スペインの1部リーグで、西沢明訓が移籍後初めての先発出場を果たした。
25日日曜日、マドリード市の「ラヨ・バリェカノ」とのアウェーゲーム。西沢が所属するバルセロナ市の「エスパニョール」は、前半途中で10人になりながらも、粘り強い戦いを見せて1−1で引き分けた。
FW西沢は「ワントップ」で出場、前半はなかなかボールが回ってこなかったが、10人になってからは西沢のヘディングとキープが頼りとなった。相手DFは屈強な大男ばかりで、反則を交えた守備で西沢を止めようとした。初得点どころかシュートも打てなかった。しかしそれでも、しっかりとチームに貢献したように思えた。
テレビで見ていて、うれしい驚きがあった。西沢の態度が非常に自然で、しかも明るくチームに溶け込んでいたことだ。
前半、チームメートのタムードがイエローカードやレッドカードを受けたときには、誰よりも早くレフェリーのところにかけつけて抗議した。もちろん、何を言っていたのか聞こえたわけではない。しかしチームメートを思うその真剣な話しぶりは、本来なら許されないレフェリーへの抗議であるとはいえ不愉快な感じは受けなかった。
ハーフタイムには、ゼスチャーを交えながらプレーについて味方選手と熱心に話しながら更衣室に向かう西沢の後ろ姿が画面に映し出された。多少ブロークンであっても積極的にコミュニケーションをとろうとする自然な姿勢だった。
さらに後半、ゴール前の競り合いでひざを痛めたときの態度が印象的だった。ドクターが呼び込まれたため、レフェリーは西沢にいちどピッチを出るように指示した。しかし自分が出ればチームは9人になってしまう。「オレはだいじょうぶ。なぜ出なければならないんだ!」とでも言っているような強い態度は、非常に頼もしく映った。
ストライカーとしてすばらしい才能をもちながら、過去数年、西沢はなかなかその才能を花開かせることができなかった。それは、試合中に見せる激しいファイターぶりと同時に、彼が非常に繊細な神経の持ち主だったことが原因のように思える。
97年、フランス・ワールドカップを目指して日本中が異様なテンションにあったなか、彼は初めて代表に選ばれ、期待を集めた。しかし最終予選の最中の不運な負傷でチームを離脱しなければならなかった。
きのうまでスター扱いをしていたメディアが、手のひらを返したように彼を「戦犯」扱いしはじめた。プロになってから初めて受けた「メディアの洗礼」は、繊細な彼の神経には耐えがたいものだった。
非常にシャイで、知らない相手に対して自分を表現するのがうまいとはいえなかった西沢の成長が足踏み状態になったのは、そうした周囲に対する不信感が理由だったのではないか。
しかし昨年、西沢はセレッソ大阪で見事なプレーを見せ、日本代表でもフランス戦、アジアカップなどでエースの活躍を見せた。セレッソの副島博志監督の感化も大きかったのだろう。
そしてシーズン終了とともにスペインに移った。そのタイミングがまさに絶妙であったことが確認できたのが、先週の試合だった。精神的な成長と安定、そして周囲との自然でオープンな交流は、スペインでの彼の成功を確信させるものだった。
ライバルはチーム内にもたくさんいる。得点を挙げて、仲間からの信頼を受けなければならない。しかし西沢は必ずその戦いに勝つだろう。
相手がスペイン代表だろうとアルゼンチン代表だろうと、臆することはない。西沢も、ワールドカップで上位進出を目指す日本代表のエースだからだ。
(2001年2月28日)
7年間続けてきたJリーグの「優秀放送賞」の審査委員をお役御免となった。ほとんど変わらぬメンバーで務めてきたが、こうした役割にフレッシュさが必要なのは当然のことだ。
審査にあたって、毎年20本以上の放送ビデオを見てきた。試合前、ハーフタイムの使い方、エンディングなどもチェックしなければならない。1試合当たり少なくとも2時間はかかるから、かなりハードな仕事だった。
しかしよく考えると、私は毎年同じような注文をつけ続けてきたような気がする。テレビ中継について書く機会はあまりないので、この際、念仏のように唱えてきた「試合中継への注文」を書いておくことにする。
第1に、メンバーリストは、必ず試合前に出してほしい。すでにストーリーが始まり、重要なせりふが話されているときに、出演者の顔の上に大きく字幕を流し、音声で出演者名を言う映画があるだろうか。試合が始まってからメンバー表を出すのは、それと同じことなのだ。
第2に、4人の審判名を、フルネームで、できればアップの表情を入れて、これも試合前にきちんと紹介してほしい。審判も重要な「キャスト」だからだ。試合が始まって数十分後、トラブルがあったときに「本日の主審は○○さんです」と初めて紹介する中継があまりに多い。
