数年前から、全国の少年のための「サッカー手帳」をつくる仕事を手伝っている。今年度版をつくるにあたって大きな方針にしたのが、「自立したサッカー選手をつくる」というテーマだった。
「サッカーは少年を大人にし、大人を紳士にする」という言葉を紹介したのはドイツのデットマール・クラマー・コーチだった。
少年たちが誰の指導も受けずに自由にサッカーを始めると、最初はボールしか見えず、個人の力だけで攻めようとする。時を経るにしたがって次第に周囲の様子を見ることができるようになる。すると少し離れたところにフリーの味方がいるではないか。それを生かしてやれば、もっと楽に攻められるはず。こうしてパスが生まれる。
さらに進むと、協力し合って試合を進めるチームプレーが出てくる。互いの長所を生かし、短所をカバーし合ってチーム力を高めようという努力も生まれる。少年は「自立」して大人になり、一人前のサッカー選手になっていくのだ。
サッカーというチームゲームに真剣に取り組むことによって少年は自然に自分で考え、仲間と協力し合う道をみつけていく。それがクラマーの言葉の真意だ。
ところが、サッカーが盛んになればなるほど、日本では「自立」した選手が見られなくなっている。
テクニックや肉体的能力はすばらしくても、ちょっと注目されると自分を見失ってしまう若者は驚くほど多い。Jリーグ誕生とともに、次つぎと「新スター」が登場したが、数カ月のスポットライトの後に輝きを失った例は少なくない。
原因は、少年のころからの指導過多にあるのではないか。熱心な指導自体は非難できるものではない。だがその指導が、「すべてを教える」という方法であれば、少年たちの自立する力は阻害される。
一から十までを教え込まれ、自分で考えたり仲間と協力し合う道を苦労して探すなどの経験をもたなかった少年は、「自立」することなく高校を終え、Jリーグにはいってくる。最初は無我夢中にやり、才能のおかげでうまくいく。だが一瞬輝いても、すぐに壁に突き当たる。そしてその壁の正体がわからず、ただイライラとするばかりだ。
3シーズン目を迎えたJリーグも、壁に直面した若い選手そのもののように見える。過去2シーズン、クラブは無我夢中でいろいろな努力を積み重ねてきた。その成果はすばらしいものだった。スタジアムはいつも満員になったし、社会の認知度も予想をはるかに上回るものとなった。
だがここへきてやや情勢が変わってきた。「人気下降」「バブルがはじけた」などとマスコミは表現し、クラブは壁につき当たったような気分に陥っている。Jリーグの将来性に疑問を感じはじめた関係者も少なくないはずだ。
ここで最も大切なのは、「自分を見失わない」ことだ。Jリーグ、そしてその理念は何なのか。クラブとは何か。地域社会のなかでどんな役割を担っているのか。それをもういちどしっかり見つめ直すことだ。
ブームに乗っているときには何をやってもいい結果が出る。しかしそれが去ったとき、問われるのは地に足がついた活動ができるかどうかだ。Jリーグは、そして各クラブは、自分の足で立ち、自分の頭で考えて前進する「大人」にならなければならない。
「サッカー手帳」では、自立したサッカー選手になるために、少年たちにまず自分の心と体を見つめようと説いている。自分自身が何であるかを知ること、それが自立の第一歩だ。
(1995年1月31日)
「サッカーは少年を大人にし、大人を紳士にする」という言葉を紹介したのはドイツのデットマール・クラマー・コーチだった。
少年たちが誰の指導も受けずに自由にサッカーを始めると、最初はボールしか見えず、個人の力だけで攻めようとする。時を経るにしたがって次第に周囲の様子を見ることができるようになる。すると少し離れたところにフリーの味方がいるではないか。それを生かしてやれば、もっと楽に攻められるはず。こうしてパスが生まれる。
さらに進むと、協力し合って試合を進めるチームプレーが出てくる。互いの長所を生かし、短所をカバーし合ってチーム力を高めようという努力も生まれる。少年は「自立」して大人になり、一人前のサッカー選手になっていくのだ。
サッカーというチームゲームに真剣に取り組むことによって少年は自然に自分で考え、仲間と協力し合う道をみつけていく。それがクラマーの言葉の真意だ。
ところが、サッカーが盛んになればなるほど、日本では「自立」した選手が見られなくなっている。
テクニックや肉体的能力はすばらしくても、ちょっと注目されると自分を見失ってしまう若者は驚くほど多い。Jリーグ誕生とともに、次つぎと「新スター」が登場したが、数カ月のスポットライトの後に輝きを失った例は少なくない。
原因は、少年のころからの指導過多にあるのではないか。熱心な指導自体は非難できるものではない。だがその指導が、「すべてを教える」という方法であれば、少年たちの自立する力は阻害される。
