学校開放で中学校の校庭や体育館を使うとき、部活動に使った用具が出しっぱなしで驚くことがある。最も多いのは、各種のボールやバドミントンのシャトルなどの類だ。
ある学校の校庭では、サッカーの練習前に軟式野球のボールを十数個も拾ったことがある。隅の草むらに隠れていたわけではない。そのへんに落ちているのだ。危ないので拾い集めていたら、そんなに多くなってしまった。
校庭にサッカーボールが何個も落ちていた学校もあった。これも隠れていたわけではない。ゴールの脇に放置されていたのだ。
私のクラブのボール管理は厳格だ。練習や試合が終わって1個でも足りないと、疲れた体に鞭打って、見つかるまで全員で探し回る。
ボールは原則としてクラブ所有だが、あちこちのグラウンドを借り歩いて練習や試合をしているので、各選手に1個ずつ割り当て、毎回それをもってきて練習をするというシステムにしている。それぞれのボールには、クラブ名と各自の背番号が書いてあるので、誰の管理下のボールが足りないのか、すぐにわかる。
ボールなど、買おうと思えばいつでも買える。公式戦の使用球が人工皮革のものになった80年代以降、安価なものでも変形はなくなったし、耐久性もある。いまの日本には、「ボールがないから練習ができない」などというチームはないだろう。
かつては、サッカーボールは貴重品だった。高価だったし、手入れが悪いとすぐに変形した。2、3個のボールで全員が練習しなければならないチームも珍しくはなかった。そういう時代には、ボールは非常に大事にされた。
しかしボールが豊富になるのに反比例するように、ボールを大事にする気持ちは忘れ去られてしまったようだ。誰もいない校庭の隅にボールが転がっているのを見ると、「何か足りない」と感じずにはいられない。
5月29日にソウルで行われた国際サッカー連盟(FIFA)の総会で、すばらしいプロジェクトが発表された。ワールドカップ使用球のメーカーであるアディダス社(ドイツ)が、世界各地のサッカーの発展を助けるFIFAの事業のために、大会使用球と同じデザインのサッカーボールを10万個も寄付することになったというのだ。
世界中には、代表チームの練習ボールにさえ困窮しているサッカー協会がたくさんある。そういう国では、子供たちが本物のサッカーボールに触れる機会などほとんどないといってよい。
FIFAの計画では、50カ国に毎年500個ずつ、4年間にわたってボールが供給されることになる。これらのボールは、少年少女を対象にしたクリニックで使われ、また、学校に1個ずつ配布されることになるという。
ボールは、サッカーでは唯一、欠くことのできない用具だ。シューズがなければ裸足で、ゴールがなければ何かを代用して、サッカーを楽しむことができる。しかしボールがなければ、誰もサッカーをすることができない。
「名選手」と言われる人々の話を聞くと、例外なくボールを「かわいがって」きたことがわかる。1回1回のキックにいろいろな工夫をし、どうしたらまっすぐ飛ぶのか、またどうしたら思いどおりに曲がるのかなど、ボールと対話するように練習した時期があったという。
ボールを大事にする人々は、ボールからも愛され、やがて意のままにボールを操ってプレーができるようになる。
練習後のゴール脇にボールが2個も3個も放置されたままになっているような状況からは、サッカーの成長も望めない。もっとボールを大事にする指導が必要だと思う。
(2002年8月28日)
こういうゴールが好きだ。こういう得点をするストライカーを待望していた。Jリーグ第1ステージで優勝を決めたジュビロ磐田のFW高原直泰のゴールである。
「この高原がワールドカップでいてくれたらなあ...」
誰もがそう思っただろう。
ワールドカップ後に再開されたJリーグでの高原は、鬼気迫る雰囲気があった。7月20日の第9節、FC東京とのアウェー戦で2得点して以来、最終節の柏レイソル戦まで7試合連続の11得点。先行する横浜F・マリノスを追い落とした最大の要因は、間違いなく高原のゴールだった。
99年のワールドユース(ナイジェリア)、2000年のシドニー・オリンピック、アジアカップ(レバノン)を経て、高原は日本代表のエースに成長した。2001年にはアルゼンチンの名門ボカ・ジュニアーズに移籍して新たな一歩を記した。
しかしにようやく慣れようとしていた今年はじめ、突然、アルゼンチン経済が破たんした。クラブ経営の見通しが立たず、高原は帰国を余儀なくされた。いま高原が背負っている32という大きな背番号は、ジュビロのチーム編成が終わった後に高原が復帰したことを示している。
