サウジアラビアが敗れた。
8月25日にイランのテヘランで行われたワールドカップのアジア最終予選A組、イランがサウジに2−0で勝った。前半は0−0。後半、イランがアリ・ダエイのPKで先制、サウジは退場者を出したうえにダエイにもう1点を追加され、完敗を喫した。
「スタンドを見上げたときには、もう勝つしかないと思ったよ」とイランのミロスラフ・ブラゼビッチ監督。98年フランス大会でクロアチアを率いてワールドカップに初出場、3位という偉業を成し遂げた名将だ。
この日、アザディ・スタジアムには10万の観客がつめかけていた。そのすべてが男性である。想像を絶する雰囲気は、「内弁慶」といわれるサウジの選手たちに巨大なプレッシャーになったに違いない。
8月中旬にスタートしたアジアの最終予選。この試合はイランの初戦だったが、サウジにとっては2試合目。1週間前、ホームのリヤドでの初戦で、バーレーンに先制点を奪われて大苦戦し、終了直前にようやく追いついて1−1の引き分けに持ち込むという失態を演じていた。
全8試合のリーグ戦で2試合を終えて勝ち点1。3回連続出場を目指すサウジにとっては、「もう負けられない」というぎりぎりのところだ。
「第2節」を終えたところで、A組をリードしているのは、アラビア湾の人口60万人の島国バーレーン。サウジ戦で引き分けたのに続いて、8月23日にはホームのマナーマにイラクを迎えて2−0の勝利を収めた。
「猛練習が選手たちに自信をもたらした。フィジカルが強くなったので、これまでのように守っているだけでなく、攻撃もバランスよくできるようになった」と、ドイツ人のボルフガンク・ジドカ監督は語る。バーレーンは「ワールドカップ出場の有力候補」といわれたクウェートを1次予選でけ落として最終予選進出。その実力は侮れない。
B組では、「最有力候補」中国が好スタートを切った。25日に瀋陽にUAEを迎えた初戦、開始わずか2分で李小鵬が先制点を奪うと、試合を完全にコントロールし、2点を追加して3−0で勝った。
A組はバーレーン、イラン、サウジ、イラクのほかタイが争い、B組は中国、UAEとカタール、オマーン、ウズベキスタンが争う。両組の首位は自動的に「韓国/日本大会」への出場権を得る。しかし2位になると、もうひとつの組の2位とプレーオフを戦い、勝っても、最後の出場権をかけてヨーロッパのチームと対戦しなければならない。非常に険しい道だ。
日本代表には予選はないが、「予選真っ最中」の日本人もいる。レフェリーたちだ。
すでに8月17日のイラク対タイ戦(バグダード)で岡田正義さんが主審を務めた。副審は石山昇さんと原田秀昭さん、第4審判は太田潔さんだった。今週土曜、9月1日には、タイ対サウジアラビア戦(バンコク)で布瀬直次さん、カタール対中国戦(ドーハ)で上川徹さんがそれぞれ主審を務める。
これらの試合での評価が、来年のワードルカップへの重要な資料となるはずだ。
ところで、アジア予選は、テレビ朝日が全試合の放映権をもっているはずなのだが、まだ1試合も放映されていないのはなぜだろう。なんども書いてきたが、独占放映権をとった局は、放映する義務がある。自局でできない場合には、他局に放映してもらうようにしなければならない。
アジアの国々の命を削るような予選、スリルにあふれたドラマを放映しないのは、宝の持ち腐れというだけでなく、サッカーファンを愚弄する行為と言わなければならない。
(2001年8月29日)
「その金額じゃ、うちの選手たちはスローイン1回だってやらないな」
主としてイングランド・サッカー界のコメントを集めた近刊『決めゼリフを言う選手、捨てゼリフを吐く監督』(フィル・ショウ著、森田浩之訳、廣済堂出版)に、こんな言葉があった。
「吐いた」のは、コベントリー・シティーのゴードン・ストラカン監督。イングランド・プレミアリーグにおけるレフェリーの手当てが、1試合わずか200ポンド(約3万6000円)と聞かされてのコメントだった。
年俸にして数億円を受け取る選手がごろごろといるプレミアリーグ。90分間のプレーが1000万円以上になる選手も少なくない。ストラカンの言葉はジョークではない。正直な感想だったはずだ。
120年を超すプロの歴史をもつイングランドでも、レフェリーたちは誇り高い「アマチュア」である。自分自身の生計をたてる職業をもち、その「余暇」にサッカーのレフェリーとして活動するというのが基本だった。
