先週水曜日に神戸で行われたU−22(22歳以下)の国際親善試合、ニュージーランド戦の後半13分のことだ。
プレーがストップしたとき、韓国の兪炳攝主審がひとりの日本選手に走り寄り、何かを話した。背番号22。後半から交代で出場し、この8分前に見事なミドルシュートで日本の3点目を叩き出したMF森崎浩司だ。
彼は走ってタッチラインの外に出る。そこにトレーニングウエア姿の日本代表スタッフが走ってくる。森崎が外に出された後、プレーは再開されているから、この間、日本は相手よりひとり少ない10人でプレーすることになる。何か不都合があるなら、早急に解決する必要がある。
寄ってきたスタッフに、森崎が何か話す。何があったかは明らかだった。森崎はネックレスをつけたままプレーしていたのだ。しかしそれを外そうとする用具係に、森崎は何かを頼む。スタッフは急いでベンチに戻り、何かを持ってくる。森崎はネックレスを外さず、粘着テープで胸元に貼り付けてもらったのだ。
そこまでは30秒間ほどだった。しかし森崎はなかなかプレーに戻ることができなかった。負傷の手当てのために外に出た場合には、プレーが続いている間でも主審の合図があれば中にはいることができる。しかし用具に不備があって外に出たときには、プレーが止まらなければピッチに復帰することは認められないからだ(ルール第4条)。結局、森崎は1分半もプレーから離れたままだった。
何のタイトルもかかっていない親善試合だった。すでに3点も差がついていた。森崎が不在の間に、日本が大きなピンチになったこともなかった。しかし森崎はこの出来事の重みをどうとらえているのだろうか。
「競技者は、自分自身あるいは他の競技者に危険となるような用具やその他のもの(宝石類を含む)を身につけてはならない」
ルール第4条の冒頭には、こう書かれている。
しかしJリーグでは、これまで、そのチェックが非常に甘かった。ネックレスやピアスなどが黙認されていた。
その一方、アマチュアの競技では、金属製のヘッドがついたネックレスやピアス、出っ張りのある指輪はもちろん、最近流行の肩こりを治すというソフトな素材のネックレスも、結婚指輪さえも外さされてきた。ソフトな素材のネックレスは他の選手にぶつかって危害を及ぼす恐れはないが、競り合いのときに相手選手の指がひっかかって思わぬ事態になる危険性があるからだ。
当然のことだ。サッカーの試合をしていれば、不可避の負傷もある。しかしプレーとは関係ないもので負傷者を出す危険を冒す必要はない。
サッカーのプロとは、アマチュアのお手本であるはずだ。磨き抜かれた技術や判断力、飛びぬけた体力、そしてピッチ上で最高のプレーを見せるための日常生活のコントロールなど、あらゆる面で最高の水準にある人が、プロであるはずだ。当然、試合で身につける物についてもお手本にならなければならない。
Jリーグは、今季前、試合では装飾品をすべて外すように通達した。しかしどうしたことか、シーズンが始まると、試合中に、装飾品を外すよう命じられ、外に出されるケースが何度もある。当然、試合前に審判はチェックするのだが、そのときには巧みに隠して出ていってしまう選手が少なくないというのだ。
なんというプロ意識のなさだろう。監督の信頼を受けて出場しても、審判にピッチから出るよう命じられたら、その間はサッカー選手ではない。観客と同じだ。こんなばかげた理由によりJリーグで外に出された選手や森崎浩司は、大いに恥じるべきだ。
(2003年5月28日)
あるJリーグの試合前、ピッチ上に見慣れぬ光景があった。両チームが左右に分かれてアップしている中央を、黒いトレーニングウェア姿が3人、黙々と走っている。ハーフライン上を、ピッチを横切るように往復していたのは、この試合の担当レフェリーたちだった。
Jリーグ・クラスの試合をするスタジアムには、たいてい、対戦する2チーム用に屋内のウォームアップスペースが設けられている。試合をするピッチ上に出てのアップが許されるのは20分間程度だから、その前に体を動かす場が必要なのだ。
しかしほとんどの場合、レフェリーのためのウォームアップスペースは考慮されていない。以前は、Jリーグの試合前、競技場の廊下やアスファルト舗装された正面玄関前の広場でアップするレフェリーの姿をよく見かけた。
現代のサッカーでは、レフェリーは1試合に1万メートルも走ると言われている。そのなかには全力のダッシュや急激な方向転換も含まれるから、相当な運動量になる。プレーヤーだけでなく、レフェリーも「アスリート」としての資質を強く求められている時代なのだ。良いパフォーマンスを見せるためには、しっかりとしたウォームアップが必要だ。