シーズン前半はコンディションが整わなかった。次第に調子を上げ、日本代表のポーランド戦では見事なゴールを決めた。しかしその帰国の飛行機で体調を崩し、1週間後に入院、結局、ワールドカップには間に合わなかった。
ワールドカップ後のJリーグで、高原は急速にコンディションを上げていった。動き出しの早さ、動きの質、スピード、ボールを受けたときの安定度。そして何よりも、シュートの質が変わった。
右足、左足、ヘディングと3拍子そろったシュートの能力を誇る高原。以前は力いっぱいけり込むシュートが多かった。決まるときには豪快だが、けっしてコンスタントとはいえなかった。
しかし今季第1ステージ後半戦では、まったく違ったタイプのシュートを見せた。ボールをコントロールしてシュート態勢にはいりながら瞬時にGKの動きや体重のかかり方を見極め、その逆をつくコースにボールを送り込むのだ。きちっとしたキックができないときにも、足先などを使い、とにかくそのタイミングでそのコースに流し込む。
おそらくそれは、アルゼンチンの厳しいサッカーで自然に身につけたものだろう。この変化こそ、コンスタントな得点力を生む力となった。
そのうえに、優勝を決めた柏戦では、これまでになかった新しい得点の形も見せた。ジュビロのMF川口信男がペナルティーエリアの右から入れたクロスが相手DFの体に当たり、フワフワっと上がってGKを越えた。そのとき、ジュビロの青いユニホームが猛烈な勢いでゴール前に飛び込み、ちょうどゴールライン上に浮いていたボールをヘディングで叩き込んだ。
GKの頭上を越えたボールは、そのまま放っておいてもゴールに吸い込まれるのは確実だった。しかしまだゴールにはいっていない以上、そこに飛び込んでとどめを刺すのが、本物の「ストライカー魂」というものだ。これこそ、私の大好きなゴールだ。
私は一瞬、中山雅史ではないかと思った。中山こそ、「ストライカー魂」の化身ともいうべき選手だからだ。
それが高原だったのは、大きな喜びだった。23歳の高原が、ストライカーとしてひとつの完成段階に達したことを確認したからだ。
持ち前の才能と身体能力。アルゼンチンでつかんだシュート技術。そして中山から学び取った「ストライカー魂」。
「ワールドカップに高原がいたら...」と誰もが惜しむのは、当然のことだ。
(2002年8月21日)
ワールドカップ後のヨーロッパ・サッカーが湿っぽい。
続々と新シーズンが開幕しているヨーロッパ。昨年は80億円という信じがたい移籍金でのジダン(フランス)の移籍(イタリアのユベントスからスペインのレアル・マドリード)など、数十億円規模の移籍が乱発されたが、今夏はそうした話はほんのわずかしか聞かない。逆に、不景気な話が横行している。
イタリアの名門、つい数年前までセリエAの優勝争いに加わっていた「フィオレンチナ」が解散を余儀なくされた。昨シーズン、18チーム中17位に終わってセリエBへの降格が決まっていたフィオレンチナだったが、約25億円といわれる累積債務を処理することができず、プロリーグへの出場資格を失ったのだ。フィレンツェ市は、新しいクラブを立ち上げ、セリエC2(4部)からの再スタートを図ることにしたという。
オーストリアでは、チャンピオンクラブのFCチロル・インスブルックの破産と、地域リーグへの降格が伝えられている。こちらも30億円近い負債を精算することができず、小さなクラブと合併しての再スタートとなった。
イングランドでは、マンチェスター・ユナイテッドやアーセナルがクラブグッズの売り上げなどで強い資金力を維持している。しかしイタリアやスペインのビッグクラブは軒並み大きな負債をかかえている。90年代なかばからのヨーロッパ・サッカーの「バブル」は完全にはじけた形だ。ある試算によると、ヨーロッパのサッカークラブがかかえる負債の総額は約2000億円にものぼるという。
なぜそんなことになってしまったのか。理由は明らかだ。テレビからの資金流入が下降線にはいったからだ。
2002年と2006年両ワールドカップの全世界的な放映権をもち、ドイツ国内のサッカーの資金供給源でもあったメディアグループ「キルヒ」が倒産した。イングランドでは、プレミアリーグの下に当たる「フットボールリーグ」に資金を流し込んでいた「ITVデジタル」が経営破たんし、リーグ所属の70を超すクラブが経営パニックに陥っている。
90年代のなかばから巨大な資金が流れ込んだのは、デジタル多チャンネル化に伴うテレビ界の生き残り競争の切り札としてサッカーが取り上げられたからだった。その競争にカタがつけば、やがてそうした資金が引き上げられていくのは明白なことだった。
しかしクラブ経営者たちはバブルの夢から覚めることができずに浪費を続けてきた。そして気がついたら借金まみれというのが、現在のヨーロッパといえるだろう。
