「バイエル・レバクーゼン」というクラブの名前を初めて聞いたのは、1974年ワールドカップの取材中、列車のなかでドイツ在住の日本人と話したときだった。
「このクラブにはプロサッカーのチームもありますが、それよりも陸上競技で何人ものオリンピックのゴールド・メダリストを出していることで有名なんです」
サッカーよりも陸上競技に関心があるというその日本人は、そう話してくれた。陸上の金メダリストとプロサッカーチームの両方をもつクラブ...。日本にはないドイツの「総合スポーツクラブ」のすごさに、言葉を失った。
翌年、バイエル・レバクーゼンはブンデスリーガ2部に昇格し、4年後には1部に上がってサッカーの面でもドイツの最前線に躍り出た。
正式名称「TSVバイエル1904レバクーゼン」は、1904年に誕生した。レバクーゼン市は鎮痛剤「アスピリン」の開発で世界的に有名なバイエル社の「城下町」とも言うべき工業都市。その町の人びとの健康増進のためにつくられたクラブだった。ヨーロッパでは珍しい、大企業をバックとしたクラブである。
1964年東京オリンピックの陸上十種競技のW・ホルドルフを皮切りに、72年ミュンヘン・オリンピックの女子走り幅跳びのH・ローゼンダールなど、金メダリストがこのクラブのグラウンドから次つぎと生まれた。陸上競技だけではない。フェンシング、ボートなど、オリンピックのメダリストは総計60人にも及ぶという。
そしてサッカーも、遅ればせながら、1980年代以降ドイツの主要クラブのひとつとなった。ブンデスリーガ優勝こそないが、88年にはUEFAカップで優勝、2002年にはUEFAチャンピオンズリーグで決勝戦に進出し、大きな話題となった。
今回のワールドカップに、バイエル・レバクーゼンは9人もの代表選手を送り込む。DFフアン(ブラジル)、ノボトニー(ドイツ)、トゥーレ(トーゴ)、ステンマン(スウェーデン)、MFバルネッタ(スイス)、クシヌベク(ポーランド)、シュナイダー(ドイツ)、バビッチ(クロアチア)、そしてFWボロニン(ウクライナ)だ。
バイエル社自体も、今回のワールドカップに深くかかわっている。大会使用ボール「+チームガイスト」の外皮素材を開発したのが、バイエル・グループのバイエル・マテリアルサイエンス社だからだ。
限りなく完璧な球体に近づけ、プレーヤーの技術を最大限に引き出すことを目的とした今回のニューボール。その実現には、最新のプラスチック技術が不可欠だったのだ。
昨夜、日本代表はこうした背景をもつバイエル・レバクーゼンの「バイアレーナ」でドイツ代表と対戦した。
かつて陸上競技場だったスタジアムの全面改装が始まったのが1986年。以後、十数年にわたって計画的に進められた工事は1999年に完成した。収容2万2500人と小ぶりだが、南側のゴール裏にホテルが隣接し、機能的で美しいスタジアムだ。
サッカー専用スタジアムの完成にともなって、クラブの陸上競技部門には別の競技場が用意された。バイエル・レバクーゼンは、サッカーだけでなく、男子バスケット、女子バレーボール、女子ハンドボールのプロチームももち、陸上競技では相変わらずドイツ最強を誇っている。
32年前、日本はワールドカップ出場など夢のまた夢だった。いま、その夢は現実となり、大会を目前にして地元ドイツと満員の観衆の前で強化試合をするまでになった。しかしバイエル・レバクーゼンというひとつのクラブを目の前にするだけで、スポーツの環境や文化という面では、道はまだ遠いと感じざるをえないのだ。
(2006年5月31日、未使用)
フランツ・ベッケンバウアーの6回目のワールドカップが近づいた。
1966年イングランド大会、70年メキシコ大会、74年西ドイツ大会を選手として過ごし、86年メキシコ大会、90年イタリア大会には監督として出場、そして今回、2006年ドイツ大会を地元組織委員会の会長として迎える。
過去5回のワールドカップで、彼はいちどとして祖国に失望を与えたことはなかった。選手としては、準優勝、3位、優勝。監督としても準優勝、優勝と、ドイツを栄冠に導いてきた。今回は、ドイツのファンだけでなく、世界中からやってくるファン、そして世界の各地でテレビを見守る何億人というファンを楽しませなければならない。しかしその重圧のなかで、彼は静かにほほえんでいる。
現役時代、彼は「カイザー(皇帝)」と呼ばれた。背筋をすっと伸ばし、どんなときにも冷静さを失わず、DFでありながら「タフ」「ハード」などという言葉からはほど遠いエレガントなプレーでチームを統率する。そして味方がボールをもつと、いつの間にか中盤に進出し、決定的なパスを通して得点を演出する。
単に「マーク相手をもたず、守備ラインの背後に位置するDF」という意味だったイタリアの「リベロ」という言葉を、「自由に攻撃するDF」というイメージに変えてしまったのは彼だった。
