サッカーの話をしよう

No.198 アジア軽視の無責任組織FIFA

 FIFA(国際サッカー連盟)とはいったい何のための組織なのか。
 昨年の2002年ワールドカップ日韓共同開催決定の「ご都合主義」に続き、今度は98年ワールドカップのアジア最終予選の突然の試合方式変更だ。その無責任、無定見ぶりに、ただただ、あきれるばかりだ。
 アジア最終予選は、1次予選を勝ち抜いた10チームでの「集中開催」になるはずだった。数チームずつのグループで「ホームアンドアウェー」で行うのが予選の本来の姿。だがアジアはあまりに広いため集中開催という形がとられた。忘れてならないのは、それを決めたのが、他でもないFIFAのワールドカップ組織委員会であることだ。

 95年12月に行われた全世界の予選組分け抽選会に先立って、アジア地区ではこの方式をとることを同委員会は決めた。それを受けて、実際に予選を主管するAFC(アジアサッカー連盟)が、1年後の96年12月に「最終予選」の日程を決めたのだ。
 7月21日のFIFA「ワールドカップ組織委員会ビューロー」の議題は、その会場を決定することだけだった。だがそれがシンガポールに決まりかけたとき、メンバーのひとりであるサウジアラビアのアルダバル氏が猛反対した。
 サウジアラビアらアラブ勢4カ国はバーレーンでの開催を主張していた。アルダバル氏は「シンガポールなら、アラブ4カ国は出場しない」と強硬だったという。そしてなぜかビューローは折れ、「ホームアンドアウェー」方式への切り替えを決めたのだ。
 FIFAの定款では「ビューロー」は緊急事態に対処するために「委員会」によって任命され、委員会と同様の権限をもつ。ワールドカップ組織委員会はあらかじめヨハンソンFIFA副会長を筆頭に8人で構成されるビューローを設けていた。95年12月の委員会決定をビューローが覆したことになるが、手続き上は問題はない。

 問題は、この日程変更がアジアのサッカーに与える影響だ。会場の決定を待つばかりだった「最終予選大会」をわずか3カ月前にキャンセルし、予定より1カ月半も早く試合を始めろというのだ。各国の「国内サッカー」が深刻な打撃を受けるのは必至だ。
 過去、1次予選が終わってから最終予選の日程を決めていたAFCが、1年も前に予定を発表したのも、プロ化したばかりの各国国内リーグを支援しようという意識の表れだった。
 今回の決定を欧州に置き換えれば、6月にフランスで開幕予定のワールドカップを、4月からホームアンドアウェーでやると2月に決めるようなものだ。ユベントスやバルセロナなど強豪クラブをかかえる各国協会、そしてチャンピオンズリーグ決勝が5月に控える欧州連盟(UEFA)に受け入れられるはずはない。

 当然、ヨーロッパや南米を相手にこんな無謀なことはしない。それをアジア相手に平気でやるところに、現在のFIFAの「無責任体質」が表れている。
 ワールドカップがどれほど重要でも、世界のサッカーの存立の根幹がクラブによる国内サッカーにあることを忘れてはならない。クラブが存続できなければ選手は活動の場を失い、サッカーは滅びる。
 無責任で無定見な決定で国内サッカーの存立を脅せば、最終的にはワールドカップやFIFA自体の存立を危うくすることを、ヨハンソン氏はじめビューローのメンバーは知るべきだ。彼らから見てアジアがどんな「サッカー後進地域」であろうと、このような暴挙が許されるはずはない。

(1997年7月28日)

No.197 第3のチーム、レフェリーズ

 わかってはいても、つい「ラインズマン」と言ってしまう。サッカーには、もう「ラインズマン」はいないのに。
 96年のルール改正で、「ラインズマン」(線審)という名称は消えた。現在は「アシスタントレフェリー」、日本語で「副審」と呼ぶことになっている。
 実は「ラインズマン」という呼び方自体、数年前から不都合なものとなっていた。女性審判員の進出が原因である。95年の女子世界世界選手権では「ラインズウーマン」という名称が登場したが、その後は男女を区別する必要もないと、「ラインズパーソン」という言葉が使われていた。
 こうした数年間を経て、FIFA(国際サッカー連盟)は九六年に「アシスタントレフェリー」に統一することにした。だがこの名称変更は女子審判の存在だけが理由ではない。むしろ主たる理由は別のところにあった。

 「ラインズマン」というと、タッチアウトとオフサイドを見るのが主たる仕事だった。古くは両チームから1人ずつ出して審判を務め、両者の意見が合わないときに第三者に意見を聞くシステムだった。「問い合わせを受ける人」を意味する「レフェリー」という名称自体、そこから生まれている。レフェリー(主審)とラインズマン(線審)は起源から「地位」の違う存在だったのだ。
 しかし「よりよいレフェリングシステム」を求めてきたFIFAのひとつの結論が、「レフェリーとラインズマンの密接な協力」だった。ラインズマンは、タッチアウトやオフサイドを見るだけでなく、ゲーム全体に注意を払ってレフェリーの補助をする。「アシスタントレフェリー」への名称変更の最大の理由はこうした考え方を徹底させることにあったのだ。