第3に、アナウンサーと解説者は、試合に集中してほしい。試合を楽しみたいとテレビを見ている視聴者の助けになってほしいのだ。展開に関係のないおしゃべりばかりの放送は、逆に、視聴者のじゃまになっている。
第4に、試合中のスコア表記は、必ずホームチームを左にしてほしい。攻撃の方向で示す日本式の表記では、どちらのホームゲームかがわからない。ことしから始まるサッカーくじを考えても不都合だ。
第5に、リプレーは、試合の流れを見て入れてほしい。チャンスの直後に挿入した無考えなリプレーで、大事なシーンが見られないことがある。リプレーはテレビ中継の最大の強みだが、それが致命的な放送ミスにつながることもある。
第6に、アナウンサーと解説者はしっかりとルールを勉強してほしい。オフサイドのルールと審判法を明確に理解していない解説者が跡を絶たない。
第7に、試合そのもので楽しませてほしい。余計なクイズを入れて試合中継を中断するなど主客転倒だ。
第8に、アップを減らしてほしい。プレーの流れがわからなくなるからだ。第9に...。このくらいにしておこう。
7年間の審査で見た番組で最も印象的だったのは、95年の11月に放送されたテレビ東京制作の「浦和レッズ対横浜マリノス」だった。
試合も一進一退だった。2−2の同点からPK戦となり、レッズが5−4で勝った。その試合の1プレー1プレーを、担当したテレビ東京の斉藤一也アナウンサーが的確に伝えていたのに、非常に感心した。話すリズムが試合のリズムと重なり、心地良く試合に引き込まれた。
同時に、映像の見事さにも感心させられた。中継は浦和の駒場スタジアムにかかる満月のアップから始まり、次第にカメラが引いて満員のスタジアムが映し出された。そしてエンディングは、最後のPKを決めたレッズのバインが、チームの歓喜の輪に加わらず、マリノスのGK川口のところに歩み寄って声をかけるシーンだった。
この年デビューしたばかり、20歳の川口は、がっくりとひざをついていたが、バインの言葉にうなずくと、少年のような笑顔を見せた。
あわただしい中継作業のなかで、番組をこの美しいシーンでしめくくった編集者のセンスに、私は素直に脱帽した。
(2001年2月21日)
今回は、「本当は書きたくない話」を書く。ワールドカップのチケット申し込み受け付けスタートの話題だ。
まあ聞いてほしい。
先週のある晩、テレビの人気ニュース番組を見ていたら、この話の特集があった。その最後に、キャスターに話が振られると、彼はこう答えた。
「私ですか? もちろん申し込みますよ」
思わず叫んだ。
「あなたは申し込まなくてもいい!」
そのキャスターは、日常の発言ぶりから、どう見てもサッカーに興味のない人だったからだ。
サッカーに興味はない。ワールドカップもどうでもいい。しかし今回の騒ぎを見ていると、プラチナチケットになるのは確実。もし当選すれば、何かの役に立つかもしれない----。
そんな気持ちで申し込み用紙を手にする人も少なくないのではないか。人気ニュース番組で特集を組むことによって、本来なら興味のなかった人まで「申し込まなければ」という空気に感染され、その結果、倍率をさらに高くしてしまうのではないか。そう強く感じたのだ。
これまでサッカーに興味のなかった人が、ワールドカップだから見たいと思うことが悪いというのではない。ワールドカップをきっかけに熱烈なファンになることもある(私もそのひとりだった)。しかし自分で見に行く気などないのに、大騒ぎになっているからとりあえず申し込みをしようというのは困る。
熱心なサッカーファンにすれば、「そんなに騒がないでくれ」と言いたいのではないか。本当にワールドカップを見たいと思っている人に販売システムがわかるようにしてくれれば十分というのが、偽らざる気持ちではないか。だから私も「書きたくない」のだ。
3年前、98年ワールドカップで日本のファンを襲った悲劇を忘れてしまった人はいないだろう。日本の初めてのワールドカップ出場を見ようと、旅行会社企画のツアーに申し込んだ人の多くが、大会の直前になって「チケットがありません」という知らせを受け取った。日本の旅行会社が大規模な詐欺にあったためだった。
ツアー参加を取りやめた人、ともかくフランスに渡ってチケットを入手しようと努力した人。そのなかでも入手できずにスタジアムの外にいただけの人、とてつもない高額でなんとかチケットを買い、ようやくスタジアムにはいった人。その誰もが、深く傷ついた。
