「シャツをだらりと出したり、ストッキングを下げているようなだらしなさでは、韓国に勝てない」
先週ソウルで行われたU−22日本代表の試合後、日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンが日本の主力選手に苦言を呈した。私も、同じように感じたことがある。
2000年のアジアカップ(レバノン)。グループリーグの第3戦の相手はカタールだった。日本はすでに準々決勝進出を決めていたが、相手は勝たなければならない状況だった。その試合で、ストッキングを半ば下ろしてプレーしている日本選手がいたのだ。
相手はとにかく勝ちたい。イエローカードの1枚や2枚はいとわない。必要なら、日本選手をけってでもボールを奪おうとする。そんな試合ですねを露出させてプレーする神経が信じられなかった。
サッカー選手は、ルールでストッキングを着用しなければならないことになっているが、その長さやはき方に決まりがあるわけではない。以前は、試合の終盤になると、足首まで下ろしてプレーしている選手がたくさんいた。
こうしたスタイルが消えたのは、1990年、ルールで「すね当て」の着用が義務づけられてからだった。「弁慶の泣きどころ」と言われる「向こうずね」の部分を守るために、ストッキングの中に差し込んで使う用具だ。
新しい用具ではない。イングランドのノッティンガムでFWとして活躍したサム・ウィドウソンという選手が、自らの必要性に迫られて1874年に発明し、その6年後にはルールで許された。
発明から1世紀以上たって着用が義務づけられたのは、エイズの流行が原因だった。出血するような負傷を減らせば、それだけ感染の危険も小さくなるからだ。
ルールで義務づけられた用具だから、すね当てが取れてしまったらプレーに加わることはできない。試合が終わるまですね当てをしていなければならないから、ストッキングを下げてプレーする選手がいなくなったのだ。
ところが、ルールに細かな規定がないことを幸いに、勝手な解釈ですねを出している選手が少なくない。すね当てのぎりぎりまでストッキングを下げ、結果としてすねを半分露出させている選手。普通、大人用のすね当ては20〜30センチの長さがあるが、10センチたらずの少年用を使う選手。
こうした傾向に対し、監督たちは信じがたいほどに寛容だ。試合中、すね当てとストッキングをきちんと着けていなかったために負傷して予定外の交代を余儀なくされても、改めさせることもない。
嫌う選手もいるが、すね当てもストッキングをひざ下まで上げることも、慣れてしまえば何でもない。安心して思い切りプレーできる分、プラスになるはずだ。プロなら当然の心がけではないか。
以前、ブラジルの名門クラブ、フラメンゴ(ジーコが育ったクラブ)のユース部門の取材をしたとき、トレーナーは、足首のバンデージと、すね当て(当時はまだ義務化されていなかった)を着けない選手は、練習も試合もさせないと話していた。
「大事な商品(近い将来の選手)が、つまらない負傷をしたら大損だから、当然じゃないか」
サッカー選手にとって足は大事な「商売道具」のはず。すね当てやストッキングをきちんと着用せず、それを危険にさらすのは、行儀の問題ではなく、プロ意識の欠如だ。
80年代にレアル・マドリードのエースだったウーゴ・サンチェスは、前だけでなく、後ろ(ふくらはぎ)にまで大きなすね当てを着けていた。後ろから厳しくマークされ、けられることが多いからだ。これこそ、本物のプロ意識というべきだろう。
(2003年9月24日)
第4回女子ワールドカップが始まる。
1991年から4年ごとに開かれている大会。今回は、前回に続いてアメリカで開催され、9月20日に開幕、10月12日にカリフォルニア州カーソン(ロサンゼルス近郊)での決勝戦まで、全米6都市のスタジアムで、32試合が行われる。
本来なら、今大会は中国での開催のはずだった。91年に第1回大会を開催した中国は、現在、国際サッカー連盟(FIFA)発表の女子ランキングで4位。前回は、アメリカと決勝戦を争い、120分間の死闘を0−0で終えた後、PK戦4−5という僅差で初優勝を逃した。
「地元で借りを返す」と張り切っていたが、この春アジアを襲った新型肺炎が中国各地で流行し、開催を断念した。FIFAは代替開催国を探し、オーストラリアとアメリカが立候補、短期間で準備を整えられる組織力を買ってアメリカでの連続開催となった。
アメリカは世界に冠たる「女子サッカー王国」だ。というより、世界で最も「ノーマルなサッカー国」といっていいだろう。2001年のFIFA調査によれば、競技人口は約1800万人。そのうち700万人が女性だ。ユース年代でも、男子が220万人、女子が145万人と、比率はまったく同じだ。アメリカほど、男女平等にサッカーを楽しんでいる国はない。
