深夜のテレビの前、ひとりでガッツポーズをつくってしまった。23日夜、中田英寿が0−0の均衡を破るゴールを決めた瞬間だった。
結局、中田のゴールが決勝点となり、パルマがセリエAで今季初勝利をつかんだ。この勝利でいろいろなものが好転していくのではないか----。そんなことを考えた。
30億円という巨額の移籍金でローマからパルマに移籍した中田。当然、中田を攻撃の中心に据えたチームづくりが計画されたはずだ。しかしチャンピオンズ・リーグでの予選敗退、セリエAの開幕から2分け1敗というつまずきなど、プランは暗礁に乗り上げかけていた。
監督は「解任」の危機にさらされ、中田にも批判が浴びせられた。23日のブレシア戦は、そのパルマが今季初めてといっていいまとまりのある戦いを見せた試合だった。
激しい批判のなか、この日も中田はチームの勝利のために必死にプレーしていた。果敢に左右のスペースに走り込んでボールを受け、相手に取られれば激しい闘志で取り戻しにいった。その結果、なんどもファウルを取られた。
繰り返し生まれたチャンスを、パルマはなかなか生かすことができない。決定的なチャンスを逃し、中田の好シュートも相手GKのファインセーブに妨げられた。
そのなかで、後半42分というきわどい時間に中田がゴールを決め、初勝利をつかんだ。パルマにとって、「勝ち点3」以上の価値をもつ勝利だったはずだ。
試合は勝てばいいというものではない。とくに、勝っても負けても毎週戦いつづけなければならないリーグ戦というシステムにおいては、プレーの内容を高めなければ、好成績を残すことはできない。
しかし「勝利」は、ときとして、とてつもない効果をもたらす。チームと周囲(クラブやファン)に安心感を与え、自信を生み出す。それがチーム自体を決定的に変えるのだ。
同じような例はいくらでも見ることができる。
ジェフ市原は、今季のJリーグ第1ステージで開幕から3連敗を喫し、周囲から「ことしも残留争いか」と言われた。しかしその敗戦の内容は、はっきりと昨年までとは違っていた。ジュビロ磐田に1−4で敗れた開幕戦以後は、名古屋グランパス、柏レイソルと延長までもつれ込み、惜しくも敗れたものだった。しかも優勝候補の2チームに対し、ジェフが攻勢をとる時間も短くなかった。
「ひとつの勝利で変わる」。その予感はあった。そして第4節、アウェーのアビスパ福岡戦。2−2から3試合連続の延長戦にはいった。2試合続けて延長戦負けしているという重圧を、選手たちははねのけ、延長後半、DF茶野が決勝ゴールを決めた。
今季初勝利をつかむと、ジェフはもう振り返らなかった。第4節からの成績は、12戦して10勝2敗。第1ステージ2位という、シーズン前にはだれも想像しなかった好成績を残したのだ。
たかが1勝。しかしチームという生き物にとっては、それですべてが変わるときさえある。
シーズンが始まってから、中田にとっては苦しい時期が続いたに違いない。しかしそのなかで、どんなにチームメートとのプレーの意図が食い違っているときにも、中田はけっして試合を投げるようなプレーは見せなかった。大声を出して「こうしてくれ!」と叫ぶときはあったが、一瞬後には、次のプレーに集中していた。
そうやってがんばっている者には、最後には勝利が訪れ、そこから事態は好転するものなのだ。パルマの勝利を見ながら、そんなことを思った。
(2001年9月26日)
国際サッカー連盟(FIFA)のホームページを開くと、感動的な写真が目に付いた。先週末のドイツ・ブンデスリーガの試合前に、シャルケ04とボルシア・ドルトムントの選手たち、そして3人の審判、計25人が手をつないで輪をつくり、黙祷を行っている写真だった。
アメリカで起こった同時多発テロの犠牲者に対する祈りが、世界中に広がっている。先週末に世界の各地で行われたサッカーのリーグ戦でも、試合前に選手と観客とで黙祷が行われたところが多かったのではないかと思う。
あの事件がこれほどまでに世界の人びとの心に衝撃を与えたのは、人類がかつて体験したことのない恐ろしさを感じたからに違いない。ある日突然、ただの交通機関である旅客機が大型爆弾に変身し、空から襲いかかってくる。数人のテロリストがわずか数万円の航空券を買えば、いつでも起こりうる事件。これほどの恐怖があるだろうか。
「ワールドカップはだいじょうぶかな」
多くの人からそんな質問を受けた。
テロリストたちが、その存在と主張をアピールしようとすれば、世界的に注目を集めるイベントを狙うことは十分考えられる。かつてはそうしたテロが多かった。