3年前、オランダとベルギーで行われたヨーロッパ選手権で、レフェリーたちがピッチ上でウォームアップするのを初めて見た。そのときには、バックスタンド側のタッチライン沿いを、レフェリーたちはなんども往復していた。
プレーヤーたちのピッチ上でのアップには、自分の肉体のコンディションを試合ができるように整えるだけでなく、ピッチの状態に慣れ、スタジアムがどんな雰囲気であるかを感じ取るという意味もある。レフェリーたちにとっても、そうした情報をインプットすることの重要性は変わらない。ヨーロッパ選手権でレフェリーたちのアップを見て、目から鱗が落ちる思いだった。
この大会で、ヨーロッパ・サッカー連盟(UEFA)は、主審、副審合わせて総勢34人のレフェリーを、「17番目のチーム」と称した。ヨーロッパ選手権の出場は16チーム。そしてもうひとつ、「レフェリーズ」という名のチームが参加しているというのだ。
ブリュッセル(ベルギー)郊外のホテルに設けられた本部には、専属ドクター、理学療法士、フィットネスコーチ、用具係、そして広報担当者までつき、万全の態勢でレフェリーたちを各試合に送り出した。このサポート体制がハイレベルなレフェリングをもたらしたのは言うまでもない。
昨年のワールドカップのために新しくつくられたいくつかのスタジアムでは、両チーム用のほかに、レフェリー用の室内ウォームアップスペースを設けている。Jリーグが始まった当初には専用の更衣室もなく、小会議室のような部屋で着替えなければならない(当然、シャワーはない)スタジアムが多かったことを考えれば、大きな進歩だ。
しかしUEFAの例と比べれば明らかなように、日本のサッカーのレフェリー・サポート体制は「万全」と呼ぶにはほど遠い。良いパフォーマンスの最も重要な要素は個々のレフェリーの日常的なコンディション管理だが、サポート体制の整備によってレフェリーたちの意欲も増し、相乗効果を生むに違いない。
ひとつの国の代表チームやプレーヤーのレベルアップとレフェリーのレベルアップはけっして無関係ではない。むしろ、密接な関係があると言ってよい。レフェリーが意欲的に自分の役割に取り組めていない国のサッカーが強くなれるはずなどない。
サッカー界のあらゆる側面で、レフェリーたちの置かれた状況を改善していく必要がある。
(2003年5月21日)
新緑のまぶしい松本(長野県)に行ってきた。5月10日に行われたJリーグ第8節、ジェフ市原対名古屋グランパスを取材するためだ。
「アルウィン」という愛称の長野県松本平広域公園総合球技場は、2001年完成、2万人収容の競技場だ。昨年のワールドカップでは、大会前のパラグアイのキャンプ地になった。豪華ではないが、コンパクトで機能的。松本空港の滑走路の端に位置し、試合の途中にいちど、中型の旅客機が着陸するのが見えた。
新宿から特急で3時間の松本は、名古屋からはわずか2時間。そのおかげで、この日は多くのグランパス・サポーターがスタンドを埋めた。
さて、この日のお目当ては韓国代表FW崔龍洙の活躍で首位に立ったジェフだ。今季就任したイビチャ・オシム監督がチームをどう変え、どんなサッカーをしているのか、そこが見たかった。
立ち上がりはグランパスが勢い良く攻め込んだが、すぐにジェフがペースをつかんだ。ちょっとしたスキをつかれて先制点を許しながら、前半42分にMF阿部勇樹が見事な同点ゴールを決めた。
中盤でボールを受けた阿部が前線のFWサンドロにパス、サンドロがボールをキープしてDFミリノビッチに戻したとき、阿部は相手ペナルティーエリアに近づいていた。鋭い縦パス。阿部は少し浮かせてコントロールし、そのままゴールに叩き込んだ。
シュートに至る阿部のコントロールもきれいだったが、それ以上に感心したのは、パスを出した阿部が足を止めずに走り続けたことだった。
そうしたプレーは、いたるところで見られた。阿部とボランチを組む佐藤勇人はそのシンボルだ。とにかく走る。激しいタックルでボールを奪った次のシーンでは、相手ゴール前に現れ、DFと競り合っている。
昨年までは、FKやCKのとき以外はほとんど守備専門だったストッパーの茶野隆行や斎藤大輔も、前にスペースがあったら、まるでマラドーナのようなドリブルを見せ、パスをさばいてさらに上がっていく。とにかく、守備でも攻撃でも、プレーをした後に足を止めてしまう選手などジェフにはひとりもいない。
その効果は、相手にプレッシャーをかけるとか、攻撃の人数を増やすなどにとどまらない。選手1人ひとりの自主的で意欲的なプレーが、そこから生み出されている。
これまで、どちらかといえばおとなしい選手が多かったジェフ。しかし今季は、ピッチに出ている選手11人が、チームのためにプレーするなかで、それぞれに「自分」というものを思いっきり表現しているのだ。
