川崎フロンターレのブラジル人FWジュニーニョ(30)が日本国籍取得の意向を明らかにし、話題になっている。昨年のJリーグ得点王である。手続きがスムーズに進めばワールドカップのアジア4次予選に間に合うのではないかと期待されているのだ。
日本にはすでに三都主アレサンドロと田中マルクス闘莉王という2人の「帰化選手」がいる。古くは70年代のネルソン吉村、80年代のジョージ与那城、90年代のラモス瑠偉、呂比須ワグナーと、何人ものブラジル人選手が日本国籍を取得して日本代表チームの戦いに貢献してきた。
そしていま、この傾向は世界に広がろうとしている。ポルトガルのデコ、スペインのマルコス・セナ、クロアチアのエドゥアルド・ダシルバなど、ヨーロッパの国々の代表チームに続々と「元ブラジル人」が登場してきたのだ。
国際サッカー連盟(FIFA)の規定では、代表歴がない選手なら、その国に2年間以上居住し、かつ国籍を取得できれば、その国の代表選手になることができる。
「10年後のワールドカップでは、出場選手の半数がブラジル人になっている」
こんなジョークにも笑えない状況なのだ。
代表チームだけではない。世界各国のプロリーグで、ブラジル人が活躍するようになった。昨年1年間だけで、驚くことに1252人ものブラジル人選手が外国のクラブに移籍したという。移籍先の大半はヨーロッパだ。
かつて、ブラジル人選手のヨーロッパ移籍といえば言葉が同じでしかも外国人扱いされないポルトガルと決まっていた。スペインやイタリアなどのビッグクラブで活躍する選手もいたが、それはごく少数のブラジル代表のスーパースタークラスだった。ところが今日ではロシアやクロアチアなどのリーグにもブラジル人選手がいる。当然、多くは代表歴などない選手たちだ。
いまやサッカー選手はブラジルの「主要産品」のひとつと言っても過言ではない。クラブの総収入の30%は選手を外国のクラブに売ることで得られるものであり、その額はクラブのベーシックな収入であるはずの入場券売り上げの4倍にもなるという。
選手の大半はヨーロッパで成功して「セレソン(ブラジル代表)」に招集されることを夢見ている。それがかなわないと悟ると、別の道でワールドカップ出場の夢を果たそうとする。
現在、日本には60人を超すブラジル人のプロ選手がいる。J1では18すべてのクラブでブラジル人が中心選手として活躍しており、その総数は40人にもなる。監督は2人だけだが、コーチは14人いる。
ワールドカップでは過去18回のうち5大会を制覇したブラジル。過去10年間のFIFA年間最優秀選手賞でもその半数の5回をブラジル人選手が受賞している。そうした派手な舞台だけではない。日常のサッカーのなかで、「ブラジル」は世界の隅々にまで侵入し、勢力を伸ばし、世界を席巻しようとしているのだ。
(2008年3月26日)
浦和のオジェック監督が解任された。Jリーグ開幕からわずか2節での解任は「最速タイ」だそうだ。浦和としては、手遅れにならないうちにという意図だったのだろう。
連敗の相手は横浜FMと名古屋。チームがばらばらだった浦和と比較し、ともに新監督の下ひとつにまとまり、積極果敢なサッカーを見せた。好調時の浦和でも相当の苦戦が予想される出来だった。浦和がもしエンゲルス新監督の下で調子を取り戻せれば、開幕から連続してこのような状況のチームと当たれたのが逆に大きな幸運だったということになるだろう。
浦和を下した2チームのなかでも、私が強い印象を受けたのは名古屋だった。ピッチ全面で相手にプレスをかけ、球ぎわで粘り強く戦い、ボールを奪うと果敢に攻撃を仕掛けた。アウェーで2-0としても守備に回ることもなく、最後まで同じ姿勢を貫いた。全員がチームのために躍動感あふれるプレーを続け、見ていてすがすがしい思いさえするサッカーだった。
