Jリーグはロマンティックだ----。シーズンオフ、そんなことを考えている。
1月22日、日本にイビチャ・オシムが戻ってきた。J1随一の貧乏クラブ(失礼!)ジェフ千葉をこのヨーロッパ屈指の名監督が辛抱強く育てて3年、心臓に不安をもつ大きな老体にムチ打って、なんともう1シーズン、面倒を見てくれるというのだ。
もちろん、ベストセラーのリストにはいっている自分のことを書いた本の宣伝のためにやってきたわけではない。千葉を率いて何事かを成し遂げてやろうという意欲満々、新たなシーズンに臨むのだ。それだけで、Jリーグがどんなにロマンに富んでいるか、十分に証明されている。
昨年のJ1では、最終節を迎えたときに優勝の可能性をもつクラブが5つもあった。そのうち2つは、シーズンの序盤には最下位を経験したチームだった。リーグの3分の1もの日程が終了した時点で2位に10勝ち点差もつけていたクラブが最終的に4位だったという事実は、外国の人に話しても誰も信じてくれないだろう。「何事も起こりうる」のがJリーグだ。
「プロスポーツ不毛の地」と言われた新潟で、1試合平均4万0114人ものサポーターが集うアルビレックス新潟の存在は、市民、県民だけでなく、Jリーグ全体の誇りであり、希望だ。無数の人びとの献身と創意工夫で無から新潟平野に立ち上げた巨大な塔は、いま、豪雪に見舞われた県民の心に温かい光を降り注いでいる。
最大のロマンは、ヴァンフォーレ甲府のJ1昇格だ。J1で最も年間予算の少ない千葉のさらに3分の1程度の予算でJ1昇格を勝ち取っただけでなく、柏レイソルとの入れ替え戦ではその躍動的なサッカーで圧勝した。
J1に昇格したら大補強があるのかと思ったら、そうでもないらしいところがまた興味をそそる。大木武監督率いる「風林火山のイレブン」(「ヴァンフォーレ」とは、「風と林」という意味だ)は、サッカーというゲームを形づくる最大の要素とは何かを明確に示してくれた。それは、スター選手の数でも、まして選手の年俸総額でもない。プレーをしたいという個々の選手の純粋な意欲と、チームプレーを形づくる集団としてのアイデア、そしてそれをやり遂げる意志の力だ。
もちろん、試合には相手があり、いつも思いどおりにことが運ぶわけではない。それでも、甲府が今季、初参加のJ1で、見る価値のあるサッカーを生み出すことに、私は疑念を抱かない。
昨年「ワールドカップ予選の無効再試合」という未曾有の事態を引き起こしたレフェリーがその後も堂々とピッチに立ち、ファンが彼に敬意をもって拍手を送っているということも、Jリーグのロマンのひとつだ。それは、日本のサッカーの健全性と、ファンの知性の証明でもある。
サッカーの母国イングランドでは、ひとりの石油成金がロシアの大地から湧き出したアメリカドルの札束をサッカー界に撒き散らし、ロンドンの古ぼけたクラブを一夜にしてピカピカの「銀河軍団」に変身させた。彼のファーストネームが「ロマン」というのは、出来すぎたブラックジョークだ。
このクラブが象徴するように、現在のヨーロッパのサッカーを支配しているのは間違いなくカネだ。カネがなければ勝てない。勝てばそれがまたカネを生む。そうしてカネを追っているうちに、ファンやサポーターの手から遠く離れてしまったのが、現在のヨーロッパ・サッカーだ。
しかしJリーグにはロマンがつまっている。それは日本のサッカーが未成熟なことの証ではない。サッカーという競技を純粋に愛し、心から信じている人が、この国にまだたくさんいるという証拠だ。
(2006年1月25日)
細かなことだが、以前から気になっていたことがある。レフェリーたちは寒くはないのだろうか----。
関東地方では、先日の日曜日(14日)はいきなり気温が上がって春のような陽気になったが、翌日にはまた寒さが戻ってきた。こんなに寒い冬はあまり記憶がない。そうしたなかでサッカーはシーズンの終盤を迎え、天皇杯、高校選手権など、いくつもの大会があった。
元日に行われた天皇杯の決勝戦は、気温5・6度という寒さのなかの試合だった。なかには清水DF山西のように半そで姿の選手もいたが、大半の選手が長そでのユニホームだけでなく手袋を着用してプレーをしていた。しかし上川徹主審は素手だった。廣嶋禎数副審も手塚洋副審も素手だった。そういえば、テレビでヨーロッパの試合を見ても、手袋をしているレフェリーなどあまり見たことはない。
ヨーロッパの選手たちには、手袋どころか、「ネックウォーマー」と呼ばれるスポーツ用の襟巻きで首の部分を覆い、サッカーパンツの下に長いタイツを着用している者もいる。昨年12月に日本で行われたFIFAクラブワールドチャンピオンシップでも、サンパウロFCの左MFジュニオールが黒いタイツをはいてプレーしていた。
