「彼らはホームで勝たなければならない状況にある。つまり彼らには私たちより大きなプレッシャーがかかることになる。当然、私たちも勝ちたい。しかし勝たなければならないわけではない。プレッシャーは、より相手にある」
1月中旬にオーストラリア代表のピム・ファベーク監督が語った言葉である。「彼ら」とは、もちろん日本代表のことだ。
サッカーは、多分に「心理のゲーム」である。2月11日のワールドカップ・アジア最終予選での対決(横浜)に向け、「心理戦」がすでに始まっている。
ファベーク監督の言葉は明らかに日本代表選手や岡田武史監督が読むことを意識してのものだ。1月20日に熊本で行われたイエメン戦にアーノルド・コーチを送り込んできたのも、偵察より「心理戦」の側面が大きい。日本にかかっているプレッシャーをさらに強めようというものだ。
オーストラリアが3戦全勝で勝ち点9、日本が2勝1分けで7。そしてこの試合後には、オーストラリアが残り4試合のうち3試合をホームで戦うのに対し、日本はウズベキスタン、オーストラリアのアウェーゲームがある。たしかに、「勝たなければ」のプレッシャーは日本にある。
一般的に、プレッシャーは「パフォーマンスの敵」である。脳と体のスムーズな連絡を妨げ、自分がもっている力を出し切れない主要原因になる。
だが同時に、プレッシャーは「集中力の味方」でもある。プレッシャーがあるから高い集中力が生まれ、明確な目的意識をもつことができる。そしてプレッシャーを集中力に変える力の源こそ「経験」なのだ。現在の日本代表には、その力が十分ある。プレッシャーを恐れる必要など何もない。むしろ、プレッシャーがない状態のほうがこわい。
私は、ファベーク監督の言葉に、日本戦で敗れると、その後の影響への恐れがあることを感じる。オーストラリア代表の大半はヨーロッパにいて、強化合宿もままにならない。ぶっつけ本番のような形で日本に集合し、試合をすることに大きな不安を感じているのではないか。
「挑発」ともとれるファベーク監督の言葉に対し、日本代表の岡田武史監督は何の反応も見せていない。相手に心理的ゆさぶりをかけるより、自チームの準備に集中することが大事だとわかっているからに違いない。
(2009年1月28日)
インターネットで「world cup2018」を検索していたら「イスラエルとパレスチナの共同開催」を呼び掛けるというサイトにぶつかった。考えるまでもなく、ミサイルを撃ち合うより、力を合わせてワールドカップを開催するほうがはるかにましだ。
先週、国際サッカー連盟(FIFA)は、2010年南アフリカ大会、14年ブラジル大会に続く18年と22年の2回のワールドカップ開催国決定のプロセスを加盟協会に通達した。10年12月に2大会分を決定するという。
ワールドカップ開催国の決定は「大会の6年前」に決まっていると思っていた。10年に2大会分が決まれば、それぞれ8年前、12年前ということになる。
もっとも、「6年前に決定」が固定化したのは過去四半世紀程度のことで、90年イタリア大会以後だ。第二次大戦前の3大会は1年か2年前だったし、50年ブラジル大会は4年前の決定だった。
このブラジル開催が決まった46年のFIFA総会では、同時に次の大会をスイスで開催することも決定した。当初、両大会はそれぞれ49年と51年の開催予定だった。当時のFIFAは、ワールドカップを2年にいちど開催する考えに傾いていたのだ。それが修正され、ブラジル大会を50年に、スイス大会を54年にと変更したのは、48年のことだった。
66年には、74、78、82年の3大会の開催国が一挙に決まった。いずれも立候補は一カ国だけで、それぞれ西ドイツ、アルゼンチン、そしてスペインが開催することになった。82年スペイン大会には、16年間(!)という過去最長の準備期間が与えられたのである。
1月15日にFIFAから加盟協会に送られたレターによれば、18年大会にはアフリカと南米、そして22年大会には南米からの立候補は認められていない。そして2大会連続して同じ大陸での開催は認められていないから、仮に18年大会がヨーロッパでの開催になると、22年大会は南米とヨーロッパ以外での開催ということになる。立候補は、2大会ともにでも、どちらかひとつでもいい。
現在のところ公式に立候補表明をしているのはイングランド、オーストラリア、ポルトガルとスペインの共同開催など6つ。その他、日本など6カ国の立候補も有力視されている。FIFAに対する正式の立候補意思表明締め切りは2月2日。さて、どんな「招致合戦」になるか―。
(2009年1月21日)
「選手には、ミスを犯す権利がある」
大きなハンマーで頭をガツンと叩かれた気がした。