監督としても、彼は超越した存在だった。84年、ヨーロッパ選手権で惨敗を喫した西ドイツ代表の監督に就任したとき、彼は何の指導者ライセンスももっていなかった。西ドイツのサッカー協会は、「監督(ブンデストレーナー)」ではなく、「統轄責任者(チームシェフ)」という肩書きを与えた。そして2年後、彼はベテランを中心にしてチームを立て直し、ワールドカップ準優勝に導いた。
圧倒的な強さで優勝を飾った90年ワールドカップ。決勝戦終了直後の彼の姿が印象的に残っている。抱き合い、狂喜する選手やスタッフたちから離れ、彼はローマ・オリンピック・スタジアムのピッチ上をひとりでゆったりと歩いていた。何かを反すうするように、ただ歩いていた。
そのベッケンバウアーが、古巣バイエルン・ミュンヘンの会長からドイツ・サッカー協会の副会長に転身し、2006年ワールドカップ招致活動のリーダーとなり、いま、8年間にわたる仕事のフィナーレを迎えようとしている。
ドイツ大会の公式マークは、06の文字が笑顔になっている。青、オレンジ、緑の三色は「いろいろな人種」のようでもあるし、3つの笑顔は家族のようでもある。いずれにしても、「笑顔」が公式マークに使われたのは初めてのことだ。
これにはベッケンバウアーの意向が強く反映されている。2006年大会は、国内的にはスタジアムを一新し、新時代のサッカーに備えることが第一目的だった。しかしそれだけでは世界のサッカーに寄与することはできない。どんな大会にするか、考えあぐねていたベッケンバウアーの心をとらえたのは、2002年の韓国/日本大会だった。
韓国と日本、ふたつのホスト国で、ベッケンバウアーはあふれるほどの笑顔に出会った。何か不都合があっても、ホスト国の人びとの善意あふれる努力があればサッカー楽しむことができる。2006年大会も笑顔にあふれる大会にしたい----。その思いをストレートに表したのだ。
大会ごとに高騰し続けていた入場券を買いやすい値段にした。ホテルも、値上がりを抑えるよう最大限の努力をした。鉄道会社に全面的な支援を受け、観戦客が安くドイツ中を旅行できるようにした。「来訪客にやさしいワールドカップ」の実現に向け、彼は努力を惜しまなかった。
そしてすべての準備は終わった。あとは、笑顔にあふれた大会を待つだけだ。
(2006年5月24日)
5月15日、ワールドカップ・ドイツ大会代表の23人が、ようやく発表された。
この日に開幕14年目の記念日を迎えたJリーグは、5月7日で全日程の3分の1強の12節を終了し、2カ月間あまりの中断にはいっている。
大型補強をした浦和が快走し、昨年優勝のG大阪が追い、その間隙をつくように川崎が首位に立った。千葉、清水、甲府など緻密なチームプレーで活躍するチームがある一方で、下位に低迷する2クラブでは早くも監督交代が断行された。今季のJリーグは、これまでになく充実しているように感じる。
ところが、この1カ月間のJリーグは、ワールドカップ代表入りが期待される選手たちの「国内予選」のように扱われてきた。ジーコがそうしたわけではない。メディアがそのように扱ったのだ。私自身も、F東京と名古屋の試合で、両チームのGK(土肥と川口)にスポットを当てた記事を書いた。
行きすぎだったと思う。各クラブはもちろん、選手たちも、日本代表入りのアピールだけを考えてJリーグを戦っていたわけではない。ひとつでも上の順位を目指し、少しでも地元サポーターに喜んでもらえる試合をし、結果を残そうとしてきただけなのだ。そうした戦いに目を向けず、「23人にはいるかどうか」の興味だけでJリーグを伝える姿勢はおかしかった。
ワールドカップは、サッカーを志した者なら誰もがあこがれる夢の舞台だ。サッカーを愛する人びとにとって、4年にいちどの「お祭り」だと言ってよい。
しかしサッカーはワールドカップや日本代表だけではない。選手たちは、何にも先立ってそれぞれの所属クラブと契約するプロであり、その生活はクラブでのプレーによって成り立っている。そして、それを支えているのが地元のサポーターたちだ。ワールドカップがあろうとなかろうと、また、その候補にはいっていようといまいと、選手たちはクラブの勝利のため、サポーターのために全力を尽くす。
幸いなことに、「日常」としてのJリーグは、金銭的にも企業や放送などから大きな支援を受けている。
ことし2月にトリノで行われた冬季オリンピックを見ながら、「この選手たちは4年にいちどのオリンピックがすべてのようで気の毒だ」と感想をもらしたサッカー選手がいた。裏を返せば、サッカー選手たちは日常的な活動だけで十分報われる幸せな存在であり、それゆえに日常に対する責任も重い。Jリーグの試合は、そうした責任の上にプレーされているものだ。
