3月26日、オランダ西部のハーグ。石畳の街角はまだ寒さが厳しかった。だが、健康福祉スポーツ省の女性大臣ブッセマーカーが高いヒールのブーツ姿でボールをけると、子どもたちの元気な歓声が寒風を吹き飛ばした。
ことしオランダサッカー協会が新しい取り組みを始めた。「ストリートサッカー」の全国大会をスタートさせたのだ。ハーグで行われたのはそのキックオフセレモニーだった。
文字どおり「路上サッカー」。より実情に近い言い方なら「裏通りのサッカー」だ。かつて世界中の町で、空き缶などで路上に一対のゴールをつくり、1個のボールを中心に飽きることなく遊ぶ少年たちの姿があった。
大人が介入しない子どもたちだけの世界。彼らはそこで身のこなしやテクニックを身につけた。ペレ、ベッケンバウアー、クライフら天才たちの創造性あふれるプレーの基礎は、有能なコーチの指導ではなく、路上で自由に遊んでいたころにできたものだった。
しかし自動車が普及し、都市の整備が進むと、裏通りにも子どもたちが遊べる場所はなくなった。ヨーロッパではとくにその傾向が強く、個性的な天才が生まれにくくなった。
なんとかしようと、コーチたちは練習に「ストリートサッカー」の要素を取り入れようと工夫を重ねた。オランダではとくに危機感が強く、協会を挙げての取り組みが行われてきた。
その一方で、「外遊び」が減る傾向にある子どもたちの健康を憂慮した各地の自治体が、10年ほど前から街の道路の一角を子どもたちに開放して「ストリートサッカー」を奨励する動きが生まれ、昨年には15都市に広がった。各地のクラブもその運動に参加し、昨年は全国で1万7000人もの子どもがストリートサッカーを楽しむようになった。
今回のオランダサッカー協会の取り組みは、その運動をさらに広め、近い将来、10万人の子どもたちをこの遊びに引き込もうという計画だという。「全国大会」といっても、右だ左だと指示する大人の監督などいない。
路上だから天才が生まれたわけではない。子どもが自分たちでルールをつくり、子どもなりの「人生」をかけてテクニックを磨き、ゴールを奪い守るための戦いを繰り返すことで、個性や創造性が生まれたのだ。大会という「形」をつくるときに、なにより大事なのはその「魂」だ。
(2008年4月30日)
気がつけば「メッシだらけ」だった。
リオネル・メッシ。スペインのバルセロナでプレーするアルゼンチン人アタッカー。身長169センチという小柄ながら、17歳でバルセロナの1軍にデビューし、ドリブルテクニックであっという間にスターになった。18歳でワールドカップに出場、現在20歳だが、すでに「世界ナンバーワン」の呼び声も高い。そのメッシのような選手が、Jリーグでも次々に活躍するようになったのだ。
東京ヴェルディの河野広貴とFC東京の大竹洋平はともに18歳、ともに165センチで、左利きだ。左利きながら右サイドからのドリブルで相手守備を崩す動きはメッシそっくり。決断が早く、大柄なDFたちの体当たりにも負けない強さがある。
J2のセレッソ大阪では、19歳の香川真司が攻撃を引っ張っている。こちらは173センチとやや身長は高く、右利きだが、左サイドにポジションを取り、果敢に縦に抜いてチャンスをつくる。「右利きのメッシ」というところだろうか。
サッカーはイマジネーション(想像力)のスポーツである。少し前まで、日本の少年たちはロナウジーニョ(バルセロナ、ブラジル代表)の魔法のようなテクニックに夢中だった。しかしいまはメッシだ。
大きなDFたちを手玉を取るように抜き、チャンスをつくるだけでなく、自ら決定的なゴールを挙げる。少年たちはメッシのプレーを頭に焼き付け、そのステップやフェイントをまねる。何よりも、ピッチ上のプレーとして表現されるメッシのスタイル、そして情熱に影響を受ける。