この言葉を聞いたのは、いつの記者会見だっただろうか。イビチャ・オシムさんが日本代表の監督を務めていた一昨年のことであるのは間違いないが、どの試合後だったか、試合を控えた会見の席上だったか―。
「ミス」について、オシムさんほど厳しい監督はいない。サッカーがミスにあふれた競技であることを常に語りながらも、だからこそ、彼は選手たちに正確にプレーすることを求める。ミスを減らすための努力を求めてやまない。日本代表の試合後の会見のなかで、「ミスが多すぎる」と不満を語ったことも一再ではなかった。
しかし同時に、オシムさんは「ミス」の内容もしっかり見極めていた。技術的に未熟なためのミス、あわてなくていいところであわててしまってのミス、不注意によるミスなどには非常に厳しかったが、積極的にトライしてのミスには「もういちど!」と励ました。オシムさんが「選手の権利」と表現するのはこうした種類のミスにほかならない。
オシムさんの練習は形どおりに進めればいいというものではない。試合中のひとつの状況を設定してプレーをスタートさせ、そのなかで選手たちが判断して攻守を進めるというものが多い。
攻撃側には常にチャレンジを求める。状況も考えずに単独突破しろというのではない。失敗を恐れず、新しい発想、相手にとってより危険な状況をつくるプレーへのトライを要求するのだ。
「ブラーボ」
チャレンジが成功すると、オシムさんの口からそんなつぶやきが漏れる。大きな声ではないが、選手たちは聞き逃さない。最大限の賛辞だからだ。
チャレンジはいつも成功するとは限らない。むしろ失敗することのほうが多い。しかし自らを成長させようと思ったらチャレンジを恐れてはならない。
オシムさんが去った2009年。日本のサッカーはワールドカップ2010南アフリカ大会を目指した予選の佳境にはいる。2月11日にはオーストラリアとの最初の決戦が待ち構えている。そしてクラブレベルでも、大幅に刷新されたAFCチャンピオンズリーグに4つものチームが出場する。何より大事なのは、そうした試合に対し、ミスを恐れず勇気をもってチャレンジする個々の選手たちの姿勢に違いない。
(2009年1月14日)
「9・15メートルのレーザー光発生装置」を夢想したことがある。
ペンほどの大きさのこの道具を使うのはサッカーの主審だ。フリーキック(FK)地点に立ち、スイッチを入れると、「ポン!」という音とともに、日中でも見える無害な赤い太めの光線が、9・15メートルだけ出るのである。
FKのとき、守備側はボールから9・15メートル以上離れなければならない。中途半端な数字だが、サッカーのルールはイングランドでつくられたため、ピッチの大きさなどはメートル法ではなくヤード・ポンド法で定められたのだ(今日もルールブックは両法併記だ)。
しかし自らこの距離を守る守備側の選手など皆無と言ってよい。たいていは7メートルほどのところに「壁」をつくり、主審にうながされてようやく下がる。だがそれだけでは終わらない。主審が離れると壁はじわじわと前進する。攻撃側がアピールし、また主審が壁を下げる...。1試合で何回も見かけるシーンだ。
このいらいらするシーンを撲滅しようと、最近、アルゼンチンで画期的な道具が誕生した。名付けて「FKスプレー」。主審はこのスプレーを使ってボールから9・15メートルのピッチ上に白い線をひく。ボールがけられる前に守備側がそこから出たら、即座にイエローカードが出されるという仕組みである。
考案したのはパブロ・シルバという名のアルゼンチン人ジャーナリストだという。自分自身の試合で、終了間際のFKを壁が近づいてきたために得点に結び付けることができなかった悔しさから必死に考えたのだ。
日本のジャーナリストと違い、彼は夢想するだけでなく塗料メーカーと研究を重ね、ついに塗ってから1分間ほどで消え去るスプレー塗料の開発に成功した。そして昨年の後半からプロ2部リーグで使用テストを進め、アルゼンチン協会はことしから1部リーグでも使用することを決めたというから驚く。
この種の道具を、テストといっても公式戦で使用するには、サッカーのルール改正を決める国際サッカー評議会の承認が必要なはずだが、評議会のなかで主導的な地位を占めるイングランドのサッカー協会も導入に興味を示しているという。
「スプレーでラインをひくという行為自体に時間がかかり、試合のスピードアップには役立たない」という反対意見もある。しかしこんなものを考え出さなければならないほど現状がひどいのは、間違いのないところだ。
(2009年1月7日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。