「10年目の秋」がきた。
1997年、ちょうど10年前のいまごろ、国中が日本代表の戦いに一喜一憂していた。ワールドカップ・フランス大会のアジア最終予選が行われていたのだ。
9月7日に東京でウズベキスタンと初戦を戦い、6−3で勝った日本は、19日に気温39度のアブダビでUAEと対戦し、0−0で引き分けた。そしてロンドン経由で東京に戻り、いまごろは28日の韓国戦に備えていた。
このときには、これから訪れる苦難など予想もできなかった。韓国に敗れ、その後は3試合連続引き分け。なんと5試合、2カ月間近くも勝利に見放されたのだ。
カザフスタンと引き分けた晩、日本サッカー協会首脳は遠征先のアルマトイのホテルで加茂周監督の解任を決断した。以後は、代わって就任した岡田武史監督の下、苦しみながらもあきらめずに戦い抜き、ついにワールドカップ初出場を達成する。
岡田監督就任後も、ウズベキスタン、UAEと連続して引き分け、悲観的な空気をぬぐうことはできなかった。しかし協会首脳は動じず、岡田監督にすべてを任せた。その信頼が、ソウルでの韓国戦快勝、さらにプレーオフでイランを3−2で下して初出場達成につながる。
勝てなかった時期、当然、メディアの批判は厳しかった。しかしそのほとんどは、メディアの責任として主体的に行ったものだった。
それから10年目の秋、北京オリンピック出場を目指すアジア最終予選が行われている。サウジアラビア、カタール、ベトナムという強豪との4カ国の総当たりで1位にしか出場権が与えられないという非常に厳しい予選だ。
そのなかで、反町康治監督率いるU−22日本代表は、ちょうど半分の3試合を終わって2勝1分けで首位に立った。楽な勝利などない。しかし3試合で失点は0。全員がハードに戦い、勝負強さを発揮している。
ところが思いがけなく風当たりが強い。メディアからのストレートな批判ではない。なんと日本サッカー協会の川淵三郎会長からである。スポーツ紙が、得点した選手をヒーローと持ち上げる一方で、川淵会長がこう話したとか、こう示唆したなどのコメントを引きながら「次の試合で勝てなければ監督解任」などの記事を掲載しているのだ。
監督を代えたほうがいいという意見なら、ストレートにそう書けばいい。川淵会長も代えるべきと判断するのなら10年前のようにばっさりとやればよい。現在の現象はあまりに陰湿で見苦しい。
ホームアンドアウェー形式の予選は「勢い」だけで勝ち抜くことはできない。一喜一憂せず、最後までしっかりと腹筋を固めて戦い抜くしかないことを、私たちは10年前に学んだはずだ。U−22日本代表は、いままさにそうした戦いをしている。その足を引っ張る愚行は、そろそろ終わりにしなければならない。
(2007年9月26日)
北京オリンピックを目指す男子の予選は11月まで続くが、女子ワールドカップ(中国)でのなでしこジャパンの敗退で「日本代表の長い夏」が終わった。
7月1日に初戦のスコットランド戦が行われたU−20ワールドカップ(カナダ)を皮切りに、男子代表のアジアカップ(東南アジア4カ国)、オリンピックの男子最終予選、U−17ワールドカップ(韓国)、さらになでしこジャパンの女子ワールドカップと、わずか2カ月半の間に5つもの「日本代表」が重要な大会を戦った。
大きなタイトルや世界がびっくりするような結果は得られなかったが、どの代表もよくがんばったと思う。5つの代表の総試合数は29。通算成績は14勝10分け5敗。このうちアジアのチームが相手の試合は13で、7勝5分け1敗、アジア以外の相手には16試合戦って7勝5分け4敗という成績だった。
これだけ集中的、連続的に各種「日本代表」の試合を見ていると、共通する長所とともに短所もよく見えてくる。その短所のひとつが攻撃時の「球際」の弱さだ。
相手ゴールに向かうパスがなかなか通らない。相手がスライディングしながらでもカットしようとするからだ。味方に渡っても、体を寄せられ、足を出されてはじき出されてしまう。ようやくボールをもってドリブルで抜こうとすると、相手の逆を取ったと思った瞬間にどこからか足が出てきてストップされる。
この2カ月半、どの代表チームも同じようなことで苦しんだ。相手がアジアでもヨーロッパでも、状況はあまり変わらなかったように思う。
こうしたことに苦しむのは、日本国内の試合の守備が甘いからだ。パスをインターセプトしようという意識に乏しい。パスが渡ってしまったら、無理して取ろうとはせず、「ウェイティング」に徹してくれる。ドリブルに対しても、なんとか足に当ててボールを奪おうというより、抜き去られまいと、ついていくだけだ。
このような守備に対していたら、攻撃側も甘くなってしまう。パスも通るし、コントロールも簡単だ。そしてドリブルを始めれば思うように相手を振り回すことができる。日本代表のオーストリア遠征から帰ってきて、週末のJリーグの試合を生とテレビで何試合か見た。そこでは、まさにこうした「甘い攻防」が行われていた。
守備の目的が、何よりも相手からボールを「奪い返す」ことであることを、もっと強く意識しなければならないのではないだろうか。現在の日本の試合の守備は、それよりも「相手のミスを待つ」ことに偏っているのではないか。
世界で戦うには、1対1で果敢に突破できるアタッカーが必要だ。激しい当たりにも耐えられる「球際」に強い選手を生み出すためには、国内の試合で、相手からボールを奪おうとするどう猛なまでの守備が不可欠だ。
攻撃の強化は、守備の強化と表裏一体をなすものだ。
(2007年9月19日)