香川は、今週3日間行われた日本代表候補の合宿に招集された。大竹は、やはり今週のU-23日本代表の合宿に追加招集された。先週末のJリーグで、大竹は交代出場した直後に決勝点を決め、見事なスルーパスでもう1点のアシストをした。いまのところ、所属のF東京では交代出場が多いが、短時間でも試合の流れを変えるような活躍ができることが評価されたのだろう。
河野にはまだ「飛び級」の代表招集はないが、昨年のU-17ワールドカップで「世界」を経験しており、東京Vではすでにサイド攻撃の切り札のような存在になっている。
「メッシたち」の活躍は日本代表を活性化させ、Jリーグを盛り上げる。そしてそれを見つめる日本の少年たちに新しい「イマジネーション」を与える。
(2008年4月23日)
「サッカーはいつ始まるのかな...」。ハーフタイムに、思わずつぶやいてしまった。先週末のJリーグ、東京V対F東京の「東京ダービー」である。
同じスタジアムをホームとする同士、当然意地がある。意地と意地のぶつかり合いはファウルの応酬となり、前半はまるで格闘技。30分過ぎにはあわや乱闘というシーンまであり、まったくサッカーにならなかった。
サッカーは前後半45分間ずつ。負傷者の手当てや選手交代で空費された時間は主審の判断で追加される。私の計測ではこの試合の前半は48分12秒間あったが、実際にプレーが動いていたのは20分間以下という印象だった。
驚くには当たらない。試合のなかで実際にプレーが動いている時間を「アクチュアルタイム」と呼ぶが、昨年のJリーグ306試合の平均は約54分間だった。半分では27分間である。「東京ダービー」の前半のような試合なら、20分間を切ってもおかしくはない。事実、昨年のJリーグの最短記録は1試合で39分間だった。
Jリーグではボールがピッチ外に出るとすぐに他のボールが渡される。拾いに行く時間は不要だ。アクチュアルタイムが短くなる主な原因は、主として、反則があってからフリーキックなどで試合が再開されるまで時間がかかることだ。
反則した側が「ボールに行った」と主審に異議を唱える。ファウルを受けた側は倒れたまま「カードだろう」と主張する。意図的にボールに近いところに「壁」をつくり、守備組織を固める時間をかせぐ。壁のなかで、攻撃側と守備側が引っ張り合い、それを主審が注意する...。
仮にアクチュアルタイムが20分間だったとすると、観客はロスタイムを含めて28分間もこんなシーンを見せられていたことになる。そして仮に入場料が4000円だったとすると、前半分の2000円の6割、1200円分は「サッカーではない何か」に支払っていることになる。
この試合は、後半の20分を過ぎると見違えるようにスピーディーになり、止まっている時間が大幅に減った。だがそれまでの65分間は「サッカー」とは呼べないものだった。
Jリーグは試合ごとのアクチュアルタイムを発表するべきだ。それが少なくとも60分間になるよう努力しなければならない。昨年のJリーグで最長のアクチュアルタイムは70分間だったという。
(2008年4月16日)
90分間が終わったとき、スコアは2-2だった。第1戦の1-1に続き、2戦2分け。緑と黄色のユニホームに身を包んだ英領バージン諸島のイレブンは「よし、延長だ」と闘志をみなぎらせた。だがその延長戦が行われることはなかった...。
ワールドカップ2010年南アフリカ大会の北中米カリブ海地区1次予選。英領バージン諸島の相手はバハマ。ホームアンドアウェーの2試合を突破すれば2次予選に進みシード国のジャマイカと対戦することになる。
英領バージン諸島のワールドカップ予選出場は3回目。前の2大会は2試合制の1回戦でそれぞれ1-14、0-10の大敗だった。
「ブラジル人監督が率いるバハマは強い。でもサッカーに不可能はない。なんとか勝ってジャマイカと対戦したい。それが俺たちの夢なんだ」と、選手たちは口々に語った。