今大会のチケット販売システムは、そうした悲劇を繰り返してはならないと計画されたものだったはずだ。ところが、実際に販売計画が発表されてみると、多くのファンが絶望的な気分に陥ったのではないか。
「日本でワールドカップを開催する」ことは、大多数のファンにとっては、「初めてワールドカップを生で見るチャンス」というイメージだった。しかしそうではなかった。このままでは、状況は3年前とは違っても、そのときと同じような心の傷を、そのときとは比べようもないほど多くの人に残すのではないか。そんな懸念がしてならない。
JAWOCは、そうしたファンの心をしっかりと受け止めなければならない。正直者がばかを見るような思いを絶対にさせないでほしい。外れた人びとが「公平な抽選だったのだから仕方がない」と思えるように、受け付けと抽選を管理してほしい。
そして、国内外で入手されたチケットの「購入権」が、チケット業者、オークション、あるいは旅行会社などを通じて法外な価格で売買されるようなことなどないように、しっかりと監視し、正当な価格でファンの手に渡るよう、最後まで努力を払ってほしいと思うのだ。
(2001年2月14日)
きょうは、ひとつの言葉について考えたい。
「リスペクト」(respect)
「後ろを振り返って見る」という意味のラテン語から発して、ヨーロッパの各国語で、尊敬する、敬意を払うというような意味の言葉になった。「リスペクト」と発音するのは英語だ。
「私たちはすべてのチームをリスペクトしている」
昨年レバノンで行われたアジアカップ、対戦相手について聞かれると、日本代表のフィリップ・トルシエ監督は決まってこう切り出した。
通訳は、たいていの場合、「リスペクト」を「尊敬している」「尊重している」「敬意を払っている」などと訳す。
しかしどう訳しても、なかなかぴったりこない。
「サッカーでは何でも起こりうる。試合というのは、キックオフされるまでは常にフィフティ・フィフティと考えなければならない」
トルシエはそんな話もする。だから相手を「リスペクト」することが必要なのだ。彼は真剣にそう話す。けっして外交辞令ではないのだ。
サッカーは単純に戦力を比較して勝敗を決めつけることのできるスポーツではない。たとえ対戦相手のこれまでの成績が自チームと比較して悪く、誰の目にも力の差があるように見えたとしても、ひとつの定規で戦力を測って「100パーセント勝てる」と言い切ることなどできない。
だから試合に臨むときには、相手の価値をしっかりと認め、真剣に取り組まなければならない。そうした態度を、「リスペクトしている」というのだろう。
リスペクトしなかったために痛い目にあったチームは数限りなくある。最もわかりやすい例が、96年のアトランタ・オリンピック初戦で日本と対戦したブラジルだろう。
このときのブラジル・オリンピック代表は、オーバーエージの選手を3人入れ、「このままワールドカップに出ても優勝できる」とまで言われた。大会直前には世界選抜を3−1で下し、オリンピックの金メダルは間違いないと考えられていた。
誰も、日本などをリスペクトしていなかった。その結果、0−1で敗れるという、手ひどいしっぺ返しを受けた。
「格下」(私はこの言葉が嫌いだ)のチームをリスペクトせず、見下す態度は、「格上」のチームに対する必要以上の恐れと表裏一体をなしている。
もう三十数年も前、日本代表がブラジルの強豪クラブと対戦した。試合を前に、日本選手の何人かが、相手の名声に押されて萎縮しきっていた。それを見たデットマール・クラマー・コーチはこんな話をしたという。
「相手と日本の実力を比べたら、富士山と琵琶湖ほどの差があるが、精神力と作戦によってその間に空中ケーブルを架けることもできる。富士山を征服することもできるのだ」
その言葉に励まされた日本は、自分たちのもっているものを出し切って2−1の勝利を収めた。相手の力を正確に認めたうえで、それを恐れずに戦うこともまた、「リスペクトのある」態度ということができる。
相手の価値を認めること、「リスペクト」を、サッカー、そしてスポーツ全般の精神的な柱のひとつにするべきだと思う。そうすれば、そこから、試合中や試合後のいろいろな態度が生まれてくるのではないか。
どんな試合でも真剣に取り組むようになるだろう。負傷した選手には、どちらのチームであろうと気づかうだろう。そして試合が終了したら、勝っても負けても、狂喜したり倒れ込むのではなく、自然に互いの健闘を称えあうことができるだろう。
相手をリスペクトすることは、自分自身をリスペクトすることにもつながるのだ。
(2001年2月7日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。