6月、アシシ(31)とヨモケン(29)は南アフリカにやってきた。ちょうど12カ月後、ふたりはワールドカップ出場32カ国を巡る旅のゴールとして、再びここに立つことになる―。
「1年間かけて、全出場国を回るんです」
思いがけない話に驚いた。今月、ウズベキスタンの取材旅行で出会い、オーストラリアに向かう機中で再開した青年が、まるで「山手線一周」のような気軽な表情でこんな計画を打ち明けたのだ。それがアシシだった。
報道関係者ではない。独立して仕事をしながら日本代表を追って世界を回っている。その彼が、2010年ワールドカップを前に「何か面白いことをやってやろう」とこの計画を思い立ち、会社勤めだったころの後輩であるヨモケンを強引に引き込んだ。名付けて「世界一蹴の旅」。
札幌生まれのアシシは中学校までサッカーを楽しんだが、その後は別に熱烈なサッカーファンだったわけではない。だが05年にドイツで日本が出場したコンフェデ杯を見て目覚めた。「サッカーを追って世界を回る旅は、世界のごく普通の人びとと直接交流できる最高のチャンス...」。
一方、187センチという日本人離れした長身のヨモケンは横浜生まれ。思いがけない幸運から98年フランス大会を現地で見る機会を得て、ワールドカップの魅力に取りつかれた。02年大会も満喫し、06年ドイツ大会はアシシといっしょに回った。
今回、アシシの提案に乗って会社をやめてしまったのは、「4年区切りの人生」を自分で楽しむだけでなく、世界に向けて発信したかったからだと話す。
ふたりは昨年秋に「リベロ」というユニットを立ち上げ、得意のIT知識でホームページもつくった。今後、旅の様子を詳しくそして楽しく発信していくという。
だがただの冒険ではない。旅行計画は緻密(ちみつ)そのもの。1年間の費用も細かく計算し、なんとか貯めた。ふたりの本職は経営コンサルタント。入念に計画を練り、実行に移すプロなのだ。
今回の南アフリカはほんの小手試し。「本番」は7月5日のスタートになる。その日、ふたりは東京を発って京都に向かう。そこから博多を経て韓国の釜山に渡る。「32カ国のサッカー協会とそれぞれの国の世界遺産は必須」だと言うのだ。
「世界一蹴」が終わったとき、彼らが何を得て、どう成長したのか、1年後の南アフリカでもういちど話を聞いてみたいと思った。
・ホームページ「世界一蹴の旅」
「リベロ」のふたり
アシシさん(左)、ヨモケンさん(右)
(2009年6月24日)
レアル・マドリード(スペイン)の「暴走」が止まらない。
6月9日にブラジル代表のMFカカをACミラン(イタリア)から92億円で獲得した話題も冷めないうちに、ポルトガル代表FWクリスティアーノロナルドをマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)から129億円という途方もない金額で引き抜いた。
「われわれには3億ユーロ(約414億円)の強化資金がある」と豪語するペレス会長は、さらにスウェーデン代表FWイブラヒモビッチをインテル・ミラノ(イタリア)から、フランス代表MFリベリーをバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)から獲得する交渉にはいっていると言われ、スペイン代表FWのビジャ(バレンシア=スペイン)、スペイン代表MFシャビアロンソ(リバプール=イングランド)の移籍も秒読み段階にあると言われる。
レアルはUEFAチャンピオンズリーグ(UCL)優勝9回を誇る名門チーム。国際サッカー連盟により「20世紀最高のクラブ」にも選ばれている。ところがこの数年は低迷が続いている。スペイン・リーグでは一昨年、昨年と連覇しているのだが、UCL優勝はもう7年間も遠ざかっている。だがそれ以上の問題は、不俱戴天(ふぐたいてん)のライバルであるFCバルセロナが、今季、UCLを含む3冠を成し遂げる一方で、レアルは無冠に終わったことだ。
6月1日、3年ぶりに会長に復帰したペレスは、「スペクタクルなチームをつくる」と公約、時を置かずに行動に出たのだ。
だがサッカーはカードゲームではない。手元にいくら強いカードを持っていても、それだけでチャンピオンになれるわけではない。
今世紀初頭、ペレス会長率いるレアルは、ジダン(フランス)、フィーゴ(ポルトガル)、ロナウド(ブラジル)、そしてラウル(スペイン)ら世界的なスターを攻撃陣に並べて無敵の「銀河軍団」と言われた。それを壊したのは、さらに巨額を投じて世界的スターを獲得し、チームのバランスを崩したペレス会長自身だった。
今季ヨーロッパを席巻したバルセロナは、レギュラーの半数がクラブのユース育ちだった。レアルの「銀河軍団」が最高の力を発揮した時期にも、ユースから上がった選手が半数近くを占めていた。