名古屋は過去5シーズン優勝争いに顔を出すことができず、低迷が続いていた。昨年まで2年間指揮をとったフェルフォーセン監督(オランダ)は優秀な指導者で、ポジショニングを重視したベーシックなサッカーを教えたが、成績は低迷したままだった。
昨年末、「次期監督にストイコビッチ」という動きを聞いたとき、正直なところ「末期症状か」と私は思った。言わずと知れたJリーグ史上屈指の天才選手。94年から01年まで名古屋でプレーし、2回の天皇杯優勝をもたらした「ピクシー」の人気にすがるのかと感じたからだ。その不明が恥ずかしい。
「強豪が相手でも守備だけではいけない。選手自身がゲームを楽しみ、美しさを出さなければならない」。「スタメンもベンチもない。チーム全体がひとつの家族のようにまとまらなければならない」
浦和戦後の会見で、ストイコビッチ監督はそんな話をした。天才そのもののプレーと情熱を持て余したような審判との衝突...。選手時代の彼にはそんなイメージがある。しかしその奥底には、サッカーを心から愛し、それゆえに試合を楽しみたいと願い、同時に、見ている人にも心躍るような思いをしてもらいたいという哲学があったのだろう。
守備の柱バヤリッツァの負傷で、この試合の名古屋のDFは平均で22歳にも満たない若さだった。代表クラスを並べた浦和に対し、名古屋の日本代表経験者はGK楢崎、MF中村、FW玉田の3人だけ。そのチームが、浦和に厳しいプレスをかけ、先手を取って動き、自信にあふれた攻守で会心の勝利を収めた。
戦術でも技術でもない。指導者に何より必要なのは、選手たちがもつサッカーへの情熱を引き出し、それをチームの勝利のために結束させることにほかならない。プレーするのは監督ではなく選手だからだ。名古屋のプレーぶりとストイコビッチ監督の話から、そんなことを思った。
(2008年3月19日)
ことしは、実質的にルール改正がない。
3月8日、サッカーのルール改正を検討する国際サッカー評議会(IFAB)の年次総会がスコットランドで開催された。ルールの改正は2つのみ。第1は、国際Aマッチでのピッチの大きさが縦105㍍、横68㍍に限定されたこと。これまでは縦横とも10㍍ほどの許容範囲があった。そして第2は、国際サッカー連盟のボール検定のロゴマークの変更である。ともに、一般のサッカーにもJリーグにも影響を及ぼすものではない。
昨年のFIFAクラブワールドカップで使用されたゴール判定システムのテストの凍結が決議され、それに代わるものとしてゴール裏に配置される第3、第4の副審のテストが認可された。他にもいくつかの議論が行われたが、おそらく、過去20年間で最も静かな総会だっただろう。
80年代まで、サッカーのルールの変化は非常に穏やかなものだった。しかし90年代以降は毎年多くのルール変更が行われた。そしてそのいくつかは、サッカーというゲーム自体を大きく変えた。
オフサイドルールの改正(90年)、得点機会阻止への厳罰(退場処分、91年)、GKへのバックパス禁止(92年)、テクニカルエリアの設置(93年)、選手交代枠の拡大(95年)、勝ち点制度の改正(95年)、ボールを保持したGKのステップ数制限をなくし、時間制限だけにする(2000年)...。これらは、サッカーという競技の最大の魅力である得点を増やすことが狙いだった。
もうひとつの重要な要素として、選手の安全を守ることを狙いとしたルール改正も多かった。すね当ての義務化(90年)、後方からの無謀なタックルに対する厳罰(退場処分、94年)、ひじ打ちに対する厳罰(退場処分、94年)、出血した選手のゲーム参加一時停止(97年)などである。