今季12節までのJリーグ報道は、その事実に対する配慮や尊重に欠けていたのではないか。それによって、こうした「日常」の重要性や価値が見逃され、どんなに意味のある勝利でもワールドカップに無関係なら無視されて、ファンを失望させることが多かったのではないか。
誰もが夢に見、4年にいちどしか行われないワールドカップ。しかしそれがサッカーのすべてではない。それどころか、ワールドカップという「お祭り」がなくても、Jリーグという「日常」だけで十分サッカーは成り立ち、続いていく。その関係を、私たちは見失ってはならない。
23人の選手が発表された日、テレビ各局は、選ばれた選手たちの生の表情を見せ、言葉を聞かせてくれた。過去2回の大会に比べると、どの選手も非常に落ち着いているように見えた。それは、それぞれのクラブでの日常の活動が地に足がついたものになってきた証拠だろう。
「お祭り」のメンバーに選ばれた選手たちは、そこで全身全霊を傾けたプレーを見せてくれるはずだ。と同時に、「日常」の大切さを見失うことも、けっしてないだろう。
(2006年5月17日)
最近、変わったスタイルの選手をときどき見かけるようになった。ストッキングをひざの上まで上げているのだ。少し前まではアーセナル(イングランド)所属のフランス代表FWアンリの専売特許だったが、まねをする選手が増えてきたようだ。
その一方で、Jリーグを見ると、ストッキングを下げたままでプレーしている選手が相変わらず多いのに驚く。
昨年の半ばまで浦和に在籍したエメルソンは、ほとんど足首までストッキングをおろしていた。むき出しの「向うずね」をけられ、大げさに痛がっていたことも多かったが、それでも、大きなすね当てをつけようとも、ストッキングを上げようともしなかった。
エメルソンがカタールに移籍して、こんな選手はもういないだろうと思っていたら、先週の横浜FM戦で千葉のMF羽生直剛が同じようにストッキングを足首まで下げてプレーしているのを見た。
イングランドのプロリーグには、1937年に初めてストッキングの色の登録することをクラブに義務付けたという記録がある。ストッキングは、19世紀からある古いサッカー用具だ。
今日ではルール第4条に「競技者が身につけなければならない基本的な用具」のひとつとして明記されている。すなわち、ストッキングをはいていなければプレーに加わることはできない。
さらに1990年のルール改正ですね当てが義務化され、「ストッキングによって完全に覆われている」という条件がついたことで、ストッキングをおろしたままプレーすることもできなくなった。
にもかかわらず、エメルソンや羽生のようにほとんど足首までおろしていても、レフェリーから注意も受けないのはなぜなのだろう。
実は、彼らはルールには違反していないのだ。役に立つかどうかさえ不明なほど小さなすね当てを着用し、それをきちんとストッキングで覆っているのである。
すねの半ばまで下げている選手も同じだ。普通の大きさのすね当てをつけてはいるが、ストッキングをすね当てのところまで折り下げ、ふくらはぎはほとんど露出させるというスタイルである。
しかしどちらも危ない状態であることに変わりはない。サッカー選手のケガで最も多いのが足首からひざにかけての部位。そこをしっかりと守ってくれるのがストッキングであり、足の長さに適した大きさのすね当てだからだ。
ルールがストッキングやすね当てを義務化しているのはスタイルのためではない。無用な負傷を防ぐためだ。ルールの考え方からすれば、ひざのすぐ下までストッキングを上げるのは当然のことだし、実際、ほとんどの選手がそうしている。
私は羽生のプレーは大好きだし、疲れ知らずの献身的な動きにはいつも感心させられる。しかしストッキングをおろしてプレーするのは、プロ意識の欠如ではないか。負傷の危険を最小限にするのが、本物のプロだと思うからだ。
同時に、少年少女はプロのまねをするということをJリーグの選手ならもっと理解する必要がある。ばかげたことまでまねをさせて、子どもたちを負傷の危険にさらすのは、プロのすることではない。
日本サッカー協会の施設委員会(サッカー用具について検討するのはこの委員会だ)で、ストッキングをひざのすぐ下まで上げることを義務化してほしいと提案したことがあるが、軽く無視された。
審判委員会でも技術委員会でもスポーツ医学委員会でもかまわない。とにかく、子どもからプロ選手まで、日本ではサッカーをプレーする人全員がすね当てとストッキングを正しく着用しなければならないという規則を、一日も早くつくってほしい。
(2006年5月10日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。