 二人のアシスタントレフェリーは両サイドのタッチラインを担当し、それぞれハーフラインまで動く。たとえば、メインスタンドから見てこちら側のアシスタントレフェリーは右半分、向こう側は左半分を動く。レフェリーは両エンドの左コーナーを結ぶ仮想の対角線上を動き、いつも片側のアシスタントとプレーをはさみ込むように見る。
 だが、ボールがないところ、レフェリーの背後で反則や違反行為があると、非常に難しいことになる。逆サイドのアシスタントが気づいて旗を上げても、レフェリーには見えず、トラブルのもととなる。
 こうしたトラブルを防止するために、FIFAは昨年のアトランタ五輪と先月のワールドユース選手権でひとつの試みを実行した。アシスタントの持つ旗にスイッチを仕込み、レフェリーの腕につけたバイブレーターと連動させるという仕掛けだ。レフェリーの背後で何かがあったら、アシスタントはこのスイッチを押すことでレフェリーだけに知らせることができる。

 トランシーバーを使うアイデアもあったが、注意を喚起することができれば十分という考え方だ。ワールドユースまでのテストの成果に力を得たFIFAは、来年のワールドカップでもこのシステムを採用する方向だという。
 サッカーは11人ずつで構成された2つのチームが競い合うゲームである。だがピッチの上にはもうひとつの「チーム」がいることを忘れてはいけない。
 1人のレフェリーと2人のアシスタントレフェリーで構成されるチーム。プレーする両チームと同じように、この「第3のチーム」も、各人が自分の役割をしっかりとこなしつつチームワークを保つことが、「成功」への欠くことのできない条件なのだ。

(1997年7月14日)

No.196 夏季に大事な水分の補給

 本格的な梅雨がこないままに台風がふたつ通り過ぎて、関東地方は猛烈な暑さに襲われている。
 夏休みを迎えると、小学生から高校生を中心に多くの「大会」がある。サッカーのような競技を真夏の昼間にやるのはあまり健康的ではない。本来ならこの時期の大会は避けるべきだと思うが、学校の関係で、どうしてもこの時期に集中することになる。
 であればせめて、「3日連続」や、「1日2試合」などという無茶な大会はやめてほしいと思う。大会運営の都合で少年少女やユース年代のプレーヤーの健康を損ねる権利は、教育委だろうとサッカー協会だろうと、大人たちにはない。
 ところで、選手たちにとってこの時期は、練習や試合、そして日常生活での体調の管理が重要だ。なかでも、水分の摂取はとくに大きな意味をもっている。

 サッカーの試合中に選手が水を飲むようになったのは、86年、2回目のメキシコ・ワールドカップからだった。ヨーロッパへのテレビ中継のために、メキシコでの大会では正午キックオフなどという無理が通された。70年大会ではどのチームも暑さで運動量が大きく落ち、その結果ブラジルがテクニックを生かして優勝することができた。
 しかし86年大会までにはスポーツ医科学の研究が大きく進んでいた。動きが落ちるのは体温の上昇が原因であり、体温上昇を防ぐには水分をこまめに補給することが有効であるとわかっていたのだ。
 ハーフタイムまで45分間走り回ったら渇水状態になり、体温上昇は防げない。試合中にも水分補給をしなければならない。そこで86年ワールドカップでは、ビニール袋に入れた水をピッチ内に投げ入れる方法がとられた。その結果、試合は70年大会とは比較にならないほどスピーディになった。

 その後、FIFA(国際サッカー連盟)はこうした酷暑の試合でなくても試合中の飲水を許すようになった。ただし試合中に投げ入れるのは見苦しいと、現在ではタッチラインの外に水のボトルを置き、プレーの中断中(ボールが外に出たりFKが行われる前など)に飲むことになっている。
 試合の前からたっぷりと水分をとっておく。試合中には、喉が渇く前に、よく冷えた水を1回に200cc(コップ1杯)ほど飲む。それで体温の上昇を防ぐことができる。そしてパフォーマンス(プレーの出来)を落とさずに済むのだ。
 大事なのは「よく冷えた水」という点だ。水分の吸収は小腸で行われるが、ぬるいと水は胃にとどまり、逆に動きを悪くする。それに対し冷水は胃を通過してまっすぐ小腸まで行き、すぐ吸収される。Jリーグや日本代表などでは、ハーフタイムにすべてのボトルを交換している。

 「試合中に水を飲んだほうがいい」ことは、いまではよく知られている。しかし若い選手たちはなかなかこれができない。どうしても限界までプレーしてしまい、気づいたときには動きが極端に落ちている。チームの勝敗に影響するだけでなく、選手個人の健康面にも良くない。
 「水を飲むのも技術のうち」と、日ごろから意識づけ、タイミングよく水分をとらせなければならない。
 大事なことは、こうしたことを通じて、自分の体を見つめ、自ら管理する習慣や能力を、サッカーに取り組む少年少女たちに芽生えさせることにある。コーチから「水を飲め」と言われて飲むようではいけない。あらゆる面で「自立」した選手になることが、サッカーにおいても人生においても重要なことなのだから。

(1997年7月7日)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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