そのイングランドに、レフェリングの新時代が到来しようとしている。イングランドのサッカー協会(FA)が、トップクラスのレフェリーに「基本年俸」を支払うことになったからだ。
FAによると、プレミアリーグとトップクラスのカップ戦を担当する主審24人を選び、このプログラムを実施するという。
主審の「基本年俸」は3万3000ポンド。日本円にして約600万円である。これに試合ごとの手当てがつく。ヨーロッパサッカー連盟(UEFA)の97年の調査によると、イングランドでは1試合あたりのレフェリー手当ては、200ポンドではなく375ポンド(約6万7500円)。年間20試合を担当すると、年間収入は4万ポンド(720万円)を超すことになる。
完全な「プロ化」とは言いがたい。レフェリーをして得られる収入が大幅に増えたといっても、物価の高いイングランドにあっては、ようやく生活できるという金額だからだ。レフェリーたちは、この「エリート集団」に選ばれても、自分自身の職業を続けることは禁止されていない。
ポイントは、2週間ごとに3日間ずつの「トレーニングセッション」に参加することを義務づけられていることだ。
30代から40代のレフェリーたちにとって、最大の問題は、フィットネスの維持である。現代のトップクラスのサッカーはスピード化が進む一方だ。その試合についていくには、レフェリーたちも定期的に相当なトレーニングをしなければならない。
しかしレフェリーには所属チームはない。それぞれの仕事をもち、その余暇に、自分ひとりでトレーニングをすることになる。若くて巨額の年俸をもらっているだけでなく、専門家がつきっきりで指導に当たっているプレーヤーたちに対抗するのは不可能といっていい。
今回のイングランドの「改革」は、ここに手をつけたものだ。集団で、専門化の指導を受けて定期的にトレーニングを続けることによって、レフェリーたちのフィットネスは大幅に向上するはずだ。
FAは、プレミアリーグを担当する副審48人、プレミアリーグ外のプロの試合を担当する主審50人、副審180人も指名した。これらの人びとにも、トレーニング参加手当てを支給して同様のプログラムを展開するという。
一気のプロ化ではなく、レフェリーたちの「トレーニング環境」の改善に目をつけた今回のイングランドの改革。どのような成果が出るか、世界中が注目している。
(2001年8月22日)
ワールドカップ前年のことし前半、次つぎと新スタジアムが完成し、使用が始まった。ワールドカップ会場ではないものの、同等の規模と内容の東京スタジアム、豊田スタジアムもオープンした。
Jリーグが始まった93年には、10クラブのホームスタジアムで収容3万人を超えていたのは広島ビッグアーチだけだった。その後、96年に大阪の長居スタジアムが完成し、98年に横浜国際、2000年には宮城、そしてことしにはいると、4万人以上の収容能力をもつスタジアムがすでに9つもオープンし、10月には神戸の新スタジアムが加わる。
新スタジアムには、それぞれに特徴があり、どこも見ていてとても楽しい。
札幌ドームは、巨大な宇宙船のような外観が見事だ。埼玉スタジアムは、観客席の配置が緻密に考えられていて、完成度の高いスタジアムと映った。大分のビッグアイは、ぜひあの屋根が完全に閉まっているところを見たいと思った。豊田スタジアムでは、観客席からの見やすさだけでなく、スタジアムに向かう橋からの景観に感嘆した。
しかし実際に使用を開始してみると、どのスタジアムでも、いくつも不都合な点が出ているに違いない。ハード面だけでなく、試合運営面でも、すでにいくつもの変更を余儀なくされているのではないか。それは当然のことだと思う。
いくら綿密な計画の下に建設されたスタジアムでも、実際に4万人、5万人という観客が押しかけると、想定していなかったことがいくつも起こるのも無理はない。重要なのは、こうして使用しながら、問題点をひとつずつ改善し、使いやすいスタジアムにしていくことだ。
新しいスタジアムは、ワールドカップの舞台になるだけでなく、大半がJリーグのクラブのホームスタジアムにもなる。各クラブは、これまで何年間も使い慣れた旧スタジアムから「引越し」をすることになる。旧スタジアムの「改装」という形で大きくなったのは、鹿島アントラーズが使用するカシマスタジアムだけで、残りはすべて新設のスタジアムだからだ。