一から十までを教え込まれ、自分で考えたり仲間と協力し合う道を苦労して探すなどの経験をもたなかった少年は、「自立」することなく高校を終え、Jリーグにはいってくる。最初は無我夢中にやり、才能のおかげでうまくいく。だが一瞬輝いても、すぐに壁に突き当たる。そしてその壁の正体がわからず、ただイライラとするばかりだ。
3シーズン目を迎えたJリーグも、壁に直面した若い選手そのもののように見える。過去2シーズン、クラブは無我夢中でいろいろな努力を積み重ねてきた。その成果はすばらしいものだった。スタジアムはいつも満員になったし、社会の認知度も予想をはるかに上回るものとなった。
だがここへきてやや情勢が変わってきた。「人気下降」「バブルがはじけた」などとマスコミは表現し、クラブは壁につき当たったような気分に陥っている。Jリーグの将来性に疑問を感じはじめた関係者も少なくないはずだ。
ここで最も大切なのは、「自分を見失わない」ことだ。Jリーグ、そしてその理念は何なのか。クラブとは何か。地域社会のなかでどんな役割を担っているのか。それをもういちどしっかり見つめ直すことだ。
ブームに乗っているときには何をやってもいい結果が出る。しかしそれが去ったとき、問われるのは地に足がついた活動ができるかどうかだ。Jリーグは、そして各クラブは、自分の足で立ち、自分の頭で考えて前進する「大人」にならなければならない。
「サッカー手帳」では、自立したサッカー選手になるために、少年たちにまず自分の心と体を見つめようと説いている。自分自身が何であるかを知ること、それが自立の第一歩だ。
(1995年1月31日)
サウジアラビアで行われた「インターコンチネンタル選手権」で日本が対戦したナイジェリアは非常にタフなチームだった。何よりもパワーがすごかった。
日本選手がボールをとったと思った瞬間、強烈なショルダーチャージに吹き飛ばされた場面が何度もあった。イーブンのボールに対する寄りの速さと力強さも驚くべきものだった。
「筋力の不足」は、昨年日本代表の監督を務めたファルカンの指摘を待つまでもなく、日本サッカーの問題のひとつだった。
だが、ナイジェリアとの対戦ほど日本選手の肉体的能力の限界を思い知らされた試合はなかった。単なるコンディションの問題ではなく、個々の選手の「筋肉の量」が違うといった感じだったからだ。
この問題は、代表チームでのトレーニングでカバーできるものではない。体力というのは、一年の大半を過ごす所属クラブで計画的なトレーニングをして、数年間かけてつくりあげていくものだからだ。
かつては、サッカーのコーチが経験をもとに体力トレーニングを行っていた。それを初めて専門家の手に委ねたのは日本リーグ時代の89年、「三冠」の王者日産だった。オスカー新監督がブラジルからマフェイというフィジカルコーチを連れてきたのだ。
以来、他チームも次つぎと外国の専門家を招くようになった。サッカーのフィジカルコーチは経験を要するため、外国人を連れてくるしかなかったのだ。
おかげで、どのチームも2、3年のうちに大きく体力アップに成功した。Jリーグになって急に激しいサッカーが可能になった裏には、こうしたフィジカルコーチの働きがあった。
ところがJリーグ時代にはいると毎週2試合が原則となった。シーズン中の試合と試合の間は「回復」、「調整」がやっと。せいぜいできて「維持」のためのトレーニング程度だ。
シーズンが深まるにつれて疲労は蓄積し、筋力をはじめとした体力レベルは落ちる一方だ。シーズン前のトレーニングで最高潮までもっていた体力をくいつぶしながらシーズンをこなしている現状なのだ。
シーズン終了直後に行われたインターコンチネンタル選手権、日本選手の体力が「最低」のレベルだったのはあまりに当然だった。
体力レベルを上げていくには、シーズンを通じてトレーニングを行い、開幕当初より終盤のほうが上がっているようにしなければならない。週2試合の日程でそれが可能だろうか。残念ながら、それが実現できたクラブは皆無だ。
とすれば、「週1試合」を基本とするサッカー本来のリズムに戻すべきではないか。
週1試合なら間に体力トレーニングをはさむことができる。それによって、シーズン中にも体力を上げ、シーズンが終わったときには1年前より確実にレベルアップしているはずだ。
そもそも、週2回のリーグにしたのは、激しいリーグで国際試合にも通用するタフな選手をつくろうという、純粋に強化を目的としたものだった。だがJリーグがスタートすると、各クラブの「台所事情」が優先され、「1試合でも多くやりたい」ための週2試合になってしまった。
95年、14チームに増えたJリーグは、4回総当たりで1チームあたり52試合もこなさなければならならい。
