2年間にわたって予選を行い、決勝大会の組分けが決まってから7カ月。盛り上げられ、焦らされた果てにやってくるワールドカップ開幕戦。しかし世界中の期待に反し、その試合内容は退屈なことが多い。
ワールドカップで「開幕戦」が特別な試合として行われるようになったのは62年のチリ大会のこと。
それまでの大会では、開幕日に各地でいっせいに試合が行われるという形だった。しかしチリ大会では、地元チリがサンチアゴの国立競技場に満員の観衆を集めてスイスと戦い、3−1の勝利を収めて国民を熱狂させた。
以後70年大会まで開催国が開幕戦に登場したが、66年のイングランド、70年のメキシコはともに0−0の引き分け。開催国のチームにあまりに大きなプレッシャーがかかるのを避けるため、74年大会からは前回優勝チームが開幕戦に登場することになった。
ところが74年西ドイツ大会の開幕戦、ブラジル×ユーゴスラビアはまたも0−0。78年アルゼンチン大会でも、西ドイツがポーランドと無得点で引き分けた。
4大会連続の「開幕戦ノーゴール」に幕を下ろしたのは82年大会。アルゼンチンを1−0で下したベルギーのバンデンベーグのゴールだった。
以後は、86年イタリア1−1ブルガリア、90年アルゼンチン0−1カメルーン、94年ドイツ1−0ボリビアと、毎回得点が記録されている。だがどの試合もワールドカップならではのレベルの高さやスピーディーな展開はほとんど見られず、退屈な内容であることに変わりはなかった。
待ちに待った試合。注目度と期待の大きさは、決勝戦にも匹敵する。ところが選手やチームは、まだ「ワールドカップ・モード」になっていない。開催国のファンの雰囲気などにリズムがなじんでいない。
しかも出場するのは前回優勝チーム。連覇を目指す立場であれば、グループリーグの初戦は絶対に負けてはいけない。もちろん勝つつもりで試合に臨むが、リスクは冒さない。引き分けでもよしとする。
そして対戦チームは、世界が注目するなかで恥はかきたくないから、「ディフェンディング・チャンピオン」に対してしっかりと守りを固めたサッカーをする。必然的に、36年間も2点以上をとったチームが出ていないのだ。
私の体験の中では、「エキサイティングな開幕戦」にはお目にかかったことがない。ただ、いちどだけ、意外な結果にびっくりしたことがある。90年大会でマラドーナを中心とするアルゼンチンがアフリカのカメルーンに0−1で敗れたときだ。しかもカメルーンは最終的には2人が退場になって9人でアルゼンチンの攻撃を退けたのだ。
あと2週間あまりに迫ったフランス大会の開幕。今回はブラジルが24年ぶりに登場する。74年大会のときには、前回優勝の立役者だったペレがすでに引退しており、しかもケガ人続出でチームが整っていなかった。最近アビスパ福岡のヘッドコーチに就任したペトコビッチなどを擁するユーゴに負けなかったのが幸運なほどだった。
しかし今回のブラジルは四年前の優勝時より数段優れた攻撃力を備えている。大会のスーパースター候補の筆頭と誰もが認めるロナウドが加わり、破壊力は抜群だ。スコットランドは当然守勢になるだろうが、元来カウンターを得意とするチームなので、持ち味を発揮するかもしれない。
ワールドカップ開幕戦。何度裏切られても、また期待に胸を高まらせてしまう。まるで、新しい恋が始まるように。
(1998年5月25日)
ワールドカップの開会式は、オリンピックの開会式のような意義のあるものではない。
オリンピックではすべての出場国のアスリートが集って「平和の祭典」をアピールする。だがワールドカップでは選手はまったく出てこない。開幕戦前に20分間程度のアトラクションが披露されるだけだ。
それが終わると両チームが入場し、通常の国際試合のように試合前のセレモニーが行われた後に開幕戦キックオフとなる。前回優勝国で、今回も優勝候補の筆頭に挙げられるブラジルの第1戦。世界中が注目する試合だが、実際には全部で48試合行われるグループリーグ・ゲームのひとつという重みしかない。
だが6月10日に行われるフランス大会の開幕戦「ブラジル×スコットランド」は、これまでになく重要な意味をもっている。今後のサッカーの方向性を決定する試合と言っても過言ではないだろう。
ことしFIFA(国際サッカー連盟)はひとつの重要なルール改正を決めた。「後方からのタックルは、著しく不正な行為として退場で罰せられる」というものだ。
これまでも、ルールで許される正しいタックルはボールへのものだけだった。ボールといっしょに相手の足までかっさらうようなタックルは、後ろからであろうと前からであろうと反則である。そしてその悪質さの程度によって、警告(イエローカード)の対象になったり、相手を危険にさらすような場合には退場(レッドカード)で罰せられてきた。今回の改正は、そうした判断を1歩進め、とくに背後からの反則タックルに対してとくに厳しく対処しようというものだ。