ところが思わぬ困難が持ち上がった。首都ロードタウンのグラウンドが国際サッカー連盟の基準に適合せず、予選には使えないことが判明したのだ。結局2試合ともバハマの首都ナッソーで行うこととし、日程も3月26日と30日に決まった。
人口約2万人の英領バージン諸島。国外でプレーしている選手もいるが招集できず、20人の代表選手はすべて国内リーグでプレーするアマチュアだった。
第1戦でワールドカップ予選初勝ち点を手にして自信がふくらんだ。940人の観客の前で行われた第2戦、後半12分に0-2とされても、英領バージン諸島の闘志は衰えなかった。後半33分にはMFのウイリアムズ主将が1点を返し、終了直前にはPKのチャンスを得た。
キッカーは大柄なウイリアムズ主将。ゆっくりとボールをセットし、大きく息を吐くと冷静に決めた。
2-2の引き分け。しかしドミニカのメルセデス主審の笛は、「90分間終了」ではなく「試合終了」を意味していた。予選規定では、2戦制の勝ち抜き戦で合計得点が同じ場合には「アウェーゴール」が多いチームが勝つ。日程を決めたとき、便宜上、第1戦をバハマの、そして第2戦を英領バージン諸島のホームとゲームいうことに決めてあったのだ。
規定は規定。役員から説明を受けると、選手たちは少し肩をすくめ、笑顔でスタンドの観客に手を振りながら引き上げていった。
不条理だが悔いはない。2014年大会への足掛かりはできた。サッカーも人生も続くのだから...。
(2008年4月9日)
両チームが入場し、国家演奏が始まったころはまだ空席が目立っていた。外を見ると、ぞろぞろと歩いてくる人がいる。3万人収容のスタンドが埋まったのは、前半の半ば過ぎだっただろう。
3月26日のワールドカップ予選、バーレーンとのアウェーゲームのキックオフは日本時間で午後11時20分、現地時間で午後5時20分。バーレーン国民の多くが関心をもつ試合といっても、平日のこの時間では人が集まらないのは当然だ。
なぜこんなに早いキックオフになったのか。それは、試合を中継する日本のテレビ放送の都合だった。
人口約70万のバーレーンと1億3000万の日本では放映権料の桁が違う。その結果、日本のファンが見やすい時刻にキックオフを設定することになる。それによりピッチ周囲の広告看板の販売も容易になる。実際、この試合の広告はすべて日本企業のものだった。
バーレーンではキックオフ時に気温30度ほどだったからまだよかった。だが日本代表が再びアラビア半島を舞台に戦わなければならない6月7日のオマーン戦は非常に心配だ。
試合が行われる首都マスカットの6月は、平均気温が40度。ときには50度に達するという。バーレーン戦のような早いキックオフとなったら、それだけで厳しい戦いとなる。
アラビア半島ではサッカーの試合のキックオフは通常午後8時か9時と遅い。日中の熱気が去った後でないと観客もつらいからだ。マスカットより5時間早い日本では翌日の午前1時か2時ということになる。
たしかに、こんな時間のキックオフではテレビ放映のスポンサー獲得に支障があるかもしれない。しかし午後5時や6時のキックオフにしたら、日本代表はオマーン以上の強敵を相手にしなければならなくなる。
バーレーンに敗れただけでなく試合内容も思わしくなかった日本代表。6月のオマーンとの連戦は絶対に落とすことのできない試合となった。しかしアウェー戦の5日前、6月2日にはホームでの対戦があるから、3月のバーレーン戦のときのように早めに中東に出発して暑さに慣れるトレーニングをこなすこともできない。
テレビとファンの都合より、日本代表がいかに戦いやすくなるかを優先してキックオフ時刻の交渉をする必要がある。ワールドカップ予選は、チームだけでなく、一国の総合力の戦いでもある。
(2008年4月2日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。