「世界を救うのは笑顔ではないか―」
オリンピックの取材をしながら、そんなことが頭をよぎった。
「北京大会」と言っても、サッカーの試合は北京から遠く離れた瀋陽、秦皇島、天津、上海の4都市も舞台となった。日本の男女の試合をすべて見るために、大会の前半にはほとんど連日の移動が必要だった。そして結論から言えば、その大半は心地よい旅だった。
旅行をしていて最も困るのは言葉ではない。こちらが困っていることにあまり関心を払ってもらえないときだ。かつてソ連崩壊前の東欧の国に取材に行ったとき、人びとが外国人である私を避けようとしているのに気づいた。道を尋ねても素っ気ない返事が返ってくるばかりだった。
中国では、ごく一部の例外を除いて、駅でも、タクシーでも、そして食堂や商店でも英語は通じなかった。こちらも中国語はわからない。いろいろな場面で大騒ぎが必要になった。必死に漢字を書いて意図を伝えようとするのだが、なかなか通じないのだ。
救われたのは、そうしたやりとりをしているとき、中国の人びとがほとんど例外なく親切だったことだ。周囲の人も寄ってきて、ああだこうだと言い合い、懸命にこちらの意図を探ろうとする。
そして「正解」に達するとうれしそうな笑顔を見せる。その笑顔が本当にすばらしかった。心から「よかったね」と思っていることが伝わってくるのだ。
漢字を見せても行き先がわからず、先方に電話して怒鳴り合うように話し合っていたタクシーの運転手も、無事目的地に着くと、崩れるような笑顔で送り出してくれた。
02年ワールドカップで日本と韓国を訪れたベッケンバウアー(06年ドイツ大会組織委員長)は、笑顔の応対に感激し、06年大会のロゴマークに笑顔を入れた。ドイツ大会成功の決定的要因は、ドイツ人たちの笑顔だった。
中国に行って最初に覚える言葉は「ニーハオ(こんにちわ)」。この言葉を口にすると、自然に小さな笑顔になる。もしかすると、古代からの「笑顔の知恵」がこの言葉のルーツなのかもしれない。
私たち人類には「笑顔」という力強い道具がある。対立や紛争の絶えない世界だが、それを救うのは武器や外交ではなく、人びとの腹蔵のない笑顔なのではないか―。日本のサッカーを追って中国を旅行しながら、そんなことを考えた。
秦皇島のボランティアスタッフと著者
(2008年8月27日)
100年の歴史をもつオリンピックのサッカーが転換期を迎えているようだ。ヨーロッパのクラブとの対立のなか、国際サッカー連盟(FIFA)のブラッター会長は、オリンピックの男子サッカーを20歳以下の大会にすることを示唆し始めた。
1908年ロンドン大会でオリンピックの正式種目になったサッカー。1920年代までは事実上の「世界選手権」だった。しかし1930年にプロ、アマにかかわらず出場できるワールドカップが始まり、人気が高まると、「アマチュア限定」のオリンピックは金メダルが東欧の「国家アマ」に独占され、魅力の乏しい大会となっていった。
1980年代にオリンピック憲章から「アマチュア」が外され、サッカーも84年ロサンゼルス大会からプロの出場が解禁になった。ただFIFAがワールドカップとの差別化を図ろうといろいろ制約をつけたため、「二流の世界選手権」の印象はぬぐえなかった。
88年ソウル大会でテニスが64年ぶりに正式競技に復帰、女子でグラフ(西ドイツ)が優勝するなど世界のトップクラスが出場して話題になった。国際オリンピック委員会(IOC)はサッカーでも世界のスーパースターが出場する大会にと要望したが、FIFAは応じず、逆に92年バルセロナ大会から23歳以下の年齢制限をつけた。
この当時、世界のサッカーでは代表チームの主力は20代の後半が中心で、23歳以下の選手たちはクラブでようやく出番がきた程度だった。戦術的要請が増えて選手の成熟に時間がかかるようになっていたからだ。
しかし21世紀にはいり、世界のサッカーでは10代の活躍が目立つようになった。クラブや協会が真剣に育成に取り組んだ結果だ。そのシンボルが、17歳でFCバルセロナのエースとなったメッシ(アルゼンチン代表)だ。
看板スターがオリンピックで最長1カ月間も抜けられるのは痛い。クラブが選手を出し渋り、それがスペインのバルセロナだけではなく、ドイツのクラブにも広がった。FIFAは「23歳以下の選手がオリンピック代表に招集されたら、クラブはそれに応じなければならない」と通達を出し、選手たちは北京に向かったが、クラブ側は徹底抗戦の構えだ。
力が増す一方の欧州クラブと各国代表チーム活動との調整に苦慮するFIFA。IOCの抵抗は必至だが、2012年ロンドン大会から「20歳以下」になる可能性は十分ある。
(2008年8月6日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。