「78年は若すぎた。82年は内臓の具合が悪く、思うように動けなかった。そして86年は足の具合が悪かった。どういうわけか、僕にとってワールドカップとはそうしためぐり合わせだったんだ」
フランス・サッカー史上最高の選手と言われ、現在は欧州サッカー連盟(UEFA)会長として世界のサッカーのリーダーのひとりとなっているミシェル・プラティニ(53)から、現役引退直後の88年にこんな話を聞いた。ペレ(ブラジル)、マラドーナ(アルゼンチン)、ベッケンバウアー(ドイツ)、クライフ(オランダ)と並ぶ20世紀のスーパースターにも、そうした不運があったのだ。
ワールドカップ優勝は、すべてのサッカー選手の夢だ。しかし大会は4年にいちどしかない。プレーヤーとして最も充実した時期が大会と重ならなければ、自らの手にカップをつかむチャンスは永遠に去ってしまう。「めぐり合わせ」の残酷さが、そこにある。
「4年にいちど」はオリンピックも同じ。そのうえ、現在のオリンピックのサッカーは原則として「23歳以下」に出場が制限されているから、オリンピックで活躍するチャンスは、ほとんどの選手にとって「一生にいちど」と言ってよい。
来週開幕する北京オリンピック。反町康治監督率いる男子サッカー日本代表18人には、強化が始まった当時には中核だった何人もの選手の名前がはいっていない。
MF家長昭博(大分)は、2月に右ひざ靱帯(じんたい)を損傷し、まだ実戦に復帰できていない。MF水野晃樹(セルティック)は、スコットランドの強豪クラブへの移籍により試合出場が激減し、コンディション不良で選からもれた。
この2人に限らず、才能と力をもちながらも「めぐり合わせ」の悪さで「北京行き」を逃した選手が何十人もいる。むしろ、選ばれた18人こそ、「めぐり合わせが良かった」結果なのかもしれない。
しかしサッカーはオリンピックだけではないことを彼らは良く知っているはずだ。ワールドカップでは力を発揮し尽くせなくても、プラティニはユベントス(イタリア)で不滅の業績を残し、84年の欧州選手権では5試合で9得点の活躍でフランスを優勝に導いた。
サッカー選手としての勝負はまさにこれからだ。「めぐり合わせ良く」選ばれた選手たちも周囲の大騒ぎに浮かれず、この貴重な経験をこれからの成長につなげてほしい。
(2008年7月30日)
「試合に『筋書き』があるんだよ」
2年ほど前、ドイツに住む友人からこんな話を聞いた。強豪チームの戦い方には一定の法則がある。それを彼は「試合の筋書き」と名付けたのだ。
2つのチームが1個のボールを争い、相手のゴールを目指すサッカー。どんな試合でも、片方のチームがずっと主導権を握っているなどということはない。主導権は、互いに行き来する。
UEFAチャンピオンズリーグを中心にデータを分析したところ、強豪が主導権を握るのは前半の20分まで、さらに30分過ぎから前半終了まで。そして後半も同じ形になることが多かった。それは意図的につくられた「筋書き」ではないか―。
非常に興味深い推理だと思った。日本が世界の強豪と戦うとき、立ち上がりは苦戦しても20分を過ぎるとパスが回るようになる。ところが前半の終盤はまた苦しくなり、後半も同じ形。仮に0-0でしのいでいても、終盤に決勝点を奪われることが少なくない。
アテネ・オリンピックでは、初戦のパラグアイ、第2戦のイタリアとも、最初に失点を喫し、結局それを返しきれずに連敗した。
友人の「筋書き論」に対し、私の推理は「最大エネルギー論」だった。彼らは、前後半45分をどう戦えば90分間で最大のエネルギーを使いきることができるか、長年の勝負経験のなかで無意識に身につけている。それが形になったのが「筋書き」なのではないか―。
日本ではよく「試合のはいり方」の良し悪しを云々する。しかし好スタートだけでは勝てない。相手がどんな時間帯に主導権を握ろうとするのか、それを理解すれば、その時間帯にどんなプレーをするべきかも自ずと明らかになる。