これからは、「生き残り競争」の時代になる。すでにヨーロッパ内だけで1000人ものプロサッカー選手が職を失い、所属クラブを求めてさまよっている。そのなかには、ほんの少し前までバイエルン・ミュンヘンとドイツ代表の中核だったシュテファン・エフェンベルクのような選手もいるというから驚く。
ルーマニア代表は、ヨーロッパ選手権予選に備える大事な親善試合でふたりの中心選手をチームから外さざるをえなかった。そのふたりは所属クラブがないからだ。どこかのクラブに登録されていなければ、もはや「サッカー選手」ではないのだ。
こうしたヨーロッパの現状が私たちに与える教訓は明確だ。テレビやスポンサーなど、外部からの資金に頼りすぎてはいけない。サッカークラブの生命線は、あくまで入場料を払ってスタジアムにきてくれるファンである。そのファンとの絆を大事にすること、そしてその数を増やしていくことだけが、サッカークラブを健全に運営していく唯一の道なのだ。
(2002年8月14日)
今季のJリーグを見ながら、ひそかに「このふたりを組ませてみたいな」と思った選手がいる。FC東京の宮沢正史と京都サンガの斉藤大介だ。
ポジションはともに「ボランチ(守備的MF)」。宮沢は左利き、斉藤は右利きで、共通する長所はロングパスのスピードと正確性。50メートル以上の鋭いライナーのパスで一挙に試合の状況を変えてしまうプレーは圧巻だ。
中央大を出て2年目、24歳の宮沢、大阪の金光一高を出て4年目、21歳の斉藤。ともに2006年を目指すに十分な若さがある。
気がつけば、「ボランチ天国」である。
ワールドカップでは、戸田和幸(清水エスパルス)と稲本潤一(現在はフラム=イングランド)のコンビが大活躍だった。明神智和(柏レイソル)、福西崇史(ジュビロ磐田)も見事なプレーを見せた。ケガなどにより代表からもれた選手にも、名波浩(ジュビロ磐田)、伊東輝悦(清水エスパルス)がいる。そして「トルシエ・ジャパン」ではDFだったが、所属チームではボランチとしてハイレベルなプレーを見せている中田浩二(鹿島アントラーズ)、服部年宏(ジュビロ磐田)もいる。
ヨーロッパで活躍している選手でも、稲本だけでなく、中田英寿(パルマ=イタリア)、小野伸二(フェイエノールト=オランダ)がともに「ボランチ」のポジションをこなしている。これらの選手を合わせると、10人にもなる。
「ボランチ」という言葉は、ブラジルと日本だけで通じるサッカー用語だ。「『舵取り』の意味」という通説に、私は異論をもっているが、今回は深く触れない。とにかく、DFラインの前、攻撃的MFの背後に位置し、守備のバランスをとりつつ、攻撃にも加わっていくポジションである。
日本代表クラスだけでない。その下の年代にも、将来性豊かなボランチが目白押しだ。アジア大会に出場する21歳以下の代表には、阿部勇樹(ジェフ市原)、森崎和幸(サンフレッチェ広島)、鈴木啓太(浦和レッズ)というタレントが並んでいる。日本のサッカーで、これほど選手層が厚いポジションはほかにない。
しかし喜んでばかりいられない。他のポジション、とくにFWと攻撃的MFが、非常に「手薄」だからだ。
かつて、子どもたちのあこがれは、まちがいなくFWだった。当然だろう。得点を取る役なのだから。ところが、80年代、ブラジルのジーコやアルゼンチンのマラドーナが活躍を始めたころから、主役の座は「攻撃的MF」にとって代わられた。
FWをおとりに使い、中盤からドリブルで上がっていって得点を取るプレーが受けた。やがて日本では、自ら得点を狙うのではなく、スルーパスを出して味方に得点させる「美学」へのこだわりを生んだ。イタリアに行く前の中田英寿がその典型だった(彼はイタリアで自らゴールを狙うことの重要さを認識し、日本代表の「攻撃的MF」の座を担うことになる)。
最近のサッカーでは、FWと攻撃的MFに対するマークが厳しく、なかなか思うようにプレーさせてもらえない。それを避けたいがために、指導者たちが攻撃の才能をもった少年たちを安易にボランチに下げてしまう例が多いのではないか。ボランチという役割に対する認識が深まったこととともに、そうした傾向も、現在の「ボランチ天国」ぶりを支えているのではないか。
しかし世界に通じるFWや攻撃的MFを増やしていかなければ、日本のサッカーは伸びていくことはできない。ユース年代のチームを預かる指導者は、安易にボランチをつくらず、攻撃面の才能を忍耐強く伸ばして、ぜひともワールドクラスのFWや攻撃的MFを育ててほしいと思う。
(2002年8月7日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。