こうした防寒対策をとるのは、軟弱なためでも、もちろん、ファッションでもない。最高のパフォーマンスのためであり、同時に、無用な負傷や故障を避けるためだ。なかでも手袋の果たす役割は小さくない。手は、体温の調整に重要な役割を果たす。いくら体を温めても、手先が冷たかったらさむけが取れないという経験は誰にもあるだろう。手の甲や指先が冷えると集中力に影響するという説もある。
ではなぜ、レフェリーたちは手袋をしないのか。そうした指導をされているわけでも、まして禁止されているわけでもない。それでも、選手たちの大半が手袋をするような寒い日に、レフェリーたちは素手で走り回っている。
タイミングを逃さずに笛を吹いたり、判定に合わせてスムーズにイエローカードを出すためには、素手のほうが都合がいいのかもしれない。しかしそれ以上にあるのが、「美意識」なのではないか。
レフェリーは「ルールの番人」であり、試合中は常に毅然とした態度を示さなければならない。当然、服装も、選手たちの模範となるものでなくてはならない。手袋はそのイメージを壊すように感じているのではないか。
しかし私は、レフェリーたちも防寒の必要性をもっと考える必要があると思う。
近年、試合前に両チームがピッチに出てウォームアップしている最中に、レフェリーたちもハーフライン上を往復しながらウォーミングアップしている姿をよく見る。90分間にわたって広いピッチを走り続けなければならないサッカーのレフェリーは、ただの「審判員」ではない。試合前の姿からもわかるように、彼らも「アスリート」なのである。
昨年夏、このコラムで「アスリートとして、審判も意識的に試合中の水分補給を行わなければならない」と書いた。防寒対策もまったく同じだ。必要なときには、手袋でもタイツでも堂々と着用し、最高のレフェリングをできるように努めるのがレフェリーの責務ではないか。
試合を見ていれば、レフェリーと呼ばれる人びとががまん強いのは間違いない。しかしそのがまん強さは、サポーターからのいわれのない批判や選手や監督の粗暴な言動に対するものだけで十分ではないか。暑いときにはこまめな水分補給を心がけ、寒いときには試合前に防寒対策をきちんとする----。それはきっと、より良いレフェリングをもたらしてくれるはずだ。
(2006年1月18日)
鹿児島実業と野洲がそれぞれ持ち味を出し尽くして、高校選手権の決勝戦は見ごたえのある試合となった。そしてその終了後のすばらしい光景が、私の心をとらえた。
表彰式に入る前に、何人もの野洲の選手たちが鹿実の松沢隆司総監督のところに歩み寄り、この高校サッカーの伝説的な名指導者に一人ひとり順番に握手をし、「ありがとうございました」とあいさつしたのだ。ヨーロッパや南米に向かって、大声で「日本にはこんなにすばらしいスポーツの文化があるぞ!」と言いたくなるような光景だった。
試合終了直後には、ピッチに倒れこんだ鹿実の選手に、野洲の選手が歩み寄って言葉をかけ、抱き起こす姿を見た。どの試合にも、試合が終了すると、整列してあいさつをする前に、対戦した選手同士が握手し、抱き合う光景があった。長い間続けられた「勝利チーム校歌斉唱」を廃止して数年、高校サッカーは、ドラマやスター中心に仕立てようとするテレビ局の意図に関係なく、サッカーらしい自然な姿になった。
しかしその一方で、「これは間違っている」と思うような光景も見られた。ファウルの笛を吹いた審判に向かって両手を広げ、「どこが反則なんだ」とアピールする選手がなんと多かったことだろうか。そしてそれ以上に気になったのは、リードした試合の終盤、相手陣のコーナー付近にボールを持ち込んで「キープ」するプレーだ。
ボールをもっているのだから、攻撃をするのが本当だ。しかし無理をしてボールを奪われれば、そこから相手のカウンターアタックを許す危険性がある。だからあえて相手ゴールに向かわず、コーナーに運んで体を使ってキープし、時間を使おうとする。プロでは当たり前に行われている行為だ。それが「正しい戦術」「賢いこと」のようにさえ思われている。
しかしそれはけっしてサッカー本来の姿ではない。
高校生たちに「何のためにサッカーをしているのか」と聞けば、大半が「好きだから」と答えるに違いない。大好きなサッカーで日本一になり、プロになり、世界で活躍してワールドカップで優勝したいという夢をもっているに違いない。「コーナーでのボールキープ」は、そうした気持ちに反するものではないか。
サッカーを「プレー」するとは、体力とテクニックと創造性、そして味方選手との意思疎通を駆使して、相手ゴールを陥れようとすることだ。その喜びこそ、少年たちをサッカーに駆り立てる情熱の根源的な力だ。「コーナーでのボールキープ」は、その対極にあるシニカルで「反サッカー的行為」と言える。