「主導権を握る」とは、全員がよく動いてパスをつなぎ、攻撃を連続させることを意味している。では、主導権を握れないとき、強豪はどんなふうにその時間帯をしのぐのだろう。友人は別のデータの話をしてくれた。
スペインのFCバルセロナは、チーム全体の動きが落ちたら、ともかく個人技をもった選手に渡し、時間をかせいでもらう。ある試合では、後半20分から30分にかけてのチームの総ボールタッチ数の3割をロナウジーニョひとりが占めていた。
これも興味深いデータだ。北京オリンピックに挑む日本代表の戦いのヒントになるのではないだろうか。
(2008年7月23日)
財団法人日本サッカー協会の川淵三郎会長が定年で退任となった。きょうは、02年から6年間日本サッカーをリードした川淵氏の功績を考えてみたい。
川淵会長就任後の日本サッカー協会の最大の変化は、創立81年目にして「店子(たなこ)」から「家主」になったことだろう。02年ワールドカップの余剰金などを生かし、同年12月に東京・文京区に「JFAハウス」をオープンさせた。
協会の事業の基礎となる財政の拡大も、川淵氏の功績と言える。02年には100億円に満たなかった年間の収支を160億円を超す規模に引き上げた。ただこれは主に日本代表関連事業の伸びによるもので、ここ2年間の代表人気の低下が今後の協会運営を難しくする恐れは十分ある。
「閉塞(へいそく)感のなかでいまほどスポーツの力が必要とされることはない」と、川淵氏は退任のあいさつで語った。昨年からの「心のプロジェクト」で社会に直接的な働きかけを始めたことは、後に高い評価を受けるのではないか。
しかし私は、川淵氏の最大の功績は「サッカーファミリー」の拡大に真剣に取り組んだことだったと思う。
「現在80万人の登録選手数を200万人にしたい」と就任時に語り、実現のために全力で取り組んだ。07年の登録選手数は89万人弱だが、少子化のなかで10%を超す伸びを記録したのは驚異と言ってよい(日本協会は02年には数えられていなかったフットサル、審判、指導者などを含め、現在の登録数を約130万人としている)。
そのベースとして都道府県協会の法人化を推進した。02年には10協会しか法人化できていなかったのが、現在では全47協会が法人となって責任ある活動ができるようになった。
女子サッカーの普及とその頂点である「なでしこジャパン」への支援強化も、「川淵時代」の大きな前進だ。
光があれば影ができる。たとえば06年に始まったエリート養成プログラム「JFAアカデミー」に、私は大きな懸念を抱いている。だがその正否はいずれ歴史が明らかにすることだ。それ以上に、強化育成の成功は、07年、08年に開催された全年代、全カテゴリーの世界選手権に、日本がアジア予選を突破して代表を送り出したことで裏付けられている。
「川淵時代」は歴史に残る変革と成長の時代だった。それをどう生かしていくのか、これからの協会と、サッカーに関わる私たち全員の責務だ。
(2008年7月16日)
韓国のサッカーを見るのはいつも楽しい。その韓国の相手が日本なら、それ以上にエキサイティングだ。
8月2日に東京・国立競技場で行われる「JOMOカップ」の出場選手が発表された。従来はJリーグのクラブを東西に分けてのオールスター戦だったが、今回はJリーグ選抜対韓国Kリーグ選抜というファンの心をくすぐる対戦となった。
70年代、80年代に日本サッカーリーグ選抜が何回か組織され、国際試合を戦ったことがあった。79年には、すでに日本代表を引退していた釜本邦茂を中心に、日本国籍取得前のジョージ与那城、ルイ・ラモスらを入れたリーグ選抜が、韓国、オランダ、アメリカのチームを相手に3試合戦い、2勝1分けの好成績を残した。
残念ながら日本代表がとても弱かった時代にあって、リーグ選抜の攻撃力は新鮮な驚きと興奮をもたらし、ファンの留飲を下げさせた。その興奮を、また味わえそうだ。