たとえば、浦和レッズは、これまで2万人収容の駒場スタジアムを使用してきたが、3倍の収容力をもつ埼玉スタジアムが完成し、その使用も可能になった。
新スタジアムは、サッカー専用で非常に見やすくなったとともに、慢性的な「入場券不足」も一挙に解消させるだろう。しかしその一方で、アクセスの面では、さいたま市の都心から非常に不便になってしまった。その点で反発しているファンも多いと聞く。同じような「ジレンマ」が、他のいくつもの新スタジアムと地元クラブの間にある。
しかし私は、各クラブは積極的に新スタジアムを使用するべきだと思う。旧スタジアムでは、1試合平均の入場者数は1万人台がやっとだった。この程度の入場者数では、プロとしての自立は難しい。3万人、4万人と入場者を伸ばすことによって、初めて自立し、さらに事業を拡大していくことが可能となる。
それは、クラブ側だけでなく、ファンにとっても歓迎すべきことであるはずだ。チームを強くするにはクラブの財政基盤が不可欠であり、そのためには、新スタジアムで観客数を大幅に伸ばすことが最も現実的な道だからだ。
新スタジアムには、不便な点、不都合な点もあるかもしれない。しかしクラブとスタジアムとファン、みんなの努力と工夫次第で、次第に苦痛を減らすことは可能だ。
スタジアムは完成した。しかしそれを各クラブの「快適な我が家」にする「建設工事」を、これから始めなければならない。
(2001年8月15日)
昨年10月、日本代表が2回目の優勝を飾ったアジアカップ・レバノン大会はもう遠い思い出となった。ワールドカップに向け、もう誰も過去を振り返ったりしない。
しかし私は、ときどきレバノンの日々を思い出す。日本代表のサッカーだけではない。ひとりの中年ドライバーの、人のよさそうな笑顔が、頭に浮かんでならないのだ。
「モシモシー!」
出会いは、彼のけたたましい絶叫だった。
イブラヒムは、日本の取材陣が宿泊していたベイルートのホテルに出入りするタクシー・ドライバーのひとりだった。到着の翌朝、日本の練習会場へ行こうとホテルを出たとたんに、彼につかまった。
数日前からきている日本人記者を乗せたとき、みんな決まって携帯電話を取り出し、「モシモシー!」と始めたらしい。あまりに面白くて、以来、日本人の顔を見ると「モシモシー!」と大声をかけるようになったのだ。
練習会場は遠く、公共交通機関はなかった。取材陣はすぐに「専用ドライバー」をもつようになった。私も、2人の同僚とともにイブラヒムの世話になることにした。
大きな問題があった。彼はまったく英語ができなかったのだ。毎回、イブラヒムは、出かける前に英語のできる仲間を呼んで通訳してもらい、行き先や時間を念入りに確認してから出発した。
日本は期待通りに勝ち進み、滞在は3週間近くになった。私たちは、イブラヒムの車で日本の試合が行われたサイダに通い、そして練習場に通った。バールベックというローマ時代の遺跡へ連れて行ってもらったこともあった。その間ずっと、彼はアラビア語で、私たちは日本語で通した。
明日が決勝戦という日、練習が終わってホテルに戻ろうとすると、イブラヒムが「今夜の食事は、俺の家にこい」と言い出した。仕事をかかえていたので、「食事は無理だけど、お茶だけごちそうになろう」と、私たちは返事した。
郊外の彼の家は、とてもきれいだった。4人の子どもたちは礼儀正しく、そして堂々としていた。驚いたのは、奥さんをはじめ、イブラヒムを除く家族全員が流ちょうな英語を話したことだった。
「父は、内戦の時期に育ったので、まったく学校に通えなかったのです」と、17歳の長女が説明してくれた。
「だから、私たちにしっかりとした教育を受けさせようと、がんばって働いてくれているのです」
4人の子どもたちは、すべて私立の学校に通っていた。長女は弁護士になりたいと、エレガントな英語で話した。
「お茶だけ」といったのに、次つぎと果物が出され、話が途切れることはなかった。楽しい1時間だった。
日本が優勝して、帰国する日になった。私は、空港までの送りを彼に頼んだ。ホテルから空港まではわずか10分間ほどの行程だ。いつものように、私は助手席に座った。