ことしのIFABで目立ったルール改正が行われなかったのは、90年代に始まった「新時代に即したサッカーのルールづくり」と呼ぶべきものが一段落したということなのだろうか。IFABは、97年に全面的に用語などを改め、書き直したルールブックを、再度書き直し、よりシンプルに、よりわかりやすいものに改めると言う。
さらに、ルールそのものの変更ではなく、昨年来、審判に対する追加的な指示や審判法の標準化を進めるガイドラインを示すことに力が注がれ始めている。昨年のルールブックでは、こうした内容の記述部分が、ページ数にして、ルール本体の記述の1.5倍にもなった。
1863年に最初のルールが書かれたときには、全部で14条だった。145年後のいまも、ルール自体は全17条と簡素なままだ。しかしサッカーは時代とともにある。21世紀にもサッカーが世界で最も愛されるスポーツであるためのルールであるかどうか、これからも考え続けていく必要がある。
(2008年3月12日)
日本サッカー協会の公式ホームページに興味深い写真が掲載されている。男女の日本代表がいっしょのチーム写真に収められているのだ。「JFAオリジナル壁紙」として、誰でも無料でダウンロードできる。
男女そろって出場した東アジア選手権の開幕前に中国の重慶市内で撮影したもの。前列中央に男子の岡田武史監督と女子(なでしこジャパン)の佐々木則夫監督。後列中央、黒いユニホーム姿のGKたちの身長に大きなでこぼこがあるのがご愛嬌(あいきょう)だが、41人の選手が並んだ写真に違和感はない。
実はこれ、イングランドのアーセナルをまねしたものだ。女子ヨーロッパカップで初優勝を飾ったのを機に、アーセナルは、昨年夏、男女のトップチームが1枚に収まったポスターをつくった。
ベンゲル監督率いる男子チームはUEFAチャンピオンズリーグの常連で、欧州でも屈指の強豪だ。しかしセミプロの立場でしかない女子も、同じアーセナルというクラブの旗を掲げるチームである。男女の違いを超え、力を合わせて再び欧州のタイトルに挑もうという趣旨だった。
これを「発見」した上田栄治・日本サッカー協会女子委員会委員長(元なでしこジャパン監督)の働きかけで、男女代表がそろった重慶で「日本代表版」の撮影が実現した。アイデアは借用だが、ナショナルチームのこうした写真は、おそらく世界でも初めてなのではないだろうか。
現代のサッカーは二極化が極限に達している。「稼ぐ者」と「稼がない者」の二極化だ。アーセナルを含むヨーロッパのトップクラブのスターたちは十数億円もの年俸を稼ぐ。一方で、実力では劣らなくても、南米でプレーしている選手たちの多くはその百分の一程度ももらっていない。
日本サッカー協会でいえば、協会全体の年間収入の3分の2を占める男子日本代表に対し、女子代表は出費ばかりの状況だ。それでも日本協会は惜しみなくなでしこジャパンの強化に力を注ぐ。女子サッカーも同じサッカーの仲間であり、なでしこジャパンは日本代表と並ぶ日本サッカーの「顔」だからだ。
いま、日本は男子も女子も「日本人の長所を最大に生かしたサッカー」を目指している。男子は惜しくも優勝を逃した東アジア選手権だったが、女子は試合ごとに調子を上げて3戦全勝で優勝を飾った。もし男子の代表選手たちが試合を見ていたら、なでしこジャパンから学ぶところも多かったのではないだろうか。
ところで今回1枚の写真に収まった男女の代表には、1組、かつて「チームメート」だった選手たちがいる。誰と誰かわかりますか?
正解は、なでしこジャパンのキャプテン澤穂希選手と、男子のMF中村憲剛選手。2人は小学生時代に「府ロク」という東京の強豪少年チームでプレーしていた。澤選手が6年生のときに中村選手は4年生だったが、澤選手は男子に交じって堂々たるエース。中村選手にとってあこがれの選手のひとりだったという。
(2008年3月6日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。