このままでは、シーズンが終わったとき私たちが見るのは、見違えるようにたくましくなった選手ではなく、1歳年をとってぼろ雑巾のようになった選手たちであるに違いない。
(1995年1月24日)
日本選手がボールをとったと思った瞬間、強烈なショルダーチャージに吹き飛ばされた場面が何度もあった。イーブンのボールに対する寄りの速さと力強さも驚くべきものだった。
「筋力の不足」は、昨年日本代表の監督を務めたファルカンの指摘を待つまでもなく、日本サッカーの問題のひとつだった。
だが、ナイジェリアとの対戦ほど日本選手の肉体的能力の限界を思い知らされた試合はなかった。単なるコンディションの問題ではなく、個々の選手の「筋肉の量」が違うといった感じだったからだ。
この問題は、代表チームでのトレーニングでカバーできるものではない。体力というのは、一年の大半を過ごす所属クラブで計画的なトレーニングをして、数年間かけてつくりあげていくものだからだ。
かつては、サッカーのコーチが経験をもとに体力トレーニングを行っていた。それを初めて専門家の手に委ねたのは日本リーグ時代の89年、「三冠」の王者日産だった。オスカー新監督がブラジルからマフェイというフィジカルコーチを連れてきたのだ。
以来、他チームも次つぎと外国の専門家を招くようになった。サッカーのフィジカルコーチは経験を要するため、外国人を連れてくるしかなかったのだ。
おかげで、どのチームも2、3年のうちに大きく体力アップに成功した。Jリーグになって急に激しいサッカーが可能になった裏には、こうしたフィジカルコーチの働きがあった。
ところがJリーグ時代にはいると毎週2試合が原則となった。シーズン中の試合と試合の間は「回復」、「調整」がやっと。せいぜいできて「維持」のためのトレーニング程度だ。
シーズンが深まるにつれて疲労は蓄積し、筋力をはじめとした体力レベルは落ちる一方だ。シーズン前のトレーニングで最高潮までもっていた体力をくいつぶしながらシーズンをこなしている現状なのだ。
シーズン終了直後に行われたインターコンチネンタル選手権、日本選手の体力が「最低」のレベルだったのはあまりに当然だった。
体力レベルを上げていくには、シーズンを通じてトレーニングを行い、開幕当初より終盤のほうが上がっているようにしなければならない。週2試合の日程でそれが可能だろうか。残念ながら、それが実現できたクラブは皆無だ。
とすれば、「週1試合」を基本とするサッカー本来のリズムに戻すべきではないか。
週1試合なら間に体力トレーニングをはさむことができる。それによって、シーズン中にも体力を上げ、シーズンが終わったときには1年前より確実にレベルアップしているはずだ。
そもそも、週2回のリーグにしたのは、激しいリーグで国際試合にも通用するタフな選手をつくろうという、純粋に強化を目的としたものだった。だがJリーグがスタートすると、各クラブの「台所事情」が優先され、「1試合でも多くやりたい」ための週2試合になってしまった。
95年、14チームに増えたJリーグは、4回総当たりで1チームあたり52試合もこなさなければならならい。
このままでは、シーズンが終わったとき私たちが見るのは、見違えるようにたくましくなった選手ではなく、1歳年をとってぼろ雑巾のようになった選手たちであるに違いない。
(1995年1月24日)
現在「インターコンチネンタル選手権」が行われているサウジアラビアの「キング・ファハド・スタジアム」。首都リヤド郊外の荒野の真っただ中に立つ世界でも有数の競技場だ。
何よりもデザインが奇抜で、しかも個性的だ。砂漠の民ベドウィンのテントを模したという屋根が地上50メートルにそびえ立つ姿は、デザインのもつ重要性を再認識させてくれる。
そしてその内部設備も、ため息をつくばかりだ。
豪華で機能的な報道用施設(すぐにでもワールドカップ決勝ができる)。
4つあるチーム用の設備には、更衣室のほかにシャワールーム、監督室、小教室のようなミーティングルーム、マッサージ室が独立して完備し、それぞれに広大なウォーミングアップルームが付属している。
医療施設も、検査室、診察室、リハビリ室から、簡単な手術室まである。
何より関心したのは、選手用の施設にはチームバスがすぐ側まではいることができ、医寮施設もドアを開けると救急車の駐車場があるということだ。
ミュンヘンのオリンピック・スタジアムの設計者の手によるというこのスタジアム、デザインのすばらしさと同時に、徹底的に追求された内部の機能は、まさに「理想のスタジアム」といっていいものだ。
だが、試合の日、私は奇妙な感覚にとらわれた。
「このスタジアムは、いったい誰のためのものなのだろう?」
大会運営やチームにはこれ以上ない使いやすさをもっている。だが、肝心の観客は?
