フットサルのコートで何十人もの少年少女が夢中にボールを追っていた。全員普段着。半数以上がはだしだ。周囲で順番を待っている少年たちは、好プレーが出るたびに両手で「バンバンバン!」とフェンスを叩いた。
ケープタウンの都心から車で南東へ30分、国際空港を過ぎて右に折れると、広大な平地に延々と小さな家が並んでいるのが見えた。現地のコサ語で「新しい故郷」を意味する「カエリチャ」というタウンシップ。アパルトヘイト(人種隔離)時代の黒人居住区だ。差別撤廃後も、黒人を中心に経済発展に取り残されたたくさんの人びとが暮らしている。
「フットボールフォーホープ・センター」と名付けられた新しい施設は、そのほぼ真ん中にあった。簡素なクラブハウスと木材を組み立てたジャングルジムなど遊び場がある。しかし少年たちの心を何よりも引きつけるのは、緑まぶしい人工芝が敷き詰められたフットサルコートだ。
初めてアフリカでワールドカップを開催するのに合わせて、国際サッカー連盟(FIFA)は、一時的にではなく、将来にわたってアフリカの発展に役立つものを残したいと考えた。それが「フットボールフォーホープ」プログラムだった。各国に中心となる施設をつくり、地元NGOに協力してもらって少年少女の健康教育の場にするという。
南アフリカをはじめアフリカ諸国ではHIV(エイズ)感染の拡大が深刻な社会問題となっている。その原因が子どもたちの無知にあることは明らかだ。そこで、サッカーを楽しむことのできる施設をつくり、指導者を配置して子どもを集め、サッカーの指導といっしょに衛生面の教育もすることにしたのだ。
近い将来にアフリカ全土に20個所の「センター」が設置される予定だが、第一号として昨年11月にオープンしたのがカエリチャの施設だった。オープン直後に、取材で訪れることができた。
ボランティアのスタッフが言葉をかける。立ち止まってうなずくと、少年たちはまたプレーに戻っていく。その輝くような表情とまなざしの強さには、心打つものがあった。
スタジアムでワールドカップを観戦することなど、夢のまた夢に違いない。しかし彼らはどこかのパブリックビューイングでメッシやロナウドのプレーに触れ、希望に胸を膨らませてまた「センター」に戻っていく。その希望が、彼らの人生を導いていくはずだ。
(2010年6月9日)
岡田武史監督率いる日本代表がオーストリアでイングランドを相手に奮闘を繰り広げる数時間前の5月30日午後、中国の成都で、日本女子代表(なでしこジャパン)が来年ドイツで開催される女子ワールドカップの出場を決めた。91年の第1回大会以来6大会連続出場という快挙だ。
出場権を確定したのはアジア予選3位決定戦。地元中国を2-0で下した。過去5回の大会にすべて出場しているのは世界でわずか8カ国。アジアでは日本と中国だけだ。そのどちらかが初めてワールドカップの座を失うことになる。厳しい戦いは必至だった。
だが熱烈な声援を送る地元サポーターの前で、なでしこジャパンは一歩も引かない戦いを見せた。ボールの出先にひとりが猛烈なプレスをかける。そこから出されたパスをもうひとりが果敢に奪う。そうしたプレーが驚くほどつながっていくのだ。サッカーの技術や戦術を超えた一体感、なでしこジャパンの本当の「強さ」を見る思いがした。
なでしこの強さの秘密に触れたのは、08年の北京オリンピックのときだった。女子サッカーにとってワールドカップ以上の大舞台で、彼女たちはいつも「○○のために」という言葉を口にした。それは、日本の女子サッカーであったり、選手生活を支えてくれている家族であったり、代表から漏れた仲間の名前であったり...。ともかく、例外なく「他の人」だった。
自分自身のためではない。他の人のために戦う。だから自我を捨て、心から仲間と力を合わせられる。そして苦しいときでもがんばり抜き、自分の力を百パーセント出し尽くすことができる。それこそ、なでしこジャパンの強さの源だった。
成都での中国戦、勝負を決する2点目はMF沢穂希のヘディングシュートだった。MF宮間あやのFKに合わせて走り込み、ゴールを背にしたまま後ろに倒れ込みながらのバックヘッド。何と美しく、勇敢な得点だっただろう。そして沢は過剰なパフォーマンスに走ることもなく、ただチームメートと喜びを分かち合い、ベンチに走ってサブの選手とハイタッチをかわした。
男子の日本代表がワールドカップで何かを成し遂げようとするなら、「なでしこスピリット」から学ぶ必要がある。サッカーのレベルなど関係ない。挑戦するものが大きくなればなるほど、自分のためにではなく、他の人のために戦う覚悟が必要となる。
(2010年6月2日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。