近道などない。時間をかけてそのクラブのスタイルと哲学を受け継ぐ選手を育て上げなければ、真のチャンピオンは生まれない。
(2009年6月17日)
「日本が最強メンバーでウズベキスタンと戦ったのは、バーレーンを助けるためか」
6月6日、タシケントのパフタコール・スタジアム。ワールドカップ出場を決めた日本代表の岡田武史監督に地元記者からこんな質問が飛んだ。
ウズベキスタンはすでにグループで2位以内になる希望はなく、プレーオフ進出の3位を目指している。そのライバル、バーレーンを利するために日本は戦ったのかというのが質問の主旨だった。
信じ難いほどの理不尽な質問に、岡田監督は「私たちはいつもその時点でのベストメンバーを組んでいる」と答えただけだった。
この質問に代表される「理不尽」に満ちあふれた試合だった。ムフセン・バスマ主審を中心とするシリアの審判団は、ウズベキスタンを勝たせるためのレフェリングに徹した。あからさまな判定は、「アジア・サッカーの恥」と言ってよい。
接触プレーはことごとく日本の反則とされた。中村俊、遠藤といった中心選手が狙い撃ちのようにイエローカードを出された。最後には長谷部が退場となり、大声で選手に指示を与えていた岡田監督も退席を命じられた。
しかし日本の選手たちは驚くほど冷静だった。審判の意図を見抜き、注意深く、それでいて強い気持ちを崩さずにプレーを続けた。その自己抑制はこの夜の最大の驚きだった。理不尽な判定にも自分を見失わず、チームの目的だけを考えてプレーし続けたことが、出場権獲得となって結実した。派手な攻撃はできなかったが、「偉大」と呼んでいい勝利だったと、私は思う。
ところで、記者会見後、私の友人の一人の記者が会見で理不尽な質問をした記者にからまれて閉口していた。「日本は次のカタール戦で勝てば十分だったのに、ここで全力を尽くした。すべてバーレーンを助けるためだったんだ」。ウズベキスタン人記者は執拗(しつよう)だった。
「こんなのは相手にしなくていい」と私は友人に言った。しかし彼は毅然(きぜん)とした態度を崩さなかった。そして最後にこう反論した。
「日本はバーレーンにもカタールにもアウェーで勝った。きょうも同じ態度を貫いて臨んだだけだ」
ウズベキスタンの記者は口をつぐんだ。
理不尽に屈せず、自制心を失わず、堂々と相手を論破した態度はこの日の日本代表に通じていた。きっと彼も、日本代表の戦いぶりから大きな勇気をもらったのに違いない。
(2009年6月10日)
UEFAチャンピオンズリーグを制覇して欧州の王座についたFCバルセロナ(スペイン)のテクニカルディレクターとしてチーム強化の全権を握るアイトール・ベギリスタインは、時折、10年も前の幸福感に満ちた時代を思い起こす。
10年前、彼は日本の浦和レッズの選手だった。浦和にとって幸福な時代ではなかった。実際、浦和での彼の最後の試合は99年11月27日、J2への降格が決まった広島戦だった。この試合、ベギリスタインは後半9分に交代を命じられている。
しかし97年から約2年半の日本での生活を思い出すと、彼は自然に顔がほころぶのを覚える。都内に住んでいた彼は、毎日JRの埼京線と京浜東北線を乗り継いで浦和の練習グラウンドに通った。
彼はバルセロナの黄金時代を支えたスーパースターのひとりだった。もちろん「電車通勤」など生まれて初めてのこと。読書に励む人、居眠りをする人など、車内の人びとを見ていると、飽きることを知らなかった。そして乗り継ぎの赤羽駅で「立ち食いそば」を食べるのは、何よりの楽しみだったという。
新型インフルエンザの影響で、Jリーグ各クラブの練習場では選手とファンが接する場を制限するようになった。地域立脚を前提とするJリーグではファンとの交流を推進しているが、この先どうなるのか誰にもわからない。欧州のビッグクラブのように、選手とファンの距離がどんどん離れてしまうことになるかもしれない。
選手が安心して競技に打ち込める環境は何より大事だ。選手のプライバシーを守る必要性も小さくない。しかしそれでも、選手が地域のなかで自然に生活し、ファンに近い存在であることの意義を考えると、「垣根」はできうる限りないのが望ましい。とくに少年少女たちとの触れ合いは、サッカーの未来に大きな意味がある。
1930年代のオーストリアにマチアス・シンドラーという選手がいた。この時代の欧州大陸では最高の名手だっただろう。FKオーストリアというクラブのスターFWだった彼は、試合の日、ファンと同じ路面電車を使ってスタジアムに向かったという。
「神話時代」のことかもしれない。しかしこの当時のサッカーファンは、チームや選手たちに対して、より身近で、より親密な愛情をもつことができていたに違いない。
「選手とファンの距離」は、これからどうなるのだろうか。
(2009年6月3日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。