観客席は、一応全部個別の座席で、ゆったりと座れる。しかし動物園の檻のような金属の柵がフィールドとの間を隔て、バックスタンド側中央部、陸上のトラックのすぐ外に立てられた国旗掲揚用のポールは、見事に観客席からの視線をさえぎっている。
一方、西側のメインスタンド中央は、ガラス張りで金色の内装に輝く王室用の特別席に大きなスペースが占領されている。
両ゴール裏に設置されたビデオスクリーンは、試合前に王室の着席シーンを映した後はただのスコアボードになったきりだった。
何のことはない。このスタジアムは、王室がサッカーを楽しむためのものだったのだ。7万人の「一般観客」は、雰囲気を盛り上げるための「エキストラ」にすぎなかったのだ。
もちろん、スタジアムにVIP用の席や設備は欠かすことはできない要素だ。しかしそれはあくまでも一般の観客席のなかのほんの一部であるのが普通だ。
サッカー・スタジアムの「メインゲスト」は、通常の場合、入場料を払って試合の運営を支えてくれる一般の観客であるはずだ。そのためのスタジアム、一般の観客にとって見やすく居心地のいいスタジアムこそ超一流の施設といえる。
だがサウジアラビアでは一般の観客の負担する割合は小さく、国王があらゆるプロのサッカー試合のメインスポンサーとなっている。そのためにキング・ファハド・スタジアムのような「ゆがんだ」施設が平気でできてしまうのだ。
これは日本にとっても無縁の話ではない。
観客の見やすさよりも運営の都合を優先したスタジアム。広告掲出スペースが観客の視線をさえぎっても平気なスタジアム。数え上げればきりがない。
それは、「王族のためのスタジアム」と同質の「ゆがみ」にほかならない。
スタジアムは「誰」のための、そして「何」のためのものなのか、もういちど原点に戻って考えなけばならない問題だ。
(1995年1月10日)
何よりもデザインが奇抜で、しかも個性的だ。砂漠の民ベドウィンのテントを模したという屋根が地上50メートルにそびえ立つ姿は、デザインのもつ重要性を再認識させてくれる。
そしてその内部設備も、ため息をつくばかりだ。
豪華で機能的な報道用施設(すぐにでもワールドカップ決勝ができる)。
4つあるチーム用の設備には、更衣室のほかにシャワールーム、監督室、小教室のようなミーティングルーム、マッサージ室が独立して完備し、それぞれに広大なウォーミングアップルームが付属している。
医療施設も、検査室、診察室、リハビリ室から、簡単な手術室まである。
何より関心したのは、選手用の施設にはチームバスがすぐ側まではいることができ、医寮施設もドアを開けると救急車の駐車場があるということだ。
ミュンヘンのオリンピック・スタジアムの設計者の手によるというこのスタジアム、デザインのすばらしさと同時に、徹底的に追求された内部の機能は、まさに「理想のスタジアム」といっていいものだ。
だが、試合の日、私は奇妙な感覚にとらわれた。
「このスタジアムは、いったい誰のためのものなのだろう?」
大会運営やチームにはこれ以上ない使いやすさをもっている。だが、肝心の観客は?
観客席は、一応全部個別の座席で、ゆったりと座れる。しかし動物園の檻のような金属の柵がフィールドとの間を隔て、バックスタンド側中央部、陸上のトラックのすぐ外に立てられた国旗掲揚用のポールは、見事に観客席からの視線をさえぎっている。
一方、西側のメインスタンド中央は、ガラス張りで金色の内装に輝く王室用の特別席に大きなスペースが占領されている。
両ゴール裏に設置されたビデオスクリーンは、試合前に王室の着席シーンを映した後はただのスコアボードになったきりだった。
何のことはない。このスタジアムは、王室がサッカーを楽しむためのものだったのだ。7万人の「一般観客」は、雰囲気を盛り上げるための「エキストラ」にすぎなかったのだ。
もちろん、スタジアムにVIP用の席や設備は欠かすことはできない要素だ。しかしそれはあくまでも一般の観客席のなかのほんの一部であるのが普通だ。
サッカー・スタジアムの「メインゲスト」は、通常の場合、入場料を払って試合の運営を支えてくれる一般の観客であるはずだ。そのためのスタジアム、一般の観客にとって見やすく居心地のいいスタジアムこそ超一流の施設といえる。
だがサウジアラビアでは一般の観客の負担する割合は小さく、国王があらゆるプロのサッカー試合のメインスポンサーとなっている。そのためにキング・ファハド・スタジアムのような「ゆがんだ」施設が平気でできてしまうのだ。
これは日本にとっても無縁の話ではない。
観客の見やすさよりも運営の都合を優先したスタジアム。広告掲出スペースが観客の視線をさえぎっても平気なスタジアム。数え上げればきりがない。
それは、「王族のためのスタジアム」と同質の「ゆがみ」にほかならない。
スタジアムは「誰」のための、そして「何」のためのものなのか、もういちど原点に戻って考えなけばならない問題だ。
(1995年1月10日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。