オシム監督は、シーズン前のキャンプで周囲が驚くほど選手たちを走らせ、シーズンにはいっても1日2回の練習をしているという。その猛練習が「走る」力を支え、走って試合に勝つことで選手たちは内面から大きく変わった。
松本でのグランパス戦は、後半、自慢の足が止まり、グランパスの交代選手FW原竜太に鮮やかなゴールを決められて1−2で敗れた。
「うちの選手はこれまでよく走ってきたが、そろそろ走りきれない時期にきているのかもしれない」
と、試合後、オシム監督は選手たちをかばった。「リフレッシュが必要かもしれない」とも語った。
「では、選手を休ませるのか、1日の練習量を減らすのか」と質問が出た。すると、オシム監督はこう答えた。
「いや、休みはない。もっともっと練習する」
ジェフの選手たちは、その練習を嫌がらないだろう。むしろ楽しみにしているだろう。これほど楽しくサッカーができるのは、生まれて初めてに違いないからだ。
(2003年5月14日)
「For the Good of the Game(サッカーの利益のために)」。 これがその組織のモットーのはずだった。
国際サッカー連盟(FIFA)とは、本来、アジアやヨーロッパなど6つの「地域連盟」間の利害を調整するための組織ではない。どのようにサッカーがプレーされ、大会が運営されれば、この競技が選手やファンの喜び、そして人類の幸福につながるか、個々の利害を超越して考えるのが使命のはずだ。しかし組織の最高意思決定機関である理事会は、そんなことには一向にお構いなしのようだ。
5月3日、FIFA理事会は、2006年ワールドカップ・ドイツ大会の出場国を現行の32から4チーム増やして36にすることを原則として承認した。
同理事会は、昨年12月に2006年大会の地域連盟別配分を決めた。その際に、前回の「4・5枠」から「4枠」に減らされた南米サッカー連盟が猛烈に反発し、増枠を求めたが認められなかった。
そこで考案されたのが、「36チーム案」だった。南米を「5枠」にするだけでなく、ヨーロッパ、アジア、北中米カリブ海の各地区の枠も増やすという提案に、5月3日の理事会では反対意見がほとんど出なかったという。
しかしその前日に行われたFIFAの「フットボール委員会」では、大多数の委員が反対だったという。FIFA理事でもあるミシェル・プラティニ(フランス)、ワールドカップ・ドイツ大会の地元組織委員会委員長であるフランツ・ベッケンバウアーなど、26人の元選手を中心とする委員会である。
36チームだと、1次リーグは4チームずつ9グループになる。決勝トーナメントはベスト16からなので、各グループ2チームずつ、計18チームなら、2試合の「予備戦」が必要になる。あるいは、2つのグループからは1位のチームしか上がれない形だろうか。
現在のワールドカップは、大会期間1カ月、1チームあたり最多で7試合で行われている。世界のサッカーのスケジュールや選手の負担を考えれば、これが限界だ。その「枠組み」を考えれば、36チーム制は無理がある。フットボール委員会の結論は、そうした「サッカーの利益」が優先されたものだった。
ワールドカップには、82年に16から24へ、そして98年に24から32へと出場チームを増やしてきた歴史がある。前者はFIFA加盟国の激増に対処したもので、後者は「1次リーグ突破」をすっきりと各グループ2チームにするプラス面をもち、しかも大会日程の長期化や1チームあたりの試合数を増やすなどの弊害もなかった。しかし「36チーム制」には、地域連盟のエゴ以外、何の意味もない。
「9つのグループ2位のうち2チームが決勝トーナメントに進めない形であれば、最終日が後になるグループで談合試合が行われる恐れがある」と、ベッケンバウアーは警告する。24チーム制の時代には、たしかにそうした疑惑の試合があった。
5月3日の理事会は、「サッカーの利益」を念頭に置いた判断ではなく、どの地域連盟も枠を減らされないことや南米への同情論ばかりが支配してしまったようだ。
「36チーム案」の受け容れは、理事会自らが、出場枠配分が間違っていたと認めたのと同じだ。それなら、昨年12月の時点に戻って、配分を再検討するのが筋ではないか。どこかの枠を減らす痛みを避けるための36チーム制は絶対に間違っている。
理事会は、これから検討される具体的な大会開催案をもとに、6月開催予定の理事会で最終結論を出すという。そこで正気を取り戻せなければ、大きな愚を犯すことになる。
(2003年5月7日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。