サッカーの話をしよう

No.246 公共性のあるスポーツクラブへの新税制を

 横浜フリューゲルスの合併問題で考えさせられたのは、クラブと地域との結びつきだけでなく、スポーツと企業の結びつきだった。
 これまで業績が悪化した企業の多くがスポーツ活動を縮小し、スポーツへの援助を取りやめにしてきた。サッカーだけでなく、野球やバレーボール、バスケットボールなどの名門チーム廃部というニュースは珍しいことではない。
 Jリーグのクラブを支える企業も、赤字決算や大幅な減益という状況のなかで、なんとか資金援助を続けているところが多い。
 「理念は結構だが、企業がカネを出しやすいようにしてもらわなければ困る」
 一部出資企業からこのような不満が出ている。メディアで使用されるクラブの呼称から企業名を外し、地域名と愛称の組み合わせにするというJリーグの取り組みに対する批判だ。

 クラブはユニホームの胸や袖などに出資企業やその商品のロゴマークを入れ、「宣伝活動」もしているが、出資企業が広告費として経費の枠に入れる限度以上の資金援助を余儀なくされているケースが多い。そうなると、「赤字補填」は課税対象となってしまうのだ。
 「Jリーグへの援助で税金を取られたのでは、経営責任を問われる」という不満には一理ある。
 こうした批判に、Jリーグ側は「クラブの自立が急務」という姿勢を貫いている。出資企業からの資金援助を正当な宣伝活動の範囲にとどめれば、何の負い目も感じることはなくなる。そういう状態であれば、出資企業が撤退しても、別のスポンサーを探せば済む。その姿勢に誤りはない。
 しかし企業名を入れることでもなく、クラブの経営規模を縮小するでもなく、「第三の道」もあるのではないだろうか。企業が援助しやすいように、税制を変える。Jリーグクラブへの資金援助を「非課税」とする方法だ。

 条件は「公共性」だ。Jリーグは地域の人々の生活向上への貢献を目指しているが、もしそのような働きが認められるのなら、現在の「株式会社」から何らかの「公益法人」に組織替えし、企業からの資金援助を非課税にする方向を検討してもいいのではないか。
 Jリーグクラブだけの話ではない。「公共性をもったスポーツクラブへの資金援助は非課税」ということにすれば、日本のスポーツ環境は大きく改善されると期待されるのだ。
 現在、政府はいろいろな省庁で各地に「地域型総合スポーツクラブ」をつくろうとしている。地方の各地域でもそれぞれの取り組みが始められている。だれもがスポーツを楽しみやすい環境を整える計画だ。

 しかし施設と資金が大きなネックになり、計画は順調とはいえない。学校施設の転用などで施設面が解決されても、クラブの運営資金にめどがつかない。「受益者負担」が原則とはいっても、それだけではクラブの維持は難しいからだ。
 ここに「スポーツクラブへの資金援助は非課税」という制度ができれば、強力な後押しになるはずだ。
 鹿島アントラーズや浦和レッズのように地域の生活になくてはならない存在になっているのなら、Jリーグのクラブの「公共性」も高く評価されるだろう。こうした「優遇措置」を受けても、地域の人々は十分納得するはずだ。クラブと企業の結びつきのためにも、クラブと地域との結びつきが不可欠な条件となる。
 この「第三の道」への働きかけを、Jリーグはすぐにでも始めてほしい。それは、Jリーグが唱える「スポーツで、もっと、幸せな国へ」という「百年構想」にもつながるはずだ。

(1998年11月25日)

No.245 ラモスと都並 地道な指導者修行を

 ヴェルディ川崎のラモス瑠偉選手が引退した。先日の柏レイソル戦が最後の試合だった。
 現役生活を終えることを、サッカーでは「シューズを壁に掛ける」と表現する。ラモスは柏スタジアムのピッチの上で文字どおりサッカーシューズを脱ぎ、自分の意思を示した。
 77年に来日、79年に日本リーグ一部にデビューして以来、ずっと日本のトップスターだった。所属の読売クラブを日本リーグの不動の王者に押し上げ、93、94年と連続してヴェルディ川崎にJリーグのチャンピオンシップをもたらした。日本リーグ時代から通算して347ものトップリーグの試合に出場。78得点という数字以上に大きな働きをしてきた。
 89年には日本国籍を取得。ブラジルから帰国したカズ(三浦知良)とともに90年に日本代表入りして意識革命を起こす。