1996年にスタートした男子プロサッカーリーグMLSに続き、2001年には世界で唯一の本格的な女子プロサッカーリーグWUSAが始まった。残念ながら、わずか3シーズンの活動後、来季からのスポンサー獲得が難しいとの見通しで、WUSAは今週月曜日に休止宣言を出した。しかし豊富な女子サッカー人口が消えたわけではない。再興のチャンスは十分にある。
さてFIFAランキングで14位につける日本は、プレーオフでメキシコを下して4大会連続出場を決めた。上田栄治監督は、Jリーグのベルマーレ平塚(現在の湘南ベルマーレ)やマカオ代表チームを率いた経験のある人だ。
欧米の強豪に比べると、日本選手は体が小さく、フィジカル面でのハンディが大きい。かつては高い技術で乗り越えようとしていたが、上田監督は、それにプラスしてチームとしてのスピードを重視し、果敢に若手を起用して強化を進めてきた。
20日(日本時間21日)にオハイオ州コロンバスでアルゼンチンと対戦、24日(同25日)には同じ会場でドイツと、そして27日(同28日)にはマサチューセッツ州フォックスボロ(ボストン近郊)でカナダと対戦する。
「初戦のアルゼンチン戦で勝ち、最後のカナダ戦に決勝トーナメント進出をかける勝負をしたい」と上田監督。
アルゼンチンは初出場だが、南米予選ではブラジルと2−3の接戦を演じた。プレーメーカーのロサーナ・ゴメスは、マラドーナばりのテクニシャンとの評判だ。FIFAランキングは35位だが、あなどることはできない。
第2戦で当たるドイツは、FIFAランキング3位の強豪。破壊的な得点力を誇る大型ストライカーのブリジット・プリンツを抑えるのは、なかなか大変だ。
そしてカナダは、王者アメリカとの切磋琢磨で近年急速に力をつけた。かつて日本のLリーグでプレーしたFWシャーメイン・フーパーに加え、FWクリスティン・シンクレアが大きく成長し、攻撃力が格段に上がった。
日本は、WUSAのアトランタ・ビートで3年間プレーしてきたエースの澤穂稀以外は、全員、国内のチームに所属するアマチュア。チーム一丸となった戦いで95年スウェーデン大会以来の「ベスト8」を目指してほしい。
(2003年9月17日)
「スローインが自分たちに有利だと考えているのなら間違いだ。なぜならピッチの中には10人しかいない数的不利の状況なんだから」(Jリーグ・ジェフ市原のホームページに掲載されているイビチャ・オシム監督の語録から)
スローインは、サッカーのなかで非常に特殊なプレーといってよい。GKを除けば、唯一、ボールを手で扱うことができるプレーだからだ。
タッチラインからボールが出ると、出した相手側のチームの選手が、ボールが出た地点から投げ入れる。特殊な制限のついた投げ方だ。
ルールを見てみよう。
1 「フィールドに面している」(後ろ向きではいけない)
2 「両足ともその一部をタッチライン上またはタッチライン外のグラウンドにつけている」(グラウンドから足を離してはいけない。ラインをまたいでもいけない)
3 「両手を使う」(片手投げはいけない)
4 「頭の後方から頭上を通してボールを投げる」(体の前だけで投げてはいけない)
平気で30メートル以上投げる選手もいる。しかし実際にやってみると、なかなかうまく力がはいらず、意外に難しい。
サッカーが始まったころには、外に出たボールに最初に触れた選手が投げ入れる権利を得た。けり入れても良かった。ただしタッチラインに対して直角に入れなければならなかった(この規則は現在でもラグビーで生きている)。
やがて出した相手チームのスローインとなり、「キックイン」は禁止された。そして自由な方向に投げていいことになったが、まだ片手投げが許されていた。スコットランドのクラブからの要請で「両手投げ」に決まったのは1882年。以後約120年、スローインに関するルールはほとんど変わっていない。
日本のサッカーでは、足の位置、投げ方など、ルールが厳格に適用されている。だから、あまり変な投げ方をする選手はいない。しかし外国のリーグを見ていると、ラインを踏み越したり、片足が上がってしまっているスローインが驚くほど多い。レフェリーも何も言わないから、こうした投げ方が横行する。
おそらく、ボールをスムーズにインプレーの状態に戻すことが優先され、少々のルール逸脱など気にもかけられていないのだろう。しかしそうしたくせがついてしまうと、ワールドカップのような「ヒノキ舞台」で、習慣の違う国のフェリーから罰を受けて恥をかくことになる。投げ方の違反、そしてボールが出た場所からはなはだしく離れた場所からスローインをしてしまった場合には、スローインの権利は相手チームに移ってしまうのである。