1972年には、ミュンヘン・オリンピックが狙われ、当局との間で銃撃戦まで行われて犠牲者が出た。2年後に同じ西ドイツで行われたワールドカップは、厳戒態勢のなかの大会だった。スタジアムの周辺には軍用車がずらりと並び、機関銃で重武装した兵士たちが要所を固めていた。
軍事政権下のアルゼンチンで行われた78年大会はもちろん、90年イタリア大会まで、スタジアムから機関銃をもった軍隊の姿が消えることはなかった。ワールドカップは、長い間、テロの可能性に脅かされてきたのだ。
しかし今回の事件は、テロリストたちがある決意をすれば、どんなに武装警戒をしても防ぎようのない手法があることを示してしまった。
「ワールドカップはだいじょうぶか」という質問には、「現状では、あんなテロをやられたらどうしようもない」としか答えようがない。
FIFAと開催国の契約により、ワールドカップの「セキュリティー(保安)」確保の責任は、開催国にあるということになっている。
これまで、日韓両国組織委員会のセキュリティー担当者の中心的関心は「フーリガン」問題にあったのではないだろうか。サポーターの暴徒化をどう防ぐかという問題である。
それは依然として重大な問題である。しかしアメリカの事件後に開催される最初の巨大国際スポーツイベントの開催国としては、明確な「テロ対策」を打ち立てる必要があるはずだ。
これからの国際的な協力のなかで、テロリストたちをどこまで追い詰め、無力化させることができるかが、非常に重大なポイントとなる。それに加え、日本と韓国は、組織委員会と政府が協力し、どのようなテロ対策の下に大会を開催するのか、一から検討し、世界に示す義務がある。
「テロが怖いから、もう飛行機に乗りたくない」というのは仕方がない。しかし「テロが怖いから、ワールドカップには行きたくない」という状況にしてはいけない。日韓両国で協力して、世界のサッカーファンが安心してサッカーを観戦にくることができる状況にしてほしいと思う。
世界中のファンが4年にいちど、心から楽しみにしているサッカーの祭典ワールドカップ。その「祭り」の場で、人命が危険にさらされるようなことなど、あっていいはずがない。
(2001年9月19日)
1970年のワールドカップ・メキシコ大会のテレビ放映を見て、強く印象づけられ、感心したことがあった。ピッチの周囲に飾られた、色とりどりの花である。
メキシコシティのアステカ・スタジアムは、10万人の収容力をもつ巨大なサッカー専用競技場だが、スタンドを大きくするためにフィールドが広くとられている。縦105メートル、横68メートルのピッチの外に、かなりの広さの芝面があるのだ。
そこにプランターが並べられ、花が植えられていた。ピッチの中では、世界の頂点を極めるべくプロフェッショナルたちが激しい闘いを展開している。しかしすぐ外には、可憐な花が競うように咲き誇っている。その対比がおもしろく、また、ピッチの周囲に花を並べるメキシコ人たちのセンスに感心もした。
いま、ピッチの周囲に並んでいるのは、花のプランターならぬ広告看板である。なかには、広告が次つぎと切り替わるものまである。ボールがタッチラインを割ってテレビカメラがそのあたりをクローズアップした瞬間に、広告がいっせいに切り替わる。いやでも目につく仕掛けだ。
サッカーの試合で得られる収入を増やし、それによってより高いレベルの競技を実現するための広告看板である。競技の現状から、仕方のないことだと思う。
さて、日本の競技場のいくつか、とくに陸上競技のトラックをもつスタジアムで、ここ数年、ピッチの周辺に見られるのが、人工芝である。
始まりは90年代はじめの東京・国立競技場だった。
国立競技場の芝面は106メートル×69メートルしかない。試合では、ライン際のボールをプレーするために、ラインの外にもライン内と同じ芝面が必要とされている。国際サッカー連盟(FIFA)は、選手の安全のために少なくともピッチの四方の外に幅1.5メートルの芝面が必要という指針を示している。
しかし国際規格の105メートル×68メートルのピッチを確保すると、国立競技場の場合、四方には0.5メートルの幅の芝面しか残らない。ラインの幅が12センチだから、そのわずか4本分である。
それでは見映えが悪いと考案されたのが、人工芝を置くことだった。最初はゴール裏だけだったが、やがてピッチの四方に置かれるようになった。最近では、横浜国際総合競技場のように、陸上競技のトラックの上にまで人工芝を広げているところもある。