 負けぐせがついていた当時の日本代表に、戦う姿勢と誇りをもたらしたのは、ラモスの猛烈な闘志だった。そして94年ワールドカップにチャレンジした「オフト日本代表」の中核となった。日本リーグからJリーグへ、アマチュアへからプロへ、日本サッカーの大きな転換期の橋渡し役として、ラモスほど大きな貢献をした選手はいない。
 ラモス引退の前週には、読売クラブ、ヴェルディ川崎からアビスパ福岡、ベルマーレ平塚、そして日本代表でファイトあふれるプレーを見せ続けた都並敏史選手も最後のゲームをプレーした。小野伸二(浦和レッズ)を筆頭に若い力の台頭で沸いた98年は、同時に、日本のワールドカップ出場を見届けた大ベテランたちが、静かにシューズを壁に掛けた年でもあった。

 うれしいのは、こうして「ひと仕事終えた」選手たちが、コーチの道にはいろうとしていることだ。ラモスも都並も、すでにことし日本サッカー協会公認の「C級」コーチライセンスの資格を取得するための講習を受講しており、資格取得後はJリーグの監督ができる「S級」を受講することも可能だ。順調にいけば、数年後年には「ラモス監督」「都並監督」の姿が見られるかもしれないのだ。
 しかし私はここでふたりに敢えて厳しい注文をつけたい。選手とコーチ・監督はまったく別のもの。ふたりとも「一からスタート」の気持ちでやってほしいということだ。
 Jリーグの監督、さらに日本代表の監督を目標とするなら、「コーチとしての実力」を証明しなければならない。クラブのユースチームや地域リーグチームなど、下のレベルから始め、実績をあげて実力を示さなければならない。選手経歴と名声だけで自動的にいいコーチ・監督になることはできないからだ。

 もちろん、Jリーグと日本代表の最前線で厳しい戦いをしてきた経験と、抱き続けてきたサッカー哲学や技術・戦術論は、コーチになっても大きな支えになるに違いない。しかしそれはコーチ・監督としての成功を保証してくれるものではないのだ。
 テレビで試合解説をするのもいい。外国へ短期の見学に行くのも悪くはない。しかしそれは、コーチとしては「失業」状態であることを忘れてはならない。そうした状態で何年過ごしても、コーチとしての経験を積むことはできない。
 ラモスも都並も、日本のサッカーにとっては「宝」といってもいい存在だ。だからこそ、来年、彼らが華やかさから遠く離れた練習グラウンドで若い選手たちと汗を流し、コーチとして地に足をつけたスタートを切っていてほしいと願わずにはいられない。

(1998年11月18日)

No.244 本質をついていたのはサポーターだけだった

 サポーターは正しい。文句なく正しい。
 横浜マリノスとの合併問題の収まりどころがまだ見えない横浜フリューゲルス。一連の騒動のなかで最も冷静で、最も本質をついた主張をしているのは、どうやらフリューゲルスのサポーターたちのようだ。
 その主張はシンプルだ。
 「全日空がマリノスに出資することは何も言わない。しかし横浜フリューゲルスというクラブは全日空だけのものではなく、自分たちサポーターや横浜市民のものでもあるのだから、なくさないでほしい」
 「Jリーグ1部でなくても、来年から始まる2部や、その下の新しいJFLでも、あるいは関東リーグでもかまわない。新しい出資者、スポンサーを探し、できるレベルでやっていく。自分たちはそのフリューゲルスを応援していきたい」

 その主張は、感情的でも感傷的でもなく、すばらしく理性的だ。フリューゲルスの選手たちの主張や子供じみた行動、そして自分たちの身分保証にしか考えが及ばないJリーグ選手協会の態度とは大きく違う。
 Jリーグのクラブは、地域の生活に貢献することを目指してきたはずだった。そしてずっと真剣にそうした取り組みを続けてきたのが、鹿島アントラーズと浦和レッズだ。地域の人がサッカーを楽しみ、サッカーのプロクラブを地元にもつことを誇りに思い、クラブが地域の生活の欠くことのできない存在になる。
 ときには暴走して問題を起こす両クラブのサポーターたちも、その情熱とパワー、そして若い世代を結集させる力で、地域文化の重要な要素となっている。

 「いまいちばん難しいのは、若い人を集めることだ。ひとつのことに町ぐるみの若者を集めることができるのは、Jリーグだけだ」
 そう語ったのは、ベルマーレ平塚がJリーグに昇格した当時に平塚市長だった石川京一さんだ。
 通常の地方行政では考えられないような無理をして半年間でスタジアムの改装を完成し、Jリーグへの昇格条件をクリアした行動派市長は、ベルマーレの試合に集まるサポーターを見て、改めてJリーグが目指すもののすばらしさを実感したと話してくれた。
 その後、多くのクラブは地域の生活に貢献するという目標を忘れ、観客数を激減させた。当然、サポーターの数も大きく落ちた。だが残ったのは、自分たちの人生と地元のJリーグクラブとの関係の「本質」を見抜いた人々だったのだ。
 クラブは企業が資金を出して運営されている。しかしそれはけっして企業の「私物」ではない。自ら入場料を払い、屋根もないスタジアムで試合が見やすいとはいえないゴール裏に陣取り、情熱を傾けて「サポート」をしてきた人々なくして、「プロ」らしい雰囲気はなかった。Jリーグのクラブは、そうした人々のものでもあるのだ。