背後からタックルされるときには、ボールをもっている選手はタックルを予期できず、瞬間的に避けたり逃げたりすることができない。そのため、大きなケガにつながることも少なくない。ボールだけをけり出して相手の足には触れない例外的にフェアなタックルを除き、後方からのタックルは、選手の安全を考えてすべて退場処分にしようというのが、今回の改正だ。
新ルールは7月1日から世界中でいっせいに施行される。しかしワールドカップは6月から7月にまたがっているため、6月10日の開幕戦から新ルールが適用されるのだ。
ところが、実際のところどんなタックルが新ルールの対象になるのか、なかなかはっきりしない。
ワールドカップに参加するレフェリーは3月にフランスで行われたFIFAの「セミナー」に参加し、新ルールについての説明を受けたが、参加者たちは一様に困惑の色を隠せなかったという。FIFAは大会直前にもういちどレフェリーを集めて見解の統一をはかるが、実際には、開幕戦での判定が基準になる。
この試合の重要なポイントがそこにある。
その後の試合では、開幕戦の基準に従った判定がされていくことになる。そして大会後には、ワールドカップでのレフェリングが世界の基準になっていく。ワールドカップ開幕戦のレフェリングが、実際には、これからのサッカーを形作る作業となるのだ。
このように大事な役割には、誰が任命されるのだろうか。もちろん、FIFAが最も信頼する人が選ばれるはずだ。それが誰になるかも、非常に楽しみなところだ。
ロナウド、ジダン、デルピエロ。世界のスーパースターが一同に集うワールドカップ。しかしレフェリーたちも世界のトップクラスが集い、地味ながら重要な仕事をこなしていくのだ。
(1998年5月18日)
ワールドカップ決勝戦。世界の十数億人が見守る舞台に出ていくことを許されるのは、両チームの選手、役員と審判団。そして、両ゴール裏に陣取る百数十人のカメラマンだ。
78年アルゼンチン大会の決勝戦は、地元アルゼンチンとオランダの間で争われた。出場国でもない日本に割り当てられたカメラマンのビブス(ゴール裏への入場を許されたことを示すために、試合ごとに配付された)はわずか2枚。十数人の日本人カメラマンは決勝戦の前日に話し合いを行い、クジで3人の当選者を決めた。うち2人は、ハーフタイムにビブスを交代することにしたのだ。
そして私が編集していた雑誌のカメラマンのひとりが引き当てたのは、その前半だけのビブスだった。
雑誌をつくるためには写真が必要だ。前半だけの写真で、どうやってページを組めばいいのか。私はひどくがっかりした。その失望が怒りに変わったのは、決勝戦の試合前だった。
報道陣の控室で見たのはなつかしい顔だった。1年前にアルゼンチンの事前取材をしたときに、地元組織委員会の広報部で会った白髪の老人だった。スタジアムの取材許可をもらうために、広報部には何日も通わなければならなかったのだが、その老人はいつも部屋の窓際で暇そうな顔をしていた。そのときにはなんとなく引退したジャーナリストだろうと思っていた。
ところが、1年後のワールドカップ決勝戦の直前に見かけたその老人は、あろうことか、ビブスを着けているではないか。しかも機材らしきものは首から下げた小さなカメラ1台だけ。とっくに現役を終えたカメラマンが、コネを使ってビブスを手に入れたに違いない。なつかしさは、一気に怒りに変わった。
だがそれはまったくの誤解だった。帰国後、アルゼンチンからきた雑誌をめくっていた私は、大会の「最優秀写真賞」を得たという作品と、撮影者の写真に驚いた。それはまさにあの白髪の老人だったのだ。
彼が撮った写真は「魂の抱擁」と名付けられた見事な1枚だった。地元アルゼンチンの初優勝が決まった瞬間、アルゼンチンのゴール前でGKフィジョルとDFタランティニがひざまずいて抱き合っている。そこに走り寄るひとりのファン。だがよく見ると、彼には両腕がなく、セーターの袖の部分がだらりと垂れ下がっている。彼は選手たちに抱きつくことはできない。しかし気持ちのなかでは、しっかりと抱きしめていたに違いない。
後から知った話では、その老人は、ドン・リカルド・アルフィエリというアルゼンチンの伝説的な名カメラマンだった。彼はアルゼンチンのスポーツ史と切っても切り離せないたくさんの名作を残していた。そのひとつがこの「魂の抱擁」だった。
私は物事の表面しか見ない自分を恥じた。小さなカメラ1台でも、天才は「真実の瞬間」を切り取り、多くの人に感動を与えることができるのだ。
ところで、私の雑誌はどうなったのか。この決勝戦では、フィールドに降りられないカメラマンのためにスタンドの最前列に特別席が作られた。そして、アルゼンチンの先制ゴールを決めたマリオ・ケンペスが、得点の直後、まさにその席にいた私の雑誌のカメラマンに向かって両手を上げて走ってきたのだ。もちろんその写真はすばらしいもので、見事に雑誌の巻頭を飾ることができた。
ワールドカップ決勝。4年間にわずか1試合しかない世界最高の舞台。カメラマンたちにも、無数のドラマがある。
(1998年5月11日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。