しかしこれがとんでもない「危険物」であることが認識されていない。天然芝と人工芝では、表面の特質がまったく違う。天然芝のつもりで走ってきてラインの外に踏み出したら、足をとられるのは必至だ。負傷につながりかねない危険な状況なのだ。
先日のJOMOカップで、柳沢が足を滑らせてヒヤっとした場面があったのを記憶しているファンも多いだろう。
けががあまり報告されていないのは、選手たちがライン際でのプレーをセーブしているからだ。多少ピッチを小さくしてでも、ラインのすぐ外の人工芝を禁止し、十分な天然芝のスペースを確保するように指導すべきだ。
ピッチから規定の距離を離して置かれた広告看板が選手の危険になることはほとんどない。しかしあたかも選手たちの味方のように置かれた人工芝が、実は危険極まりない存在であることに、なぜ目がつぶられているのだろうか。
選手の安全は、何にも増して優先されなければならない。そしてなお余裕があったら、陸上のトラック全面に人工芝を敷き詰めてわざわざピッチを小さく見せるより、メキシコ人たちを見習って、花でも並べたらどうだろう。
(2001年9月12日)
「ゴールデンゴールは反スポーツ的なルールと言ってよい。スポーツというのは、常に逆転の可能性があるべきものだからだ」(アンディ・ロックスバーグ=元スコットランド代表監督)
「サッカー選手というのは、決められた時間のなかで結果を出すように訓練されている。だからゴールデンゴールには反対だ」(アーセン・ベンゲル=アーセナル監督)
ヨーロッパのコーチたちが、いっせいに「ゴールデンゴール」に反旗を翻した。
「ゴールデンゴール」とは、延長戦にはいったときに最初の得点を挙げたチームを勝者とする方式である。日本では94年以来「Vゴール」と呼ばれている。
かつては「サドンデス(突然の死)」と呼ばれた。しかしイメージが悪いと、国際サッカー連盟(FIFA)のヨゼフ・ブラッター事務総長(現会長)が自ら「ゴールデンゴール」という名称に決めたのは、Jリーグが「Vゴール」と名づけた数カ月後だった。
ワールドカップをはじめとしたFIFAの大会では、まず出場国を4チームずつに分けて「グループリーグ」を行い、その上位チームで勝ち抜き方式の「決勝トーナメント」を行って優勝チームを決める大会形式が取られている。
グループリーグでは90分が終わって同点の場合には引き分けだ。しかしその後は1試合で次のラウンドに進むチームを決めなければならない。そこで延長戦が必要になる。
FIFAは93年に行われたユース年代の世界大会でテストケースとして「サドンデス」を導入した。ワールドカップでも98年に導入、さらに、ことしのルール改正で、試合の勝者を決定する方法のひとつとして、大会規約で「ゴールデンゴール」を採用することが明文化された。
ただし日本以外では、リーグ戦では採用されていない。すべて、勝ち抜き方式のトーナメントでの話である。それでも、先月末にヨーロッパ・サッカー連盟(UEFA)の要請で集まったコーチたちによる会議では、全員が反対だったというのだ。
UEFAでは、ヨーロッパ選手権で96年大会以来「ゴールデンゴール」を採用し、以来2大会連続で決勝戦がこの形式で決まっている。
ベンゲル監督は続ける。
「延長戦で1点をリードされてからのプレーにこそ興奮がある。ゴールデンゴールの採用によって、試合は守備的になってしまう。前後半15分ずつ、計30分間の延長戦をするのが、よりフェアだ」
「ゴールデンゴール」の導入には、選手たちの負担を軽減するという狙いもあった。自動的に30分間の延長戦をするよりも、もし3分目に得点がはいったらそこで終わりにしたほうが、疲労が少なく、次のラウンドに影響が少ないはずだからだ。
そうした側面はコーチたちの支持を得られそうに思うのだが、一顧もされていない。議論をするまでもなく全員が反対だったというのは、よほどの嫌悪感なのだろう。
もはやこれは、サッカーという競技をどうとらえるか、それに必ずともなう試合結果をどう受け入れるかという「文化」の問題のように思う。
サッカーは常に攻守が入れ替わり、またたく間にチャンスとピンチが訪れる。そのひとつを決めるか決めないかで勝負が決まるのではなく、一定の時間を戦って、より多くのゴールを挙げたほうが勝つ。それがサッカーの「文化」だ。
ヨーロッパのコーチたちは、延長戦になるとその文化が突然捨て去られてしまうことに、大きな違和感をもっているに違いない。さて、「Vゴール文化」の国・日本のサッカーファンは、彼らの感覚をどう考えるだろうか。
(2001年9月5日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。