「僕の得点を『幸運に恵まれただけ』と言う人がいる。たまたまいいところにいたから得点できたんだとね」
Jリーグが始まったころ、名古屋グランパスにガリー・リネカーという選手がいた。イングランド代表で86年ワールドカップの得点王。「Jリーグ」の名を世界に知らしめた立役者のひとりだ。残念ながら負傷続きでJリーグでは力を発揮できず、2シーズンで帰国、引退したが、日本に滞在中、何回かインタビューする機会があった。彼の話はいつも「ストライカー」というものの本質についての示唆に富んだものだった。
「僕はペナルティーエリアの中で常に動き、スペースにはいろうとしている。そして味方からパスがくる瞬間に、僕をマークするDFより半歩でも前に出ていようとしているんだ。その動きを10回してもボールがこないときもある。しかしそれでも僕は11回目も動く。そして15回目か20回目にようやくボールがくる。僕は常に正しいポジションを取ろうと努力しているんだ。ボールがきたときだけを見て、『たまたま』と言われるのは少し心外だね」
リネカーの言葉を思い出したのは、先週土曜日、甲府でJリーグの甲府×柏のゲームを見ていたときだ。
1−1で迎えた後半、退場で柏が10人になり、ホームの甲府が猛烈な攻勢を取り始めた。しかしなかなかシュートが決まらない。逆にカウンターから1点を食らう始末だ。甲府はようやく終盤に2点を取って逆転勝ちしたものの、せっかくの創造性あふれる攻撃がふいになっても不思議はない試合だった。
「日本病」という言葉が浮かぶ。チャンスをつくってもそれがなかなか得点に結びつかないのは、甲府に限ったことではない。Jリーグでは例年、得点ランキングの上位にずらりとカタカナ名前が並ぶ。「決定力不足」は日本代表のニックネームではないかと思うときさえある。
昨年のワールドカップでも、期待のエースたちが絶好のチャンスを外し続け、多くのファンを失望させた。頼りになるストライカーさえいれば、あの大会の結果はまったく違ったものになっただろう。
リネカーは身長が175センチしかなかった。イングランドの選手としては「小柄」と表現してもよい。それでもたくさんのヘディングシュートを決めた。持ち味はスピードと言われたが、特別な速さがあったわけではない。技術的にもごく平凡だった。
彼のストライカーとしての最高の資質はその頭脳にあった。練習のなかで、彼は試合中の相手DFの動きをイメージし、味方のプレーに合わせていかに「正しいポジション」を取るかを考え、工夫し続けた。そしてどんなタイミングでボールがきても、常にシュートにつなげられるよう心の準備をしていた。
「身体能力」の問題ではなく「頭脳」が問われていることを、日本のストライカーたちは意識する必要がある。
(2007年4月25日)
日本フットボールリーグ(JFL)に異変が起こっている。
Jリーグ(J1、J2)の下に位置するJFL。企業チーム、大学チームもはいっている全国リーグだが、Jリーグを目指すプロ体制のクラブもいくつか在籍している。このリーグで上位を占めることがJリーグ昇格条件となっているからだ。いわば、JFLはJリーグへの登竜門ということになる。
とはいっても静岡県のホンダFCを中心にした企業チームもしっかりとしたサッカーを見せており、プロ体制といっても財政基盤の弱いクラブにとってはこれまで苦戦が続いていた。Jリーグへ上がればスポンサーもつくが、JFL所属ではなかなか資金が集まらないのが現状だからだ。
昨年のJFLも、優勝はホンダFC、2位は佐川急便東京、3位は佐川急便大阪と、企業チームが上位を占めた。ことしは佐川の2チームが合併したため、ホンダと佐川の優勝争いかと予想されていた。
しかしフタを開けてみるとJリーグを目指すクラブが大躍進を遂げ、周囲を驚かせている。首位は栃木SC、6試合を終わって5勝1分け、勝ち点16と快調だ。元FC東京のMF小林成光が3ゴール、元柏のFW山下芳輝が2ゴールを挙げ、見事に牽引車役を果たしている。
2位は岐阜FC、これも5勝1分けだ。栃木SCは昨年7位。岐阜FCは東海リーグからことしJFLに昇格したばかりの「新顔」。このほか、ロッソ熊本も4勝2敗の6位と、上位をうかがう好位置につけている。
昨年までは上位2チームにはいることがJリーグへの昇格基準になっていたが、Jリーグは今季からその基準を改め、すでにJリーグ準加盟の審査を通ったクラブなら、4位以内にはいれば昇格を認めることにした。そして、上記の3クラブとともに、ガイナーレ鳥取にも準加盟の資格を認めた。ガイナーレ鳥取は1勝2分け3敗の12位と出遅れているが、1980年代に松下電器をゼロの状況から育てた水口洋次監督の指導で、今後どんどん力をつけていくに違いない。
「Jリーグ準加盟」が一挙に4クラブもできたことで、今季のJFLは大きく活気づいたようだ。優勝候補の筆頭と予想されていた佐川SCも本拠地を滋賀県の守山市に移し、徐々に「合併効果」を見せ始めて5勝1敗、首位栃木SCとは勝ち点1差の3位につけている。その下には、31歳の依田博樹新監督に率いられた横河武蔵野FCが4勝2分けで食い下がっている。
クラブ名からも明白なように、「準加盟」の4クラブはいずれも既存のJリーグクラブがない県を本拠としている。JFL全体を見ても、全18チームが秋田県から沖縄県まで17の都府県に散り、うち9県はJリーグの「空白地帯」だ。JFLには、近い将来の日本の「サッカー地図」が明確に示されている。
(2007年4月18日)