日本でも、ゴール前まで届くロングスローを得意とする選手のなかには、ほとんど片手で投げ、逆の手は添えているだけという投げ方の選手も多い。レフェリーたちは、このような違反に対して、もう少し注意を払う必要がある。
鹿島アントラーズの右サイドバック名良橋晃のスローインは、ゴール前まで届き、CKなみの威力を発揮する。「こんなに飛ぶはずない」と注意深く観察するのだが、何回見ても、ルールどおりのスローインだ。腕を振るスピードだけでなく、上半身全体をしなわせ、足腰のバネや腹筋など全身のパワーをボールに乗せているのだろう。まさに努力のたまものだ。
ロングスローで直接ゴールを狙うことはできない(はいってもゴールは認められない)。しかしチームにとっては特別の武器になる。
「オシム語録」をひもとくまでもなく、下手なスローインは逆にピンチの元になる。名良橋のようなロングスローや味方とのコンビネーションなど、スローインを磨くことも、勝利への重要な道だ。
(2003年9月10日)
世界陸上で、3000メートル障害優勝のシャヒーン(カタール)が話題になった。大会直前にケニアから国籍変更したばかりだというのだから驚く。ただこの金メダルで、世界の人びとの脳裏に「スポーツ王国を目指すカタール」の名が刻み込まれたのは確かだ。
カタールは、アラビア半島の東側、ペルシャ湾に突き出た半島の国だ。1万1400平方キロ。秋田県とほぼ同じ面積の国土に、約57万の国民が住んでいる。そしてその約7割が、首都ドーハに集中している。
ドーハ。サッカー・ファンには忘れられない都市だ。93年10月、日本はここでワールドカップ初出場にあと数十秒まで迫りながら、ロスタイムに同点に追いつかれ、イラクと引き分けて夢を絶たれた。
そのカタールのサッカーが、ことし、大きく変わり始めている。世界的なスター選手が続々とカタール・リーグのクラブに加入し始めたのだ。
フランスのDFルブフ、ドイツのFWバスラー、MFエフェンベルク、そしてアルゼンチンのFWバティストゥータ。イラク情勢が落ち着いた6月以降、こうした選手たちが次つぎとやってきた。
その背景にあるのは、豊富な石油と天然ガス資源がもたらす外貨だ。スポーツ界に強い影響力をもつタミン王子は、10チームの1部リーグの活性化のため、各クラブに対し、それぞれ4人の外国人選手を獲得し、そのうち2人は高名なスター選手であることを要求している。
もちろん資金は国が負担する。「アルアラビ」クラブは、エフェンベルクに続いてバティストゥータを獲得したが、2年間で報酬約10億円という出費も(スタジアムは小さいが)、まったく気にならない。
カタールのクラブの「スターあさり」は終わったわけではない。スペインのDFイエロ、アルゼンチンのFWオルテガ、そして現在東京ヴェルディでプレーするカメルーンのFWエムボマなど、ベテラン選手に次つぎと白羽の矢が立てられているという。
野心的な補強はクラブレベルにとどまらない。カタール・サッカー協会は、7月に前日本代表監督のフィリップ・トルシエと契約を結んだ。トルシエはさっそくドーハで合宿をして選手を選考し、ヨーロッパ遠征も行った。
2000年にレバノンで開かれたアジアカップで、トルシエ率いる日本はカタールと対戦した。すでに準々決勝進出を決めていた日本は、大幅にメンバーを代えてこの試合に臨んだが、生き残りを賭けたカタールの攻勢にたじたじとなり、かろうじて1−1の引き分けに持ち込んだ。
小さな国だけに、人材も限られている。組織力があるわけでもない。しかし結局準々決勝で敗退したこのアジアカップでも、選手1人ひとりの勝利への意欲、ゴールへ向かおうという気持ちは、どこにも負けていなかった。
カタールは、81年のワールドユース選手権(20歳以下)で準優勝するなど、ずっとユース育成に力を注いできた。日本なら中都市程度の人口で常にアジアの上位をキープしてきたところに、この国の隠された力がある。もしトルシエの訓練が成功し、カタールが組織力と規律を身につけたら、間違いなく西アジアの強豪のひとつになるだろう。
カタールだけではない。世界のあちこちで果敢な取り組みが行われ、急激に成長している国がある。2002年ワールドカップでは、トルコ、韓国、セネガルなどとともに、日本もそのひとつに挙げられた。成長の足を止めることは、同じ地位を保つことではない。どんどん追い抜かれていくことを意味している。
リーグのレベルアップ、ユースの育成、代表の強化...。あらゆる面で、世界を見据えた努力の継続が必要だ。
(2003年9月3日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。