なりふりかまわず勝つためにそうするように指導されているのか、プロの試合をテレビで見て、「かっこいい」とまねをしているだけなのか。それとも、見識の低いテレビ解説者が絶賛することで、さらに広まったのか----。いずれにしても、この年代の選手たちがやるべきプレーではない。
もちろんプロでも、やるべきプレーではない。お金を払って「サッカー」を見にきてくれたファンに対する裏切りだからだ。1点をリードして終盤になったとき、やるべきことは、もう1点を目指して攻撃することだ。守備のバランスを崩さないように注意を払いつつ効果的な攻撃を繰り出すのが、プロとして成熟したサッカーではないか。
「スター不足」と言われた今回の高校選手権。しかし高校のサッカーは豊かになっている。それは、サッカー本来の喜びをしっかりと見せてくれているからだ。ばかげた「コーナーでのボールキープ」など捨て去り、最後の最後まで「プレー」に集中して、Jリーグの選手や指導者たちが恥ずかしさで顔を赤らめるような魅力あふれるサッカーを完成させてほしいと思う。
(2006年1月11日)
短時間だったが、ピッチ上には5人もの「19歳」が立っていた。
元日の天皇杯決勝戦。後半20分に浦和がMF赤星貴文を投入すると、22人の選手中5人もが高校を卒業して1年目の「新人」で占められることになった。それ以上に驚いたのは、データを見なければそんなことに気づかないほど、彼らのプレーが堂々としていたことだ。
浦和のDF細貝萌は群馬県の前橋育英高卒業。高校時代はボランチとして活躍、今季のJリーグでは3試合、MFとして交代出場した。しかし天皇杯の準々決勝を前にDFが足りなくなると、DFラインの右サイドで起用され、決勝戦までフル出場を果たした。初めてのポジションであるにもかかわらず、試合ごとに守備も落ち着き、優勝の大きな原動力となった。
清水のDF青山直晃は前橋育英高でこの細貝とチームメートだった。清水FCユース出身のMF枝村匠馬とともにチームがJ1残留争いで苦しんでいたリーグ終盤から起用され、「逃げ切り」の大きな力になった。
長身の青山はクロアチア代表の経歴をもつ浦和のFWマリッチをよくマークし、ヘディングではほとんどの場面で勝っていた。枝村はボランチの位置から積極的に飛び出して攻撃をサポートした。ともに10月からレギュラーとしてプレーしてきた自信と落ち着きが感じられた。
清水のFW岡崎慎司(兵庫県の滝川二高卒業)は、この試合がプロ入りしてから初めての先発だった。しかし長身の韓国代表FWチョジェジンと2トップを組み、あるときにはチョをおとりに使ってチャンスをつくるなど、初舞台とは思えないプレーでフル出場を果たした。
浦和のMF赤星は静岡県の藤枝東高卒業。交代で攻撃的MFにはいると、見事なテクニックで攻撃を切り開いた。試合を決めた浦和の2点目は、ブラジル人MFポンテからパスを受けた赤星がワンタッチでデリケートなリターンパスを送り、ポンテを突破させたところから生まれた。
天皇杯の決勝戦という重要な舞台にこれほど多くの新人が活躍したことには理由がある。残念ながらこの大会が、現状では、Jリーグの「ポストシーズン・トーナメント」になってしまっていることだ。40試合を超す戦いでチームは疲弊しきっており、負傷者、故障者も多い。各選手に対し、11月中に翌年の契約条件が提示されており、すでに査定が終わっていてモチベーションを保つのも難しい。
一方、高校を出たばかりの新人は、「プロ入り1年目は基礎体力づくり」と割り切って地道にトレーニングしてきているから、この時期には逆に元気いっぱいだ。試合に出場する機会は少なくても、毎日の練習のなかでベテランのプロに交じってボールを追い、競り合いを繰り返すなかで、知らず知らずにプレーの速さや当たりにも慣れている。使うタイミングと与える役割が適当なら、この5人のように力を発揮できる選手はもっとたくさんいるはずだ。
今回の天皇杯は、FIFAクラブワールドチャンピオンシップの影響で日程が圧縮され、準々決勝以降の3試合がわずか8日間に集中してしまった。その結果疲労がたまり、決勝戦は少し寂しい内容だった。5試合連続得点してブッフバルト監督が「彼の大会だった」と称賛した浦和のマリッチの得点力は見事だったが、それ以外には見どころの少ない大会になってしまった。
そうしたなかで、高校を出て1年目の選手がこれほどたくさん大舞台に登場し、堂々たるプレーを見せたのは、大きな救いだったし、うれしい驚きだった。彼ら5人にとどまらず、若い選手たちが新しい年のJリーグを活気づかせ、牽引車役を果たしてくれることを期待したい。
(2006年1月4日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。