またも残念な事件が起こった。準々決勝を迎えたヨーロッパのクラブカップで、先週、2日連続してスタジアム内で観客と地元警察が衝突し、負傷者や逮捕者が出たのだ。
UEFAチャンピオンズリーグの「ローマ対マンチェスター・ユナイテッド」、そしてUEFAカップの「セビリア対トットナム」。いずれも、ビジターのイングランド・チームのファンが関わった。
「フーリガン復活」と、ヨーロッパの人びとは考えた。一方イングランドでは、イタリアやスペインの警察がちょっとしたことに過剰反応した結果だと、やや違った反応が出ている。いずれにしても、スポーツの観戦や応援の場で起こってはならないことだ。
80年代に世界中に吹き荒れ、大きな犠牲を出した後、ヨーロッパでは90年代の後半になってようやく克服されたサッカー場での暴力事件。しかしことしになって、イタリア・カターニャでの暴動(2月)など、各地で血なまぐさい事件が続発している。
サッカーだけではない。ギリシャでは、女子バレーボールの応援をめぐって、2つのライバルクラブのファンが衝突し、政府がすべての団体競技の試合を中止にさせるという騒ぎも起こっている。
スポーツはスポーツでしかない。断じて戦争ではない。しかし問題が起きたケースを見ると、ほんの小さな出来事が引き金となって大きな事件に発展する雰囲気にあったのは間違いない。その原因は、対戦するチームのファン同士の過剰なライバル意識や、相手に対する敵視などだ。
クラブカップも準々決勝になるとそろそろ「頂点」が見えてきてファンの期待もピークに達している。ひとつのゴール、ひとつの判定に異常なほど反応し、異常に熱した空気のなかで相手チームのファンで埋まった観客席に物を投げ込んだり、挑発するような歌を歌ったりする。
いくら厳重な警備をしても、ファン同士を分離させても、そうした雰囲気を消すことはできない。むしろ対立感をあおるばかりだ。根本的な解決にはならない。
こうした事件を根絶するには、スポーツはスポーツであり、「生か死か」の問題でも、ライバル同士が互いに人格を傷つけ合うようなものでもないことを、ファンたちにしっかりと理解させるしかない。その責任は、主としてメディアにあると私は思う。
ところが、現代のメディアは逆に対立をあおり、相手を挑発するような役割を果たしてしまっているのではないか。試合の価値を大げさな文句で喧伝し、ファンが思わず走り出してしまうようにリードしているのではないか。
ヨーロッパだけの話ではない。日本でも、ことスポーツになると、メディアは無責任な「あおり文句」を連発してはばからない。スポーツの場であってはならない事件を起こさないためにも、メディアが自らの役割を認識し、自戒する必要があると思うのだ。
(2007年4月11日)
「Jリーグは『人づくり』などと言うが、日本のサッカー界がやろうとしていることは、世界のベスト10入りを目指すなど、結局は勝利至上主義ではないか。それで本当に『人づくり』などできるのでしょうか」
先週、大阪で関西大学の社会学部創立40周年記念のシンポジウムに出席した。「Jリーグとまちづくり・人づくり」をテーマとしたものだった。その最後に、フロアからこんな質問が出た。その質問を聞いて、長い間忘れていたひとつの言葉が突然よみがえった。もう40年近く昔の話である。
高校生になって初めて公式戦に出してもらったのは、何かの大会の1回戦、前半だけで6−0と大量リードを奪った試合の後半だった。無我夢中で走っているうちに、目の前で相手GKがボールをはじいた。必死に飛びつくGKより一歩先に私はボールにさわり、ゴールに流し込んだ。
いわゆる「ごっつぁんゴール」である。でも1点は1点。しかも初めての公式戦での初ゴールだ。私は狂喜して飛びはねた。そのときである。
「あいつら、勝つことしか考えてないよ」
疲れ切った相手チームのひとりの選手が、うんざりしたような口調でこう言うのが聞こえたのだ。私はドキッとした。何か恥ずべき行為をしてしまったのだろうか。すでに6点もの差がついたこの試合。私には、もっと違うプレーの仕方があったのだろうか。
試合が続くなかで、私はいつの間にかそんなことを忘れてしまっていた。しかし試合中に感じた小さな「後ろめたさ」は、何らかの傷となり、40年間も心のどこかに眠っていたのだろう。
いまなら、胸を張って言うことができる。私は、点差に関係なく、ゴールを目指して一生懸命にプレーした。それはあるべき態度だった----。
スポーツを価値のあるものにする最も根源的な要素は、「勝利を目指すこと」だ。勝とうとする努力をぶつけ合うことだ。だからこそ勝利に大きな喜びがあり、負けても深い満足を得ることができる。
相手をみくびって力を抜いたり、不まじめな態度で試合に臨んだり、あるいは点差が開いたからといって遊びのプレーに走るなどという行為は、けっしてあってはならない。それは相手に対する侮辱であり、同時に自らの価値を落としてしまう行為だ。
40年前の試合で感じた小さな後ろめたさは、不要なものだった。
先週のシンポジウムで、私はこんな答えをした。
「大切なのはフェアプレーの精神を忘れないことです。相手を尊重し、一生懸命に努力し、戦うことです。勝とうとすることはフェアプレーの最も根本的な態度のひとつです。フェアプレーの精神さえ忘れなければ、世界のベスト10にはいろうという努力が、当然、『人づくり』にもつながるはずです」
(2007年4月4日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。