倒れてもPKはない」とわかった福田は、延長戦ではタックルを受けながらもふんばり、バランスを立て直してシュートした。惜しくもGKに防がれたが、プロが限界まで力をふりしぼった見事なシーンに場内からは盛大な拍手が起きた。そう、これが「サッカー」なのだ。

(1994年11月1日=火)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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