今回のJリーグ選抜はGK楢崎正剛(名古屋)を中心に18人。FWにはヨンセン(名古屋=ノルウェー代表)、鄭大世(川崎=北朝鮮代表)、バレー(G大阪=ブラジル)と外国籍選手が並ぶ。ただし日本で生まれ育った鄭大世は「外国籍」の適用外だ。日本人FWがいないのは寂しいが、小笠原満男(鹿島)、中村憲剛(川崎)、二川孝広(G大阪)ら名手たちのパスから破壊的な攻撃が見られるのは間違いない。
さらに楽しみなのは、MFに金南一(キム・ナミル=神戸=韓国代表)がいることだ。「K」ではない。「J」のMFとして出場するのだ。ボランチとして、そして不動のキャプテンとしてワールドカップ予選で韓国代表を率いている闘将が、Kリーグ選抜を相手にどんな戦いを見せるのか、非常に興味深い。
「J」の監督は昨年鹿島を二冠に導いたオズワルド・オリヴェイラ。対する「K」はファン投票で圧倒的な支持を得た車範根(チャ・ボングン)。かつて韓国代表FWとして日本代表を苦しめ、ドイツのブンデスリーガでスターとなり、そして97年秋のワールドカップ予選では韓国代表監督として日本の前に立ちはだかった人だ。97年9月、国立競技場で日本に2-1と逆転勝ちを収めたときの、車監督の誇らしげな勝利宣言は、まだ私の脳裏から離れない。
日韓の意地がかけられた一戦。燃えないわけにはいかない。
(2008年7月9日)
「三度目の正直」という言葉がある。古くは「三度目は定(じょう)の目」と言ったらしい。勝負事や占いで、一度目、二度目はあてにならないが、三度目は確実であることを意味する。
ワールドカップアジア最終予選の組分けと日程が決まった。9月6日から来年の6月17日まで、バーレーン、ウズベキスタン、カタール、そしてオーストラリアを相手に戦う。厳しい戦いはどんな組分けでも同じ。それよりも、サウジアラビアとの抽選で勝って「第2シード」にはいったことに意味がある。
5チームのホームアンドアウェー。全10節で毎節1チームは休みになり、どこに休みがはいるかで厳しさが違う。とくに10節のうち3回ある土曜、水曜という中3日の連戦は、「極東」に位置する日本にとって苦しい日程になりかねなかった。「第2シード」にはいったことで、3回の連戦のうち2回を回避できたのは大きい。
あまり取り上げられていないが、今回の最終予選に向け、Jリーグは日程面で大変な協力をしている。水曜日に予選が行われる前週の週末をリーグ日程から外したのだ。その結果、10月のウズベキスタン戦(ホーム)と11月のカタール戦(アウェー)の前には、1週間半もの準備期間が岡田監督に与えられた。
懸念は、11月のカタール戦と来年2月のオーストラリア戦(ホーム)が、ともに国際サッカー連盟の「親善試合日」にあたることだ。クラブは試合の48時間前までは選手を手元にとどめておくことができる。そうなれば、中村俊輔(セルティック)らの日本代表合流は試合前日になる。選手たちが所属するヨーロッパのクラブと早めに交渉を始め、協力を得る必要がある。
だが差し当たって最大の心配は9月6日のアウェーでのバーレーン戦の開始時間だ。3次予選ではアウェーのキックオフ時間も日本のテレビ局の都合で決められた。その結果、中東オマーンの6月に、5時15分という「ありえない」時間のキックオフとなった。強い日差しと38度の暑さに日本は苦しんだ。
このことは3月のバーレーン戦の反省から本コラムで取り上げ、警告も発した。だがテレビ局にはサッカー以上に大事なものがあり、非人道的なキックオフ時間に異を唱える者もいなかったようだ。
9月のバーレーンも6月のオマーンと同じような猛暑だ。「三度目」は「定の目」で、良識ある開始時間になることを期待したい。
(2008年7月2日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。