「スポーツは施設」----。改めてそう思った。
オーストリア南部のクラーゲンフルトという美しい湖畔の町に1週間滞在した。日本代表が国際大会に招待され、地元オーストリア、そしてスイスと、この町に完成したばかりのスタジアムで対戦したからだ。
人口9万人の小さな町。中心部を抜けると緑豊かな住宅地が広がり、さらに行くとさまざまなスポーツ施設が見られる。たくさんのテニスコート、海のないオーストリアという国では意表をつくビーチバレーコート、そしてサッカーグラウンド。ここには、スポーツを楽しむ環境がふんだんにある。
フェンスに囲まれた施設だけではない。町の西に広がるベルター湖の湖畔には広大な公園があり、木立や美しく手入れされた花壇が芝生に囲まれて点在している。散歩にもってこいだが、サイクリングやランニングのための道が整備され、芝生の上では子どもたちが元気にボールをけっている姿を見る。湖では、手軽にモーターボートやヨットを楽しむことができる。
日本代表は、この町から車で1時間ほどの山中の小さな村に滞在し、そこのクラブのグラウンドを借りて練習をした。ある日の練習を取材した帰り、途中の村のサッカーグラウンドで少年チームの試合に出くわした。グラウンド周辺の道には選手たちの父母や町のサッカー好きの車がずらりと駐車してあり、グラウンドを取り巻く柵には隙間もないほど「観客」がはりついていた。こんなに楽しそうな週末の夕刻の過ごし方を見たのは、久しぶりだった。
スポーツを楽しむにはそのための施設が不可欠だ。そして施設さえ十分にあれば、あとはスポーツをする人たちが独自に組織をつくり、楽しむためのシステムを運営することができる。いや、組織などなくても、体を動かしたいと思ったときに気軽に出かけられる場所さえあれば、それぞれの好みに応じたスポーツの楽しみ方ができる。
豪華でなくてもいい。安全でさえあれば十分だ。スポーツ行政とは、だれもが手軽にそして手近にスポーツを楽しむことのできる施設を、とにかく増やすことではないか。土地がない国であれば、あるもの(現在はスポーツ施設としては使われていないものも含め)をどう生かせば、市民がスポーツを楽しむ環境を提供できるか、創意工夫するのが仕事であるはずだ。
手軽にそして手近に使える施設があれば、間違いなくもっとたくさんの人がスポーツを楽しむようになる。それぞれの体力レベルに応じたスポーツの楽しみ方ができるようになる。
何十億円も投じて立派な体育館を建設し、その管理・運営する人や規則ばかり増やして、市民のためでなく、「スポーツ行政のためのスポーツ行政」に熱を入れている間は、いつまでたってもこうした環境は実現しない。
(2007年9月12日)
来週月曜日、中国の上海で第5回FIFA女子ワールドカップが開幕する。
FIFA(国際サッカー連盟)主催の大会が月曜日に始まるのは珍しい。16チーム参加、全32試合で9月30日(日)に決勝戦なら、8日(土)に開幕する23日間の大会日程が標準だが、この大会は2日間短い。9日(日)まで韓国でU−17ワールドカップが開催されているからだ。
ここ数年でずいぶん人も増えたが、元来FIFAは小さな組織で、大会を重ねて主催することはない。少なくとも大会間に1カ月は空ける。ところがことしは主催大会が目白押し。仕方なく「なか0日の連続開催」となった。9月10日朝、ブラッター会長をはじめとしたFIFAの幹部は大あわてでソウルから上海に移動することになる。
女子ワールドカップはFIFAのアベランジェ前会長の熱意で1991年に中国で第1回大会が実現した。95年の第2回大会はスウェーデン、99年の第3回大会はアメリカ、そして2003年の第4回大会も連続してアメリカで開催された。本来ならこの大会は中国で開催されることになっていたのだが、新型肺炎(SARS)騒ぎで急きょ開催国が変更されたのだ。ことしの大会は、その「仕切り直し」ということになる。
「サッカーの未来は女子にある」と、第1回大会に際してアベランジェ前会長は語った。その言葉のとおり最近の女子サッカーの発展はすさまじい。FIFAの公式調査によると2000年の時点で女子の競技人口は約2200万人だった。それがわずか6年間で2600万人となり、男子を含めた総競技人口の約10パーセントに達した。女子ワールドカップも、試験的な12チーム出場から第3回大会には16チームとなった。次回、2011年大会には24チーム出場に増やされる可能性もある。
従来、女子ではワールドカップよりオリンピックのほうが重視される傾向にあった。96年のアトランタ五輪で女子サッカーが正式種目になったとき、FIFA自身が前年のワールドカップをその予選としたほどだった。しかしヨーロッパや南米の「サッカー先進国」が意欲的に女子のセミプロ化を進めるなかで、ワールドカップへの関心も急速に高まってきた。
日本女子代表「なでしこジャパン」は5大会連続出場。間違いなく16チーム中最も小さく、パワーも最も弱いが、4大会連続出場のMF澤穂希を中心にしたパス攻撃とキャプテンのDF磯﨑浩美を中心とした粘りの守備は、十分世界のトップに通じるものがある。
スピードやパワーでは男子のサッカーに遠く及ばない。しかし技術に大差があるわけではない。闘志は男子以上かもしれない。そして何よりも、プレーがフェアで、男子のサッカーには失われてしまった「美しさ」がある。機会があったら、ぜひテレビで観戦してほしい。
(2007年9月5日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。