今週の土曜日、2月28日に、ロンドンで「国際サッカー評議会(IFAB)」の第118回年次総会が開催される。
サッカーのルールに関する事項を審議し、改正を決める唯一の組織である。構成メンバーはイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの英国4協会と、国際サッカー連盟(FIFA)。世界のサッカーを統括するFIFAも、ここでは1メンバーにすぎない。
創立は1886年。FIFAより18年も古い。その4年前から英国の4協会がルールに関する話し合いをするために開いていた会議を発展させたものだった。
ルール改正には、投票権をもつ出席者の4分の3以上の賛成が必要と決められている。英国4協会は各1票、FIFAは4票をもっているから、FIFAが賛成しなければ、どんなルール改正も行うことはできないことになる。
さて、ことしの議題を見ると、9つのルール改正案と、3つの討議項目が挙げられている。人工芝を正式にルールで認めること、公式戦以外の試合でも、交代の最大枠を5人(現在は制限なし)とすること、ハーフタイムの最長時間を現行の15分から20分にすることなど、あまり議論にならずに通過しそうな項目もあるが、いくつか、大きな変更となる事項がある。
そのひとつが、「フリーキック(FK)前進ルール」と呼ぶべきものだ。FKのとき、守備側に不正な行為があったら、主審の権限により、その選手に警告(イエローカード)を与えた後、FKをける地点を9・15メートル前進させるという案だ。
FKが与えられたら、守備側はすみやかにボールから9・15メートル下がらなければならないのだが、故意に近くに立つ行為が横行している。また、反則を示す笛が吹かれた後、ボールをけったり、投げてしまう行為も多い。いずれも、すぐにFKをけられる不利を防ぐことを目的にした卑劣な行為だ。さらに、反則を取られたことでレフェリーに執拗な抗議をしたり、レフェリーを侮辱するゼスチャーを見せる選手も少なくない。
今回、イングランド協会が提案した「FK前進案」は、こうした行為の撲滅を目指している。たとえば、ゴールから30メートルの地点でのFKが決まる可能性は低いが、それを新ルールで20メートル近くまで前進させられたら、守備側にとっては大ピンチになる。
イングランドでは、IFABの許可を得て昨年から下部リーグなどでこのルールの「実験」を行ってきたが、28日の会議では、その結果も報告されるだろう。私は、この新ルールの採用に賛成だ。
もうひとつ、議論を呼びそうなのが、FIFA提案による負傷者の取り扱いである。
先日のワールドカップ予選でも、オマーンの選手が倒れて起き上がらない場面が何度もあった。体が弱かったわけではない。引き分けを狙った時間かせぎだった。
こうした場合、現在のルールではドクターや担架を呼んだら必ずいちどはピッチ外に出なければならないが、多くの場合、タッチラインを出た瞬間に担架から飛び降り、レフェリーに手を振ってすぐに戻りたいとアピールする。そんな漫画のような光景が、毎試合何回も見られる。
こうした行為を撲滅するために、ドクターやタンカを呼んだ選手は、外に出てから2分間は復帰できないことにしようというのが、今回のFIFAの提案である。2分間を誰が計るのかなど課題はあるが、十分検討の価値がある提案ではないだろうか。
28の年次総会で決まったルール改正は、世界中で7月1日から施行となる。ルールが変わってからあわてないよう、いまのうちに行いを正しておく必要がある。
(2004年2月25日)
「身の引き締まる思いです」
イラクに派遣された自衛隊の指揮官たちは、テレビのインタビューを受けると、判で押したようにそう答えた。
最初は自衛官がコメントするときの慣用句なのかと思ったが、じっくり聞いていると、彼らの姿勢と心情を表現するのに、それ以外の言葉がないことが理解できた。
歴史的な出来事であること、困難で、危険に遭遇する可能性さえあること、それでもやり遂げる価値のあるミッションであること...。
イラクへの自衛隊派遣が正しいことかどうか、私が論じるべきことではないが、少なくともテレビニュースから伝わってくる現場の指揮官たちの態度は、人間として非常に立派だと感銘を受けた。「身の引き締まる思い」は、今後挑むミッションの困難さを考え、それでも全身全霊を傾けて取り組もうという清新な姿勢が伝わる言葉だと感じた。
さてジーコ監督が率いる日本代表は、今夜から2006年ワールドカップに向けたアジア第1次予選にはいる。ワールドカップ出場だけがサッカーではない。しかしこの大会への出場、そしてその舞台での活躍こそ、現在の日本サッカーの最大の目標であることは、誰もが理解している。
そして今夜のオマーン戦が、その目標に向けて非常に重要な試合であることは間違いない。1次予選の同じ組にはシンガポールとインドもいる。楽な相手ではないが、勝算が立つ2チームだ。最大のライバルは間違いなくオマーンである。そのライバルを、ホームで戦う初戦で破っておけば、1次予選突破のめどが立つ。
日本は2002年ワールドカップで1次リーグを突破し、ベスト16という歴史的な好成績を収めた。その2年前には、レバノンで開催されたアジアカップで圧倒的な強さで優勝を飾っている。アジアのトップクラスの力をつけ、いまや各国から恐れられる存在になったのは間違いない。