しばらく走ると、イブラヒムの様子がおかしいのに気づいた。見ると、ハンドルから右手を離して、しきりに両目をぬぐっているのだ。
「きょうまで毎日、俺の車に乗ってくれた人たちが明日からいなくなる。寂しい」
こう言いながら、彼は泣いていたのだ。
「イブラヒム、きっとまたいつか会えるよ。もしここにくる機会があったら、必ず空港にきてもらうからな」
彼の背中を叩きながら、そういうのがやっとだった。
ワールドカップ開催にはたくさんの人の力が必要だ。しかし「外国語ができないから」と引っ込み思案になっている人が多いという。そういう話を聞くたびに、私はイブラヒムの笑顔を思い出すのだ。
イブラヒムさん
(2001年8月8日)
関東女子サッカーリーグの前期が終了した。
関東サッカー協会加盟の8都県から1チームずつ出てホームアンドアウェー形式で行われているこの大会。前期7試合を終えて、私のチームの成績は6勝1敗だった。
楽な試合はほとんどなかった。しかし試合を重ねるごとに個々の選手が力を伸ばし、結果としてチーム力が伸びているのが確認できてうれしかった。その最大の要因は、「コンスタントなリーグ戦」だ。
4月29日に開幕し、12月2日に閉幕する今季は、8月いっぱいが休みになるので、ほぼ毎月2試合のペースとなる。私のチームも、4、5月で2試合、6月に2試合、7月に3試合と、コンスタントに試合を消化した。
ひとつの試合が終わると、次の試合まで2週間ほどある。週2、3回の練習だから、5、6回の練習をして次の試合ということになる。
もちろん、年間を通じての練習課題はある。しかし4月の後半から、私は、毎回の練習の重点を、次の試合を想定したものにした。外側からの崩しをするための練習、オフサイドトラップを多用する相手に対する攻めの練習、そして相手との力関係を考えて、いくつかの試合の前には、守備の課題をワンステップずつこなす練習も取り入れた。
守備の練習は、退屈で、ときには苦しいものもあったが、練習の狙いを説明すると、選手たちは意欲的に取り組んでくれた。その結果、6月ごろから試合内容は次第に濃いものとなっていった。ひとつひとつの試合が、明確な意図をもったものとなったのだ。
東京の女子1部リーグは、10チームの1回戦総当たりで年間わずか9試合だった。慢性のグラウンド不足で、日程もなかなか固まらない。しかもその間にふたつのトーナメントがはさまれるから、とてもコンスタントなリーグ戦などできない。関東リーグ参加は今回が2回目だが、改めて「リーグ戦の効用」を知る思いがした。
夏休みになると、毎年いろいろな年代の「全国大会」が行われる。全日本少年サッカー大会から全国高校総体まで、その大半が勝ち抜き形式の大会だ。各年代のチームの目標は、こうした「全国大会」であり、またその予選となる。
そうした大会自体が悪いというのではない。日程をよく考え、十分なインターバル(試合と試合の間に少なくとも1日は必要だ)があれば、良い面もあるだろう。
しかしサッカー選手を育てるのは、やはり「リーグ戦」という大会形式なのではないか。いろいろな相手と、シーズンを通じてコンスタントに対戦し、対戦相手ごとにしっかりと準備して臨む試合を積み重ねることで、その経験が大きな財産となるからだ。
もちろん、私のチームのように対戦相手ごとにテーマを変えるのではなく、コーチによっては、「相手が誰であろうと自分たちのサッカーをする」というポリシーの持ち主もいるだろう。しかしそれも、前の試合で出た課題を、次の試合に向けてこなしていくということで、本質的には変わりはない。
近年では、「リーグ戦の効用」に対する理解が広まり、有力高校チームなどでリーグ戦を組むケースも出てきた。しかし最高目標に連日試合をする勝ち抜き方式の大会がある限り大差はない。1年の最大の目標をリーグ戦にする必要がある。
「リーグ戦の効用」は、選手を育てることだけではない。レフェリーの育成、グラウンド使用の年間均等化、そして試合運営スタッフの養成など、いろいろな側面がある。日本全国のサッカーの「基本」を、リーグ戦にしていかなければならないと思う。
(2001年8月1日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。