 今回の事件を通じて、そうした「本質」を主張し続けたのは、ただひとつ、フリューゲルスのサポーターだけだった。
 企業の論理だけで「不良子会社の整理」に走った全日空と日産、「ノー」と言えなかった両クラブ経営者、企業の論理を社会情勢上仕方がないと受け入れたJリーグ。「地域密着」や「理念」などの言葉を振りかざしても、「本質」に根ざしたサポーターたちの心からの要求の前では空虚に聞こえる。
 全日空、横浜フリューゲルス、そしてJリーグは、サポーターたちの真摯(しんし)な要求にどう応えるのか。そこにこそ、Jリーグの本当の「ターニング・ポイント」があるような気がする。

(1998年11月11日)

No.243 理念を忘れた横浜2クラブの合併劇

 マリノスとフリューゲルス、横浜の両クラブの合併が発表された。
 フリューゲルスへの共同出資企業である佐藤工業の撤退決定で苦しくなった全日空が、同様にマリノスへの単独での資金提供を負担に感じ始めていた日産自動車と、両クラブの合併を決めてしまったのだ。
 不況で企業のスリム化が必要なことは事実だろう。地震被害を理由にJリーグクラブへの資本参加の約束を反故(ほご)にする一方で、プロ野球球団に大金を投入した関西の大手流通企業とはわけが違う。
 しかしJリーグに参加したのは、地域に根ざしたクラブづくりを通じて日本の社会に貢献するという理念(目指す方向性)に賛同したからに違いない。最終的に合併するにしても、もっと違うプロセスがあったはずだ。理念を忘れ、ファンや市民をないがしろにして無責任にも単なる子会社の整理のように合併決定をしたところが大失敗だった。

  もうひとつの問題はもちろんクラブ自身だ。両クラブは「親会社の決定で仕方がない」と責任を転嫁する。しかし地域に根ざしたクラブとなるために、これまで何をしてきたのか。
 95年以来、Jリーグの川淵三郎チェアマンはことあるごとに「理念を具体的な形で実現する」ことを説いてきた。「スポーツを通じて地域の生活を豊かにする」ための具体的な取り組みを各クラブに求めた。
 マリノスは、日本リーグの日産自動車時代から少年サッカースクールやユース育成活動に真剣に取り組んできた。その成果は、自クラブでの選手育成にとどまらず、神奈川県内のサッカーの発展に大きく寄与した。しかし地域との結びつきはそれだけだった。

 「地域に根ざす」とは何なのか。簡単に言うことはできない。それぞれの地域には、それぞれのクラブのあり方があるからだ。ただし、地域の人びとがクラブを「自分たちのもの」と思える存在になることは、不可欠な第一歩である。横浜の2クラブはそうなることができなかった。しかしその一方で、鹿島アントラーズ、浦和レッズというふたつのクラブがJリーグが始まってわずか数シーズンのうちに地域の生活の重要な一部となっていることを忘れてはならない。
 アントラーズとレッズは地域とあまりに強く結びついているため、出資企業はこんな無責任なことはできない。資金提供が困難なほどの苦境に立っても、責任ある態度でクラブをどうするかを考えるはずだ。
 「鹿島はまとまりやすい。浦和はサッカーが盛んだった。横浜のような大都市では、地域との密着は難しい」とは言い訳にすぎない。鹿島や浦和にも悪条件はたくさんあった。それを克服したのは、間違いなく両クラブの努力だ。地域に根ざすことをまじめに考え、取り組んできた結果だ。

 合併を発表する記者会見で、両クラブの代表は「地域に密着した新クラブをつくる」と繰り返し語った。しかしお題目を唱えるだけでは意味はない。強いチームをつくればいい、優勝すればファンはついてくるという考えでは、いつまでたってもクラブは地域の人びとのものにはなれない。
 クラブ財政の自立が何より急務だと、川淵チェアマンは強調する。しかし収入を増やし、支出を減らして財政を健全化し、出資企業からの援助を適正なレベルに落とすだけでは、道はまだ半ばでしかない。本当に地域に根ざしたクラブ、地域の人びとが心から「自分たちのクラブ」と感じられるようにするための努力を、方向性を間違わずに続けることこそ、クラブ存続の最大の「保険」であることを、Jリーグの全クラブは肝に銘じるべきだ。

(1998年11月4日)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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