しかしそれでも、過去、アジア予選を勝ち抜いてワールドカップに出場したことはいちどしかない。98年大会予選で、日本は1次予選をオマーンと1勝1分けで乗り切り、最終予選は、最初に1勝した後、5試合も勝利なし(4分け1敗)という地獄のような時期を味わった。出場権を獲得した「第3代表決定戦」も、延長Vゴールというきわどい勝負だった。
「予選には、特別の難しさがある」と、ジーコ監督は語る。彼自身、ブラジル代表として何度もワールドカップ予選を戦い、「弱小チーム」に苦しめられた経験がある。だからこそ、今夜の試合に合わせて1月下旬から厳しい合宿をこなしてきたのだ。
しかし先週木曜日に東京で行われた「壮行試合」ともいうべきイラクとの親善試合の内容は、非常にがっかりさせられるものだった。「本番」の1週間前で、まだ体力面でピークにもってきていないという事情もあっただろう。しかし、選手たちのプレーぶりに、目の前にことしいちばんの重要な試合があるという精神的な「張り」が感じられなかったのはなぜだろう。
2002年秋に始まったジーコの新しい日本代表チームづくりは、まだ完成段階には至っていない。当初の予定では、予選は2005年に行われることになっていたからだ。完成された試合ができないのは仕方がない。
しかしその試合に臨む選手たちの精神的な準備は、すでに完了していなくてはならないはずだ。イラク戦のような中途半端な気持ちでピッチに立てば、最悪の結果になることも十分ありうる。
日本代表の11人が、目の前のミッションの意味と困難さを心底から理解し、本当に「身の引き締まる思い」で今夜のキックオフの笛を迎えてくれることを期待したい。
(2004年2月18日)
世界のサッカーを統一する組織である国際サッカー連盟(FIFA)は1904年創立。100周年を迎えた。
5月21日、FIFAはパリでフランス対ブラジルの記念試合を開催する。現在はスイスのチューリヒに広大な本部施設が置かれるFIFAだが、創立から26年間、1930年の第1回ワールドカップ後まではパリに本部があったからだ。
「記念年」はFIFAだけではない。日本が属する「地域連盟」のアジアサッカー連盟(AFC)と、ヨーロッパサッカー連盟(UEFA)は、ともに1954年創立。50周年を迎えた。
「UEFAチャンピオンズリーグ」(クラブ選手権)や「ヨーロッパ選手権」(代表チーム選手権)の成功で、いまやFIFAの存在さえ脅かす巨大勢力となったUEFAの創立が、FIFA創立から半世紀も後だったというのは、少し驚きかもしれない。
南米では早くも1916年に南米サッカー連盟(CONMEBOL)が創設されたが、ヨーロッパでは、第2次世界大戦後、航空機の発達で日常的な国際交流が容易になったことで、ようやく「定期的に全ヨーロッパを網羅する大会を開催しよう」という機運が熟した。スイスのバーゼルで行われた会議でUEFA創設が決議されたのは、1954年6月15日のことだった。
AFCの誕生は同じ年の5月8日。ほんの少し早い。
創設のきっかけは、51年にニューデリー(インド)で行われた第1回アジア大会だった。アジアオリンピック委員会の手で開催された大会だったが、サッカーの人気はすばらしく、どの試合も超満員になった。これに力を得た各国サッカー協会の代表者が翌年のヘルシンキ(フィンランド)・オリンピックで集まった際に、全アジアをカバーする連盟創設の話がもち出された。
そして54年にマニラ(フィリピン)で開催された第2回アジア大会の期間中に3回にわたる会議を行い、5月8日の会議でAFC設立を決議した。当初のメンバーは、アフガニスタン、ビルマ(現在のミャンマー)、香港、インド、インドネシア、日本、韓国、パキスタン、マレーシア、フィリピン、シンガポール、ベトナムの12カ国だった。
UEFAとAFCは、ともに創立直後の54年6月21日にFIFA傘下の正式な地域連盟と認められ、代表者をFIFA理事会に送る権利を得る。そして57年にアフリカサッカー連盟(CAF)、61年に北中米カリブ海サッカー連盟(CONCACAF)、66年にオセアニアサッカー連盟(OFC)が誕生し、FIFA加盟国は6つの地域連盟のいずれかに属する時代となる。
いまや「巨大企業」の感があるUEFAとは対照的に、同じ年に生まれたAFCは地域内の調整に忙殺され、課題が山積する現状だ。
東西1万キロ、東西5000キロに広がり、世界の総人口の3分の2にもあたる40億人をかかえるアジア。東西では6時間にもなる時差、複雑な宗教・政治状況のなか、大会日程を組むのも大変だ。
現在は、加盟44協会が、東(9協会)、東南(10)、中央および南(12)、西(13)の4地区に分割され、活動の効率化が図られているが、世界大会の予選になれば、地区を超えた交流になり、困難な状況が消えたわけではない。
さらに昨年には、アメリカによるイラク攻撃、新型肺炎(SARS)の流行で、始まったばかりのAFCチャンピオンズリーグなどが大きな打撃を受けた。
しかしAFCがきちんと機能しなければ、日本のサッカーも伸びていくことはできない。7月には中国で4年にいちどのアジアカップが開催され、「AFCの年」とも呼ぶべきことし、少しAFCの未来について考えてみたいと思う。
(2004年2月4日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。